徒然草 第五段

現代語訳

 「自分は不幸な人間だ」などと悩んだり嘆いたりしている人が、頭の毛をカミソリでつるつるにするように、ものの弾みで悟りきってしまうのではなくて、ただ意味もなく、生きているというよりは死んでいないといった感じで、門を閉め切ってひきこもり、意味もなくだらだらと日々を漂っているのも、ある意味では理想的である。

 源顕基(みなもとのあきもと中納言が「罪を犯して流された島で見る月を無邪気な心で見つめていたい」と言ったことにもシンパシーを感じる。

原文

 不幸に(うれへに沈める人の、(かしらおろしなどふつゝかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、(かどさしこめて、待つこともなく(あかし暮したる、さるかたにあらまほし。

 顕基(あきもとの中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

注釈

 顕基(あきもとの中納言

  源顕基(あきもとは、源俊賢の長男で後一条天皇に近侍し、天皇の死後に出家した。四十八才で没する。この顕基の言葉は有名で『徒然草』以外の文献でも伝えられている。

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