つれづれぐさ(上)

徒然草 第六段

現代語訳

 自身の身分が世間的に高い人の場合はもちろんのことで、ましてや、死んでも何とも思われないような身分の人は、子供なんて作らない方がよい。

 前の天皇の息子や政府長官、花園の長官は自分の一族が滅びてしまうことを望んでいた。染殿の長官にいたっては「子孫などはない方がよい。後々の子孫がグレて不良や暴走族になったら困るではないか」と言っていたと、世継ぎ物語の『大鏡』に書いてあった。聖徳太子は自分の墓を生前に建築して「ここを切り取って、あそこを塞いでしまえ、他には誰も入れないようにしろ。子孫などいらない」と言っていたらしい。

原文

 わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。

 (さき中書王(ちゆうしよわう・九条大政大臣(だいじようだいじん花園左大臣(はなぞのさだいじん、みな、(ぞう絶えむことを願い給へり。染殿大臣(そめどののおとども、「子孫おはせぬぞよく(はべる。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継(よつぎ(おきなの物語には言へる。聖徳太子の、御墓をかねて(かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを(て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

注釈

 数ならざらん

  人の数にも数えてもらえない賤しい身分。

 (さき中書王(ちゆうしよわう

  醍醐天皇の皇子、兼明親王のこと。特に学才に優れた。

 九条大政大臣(だいじようだいじん

  藤原伊通のこと。日記に『権大納言伊通卿記』がある。

 花園左大臣(はなぞのさだいじん

  源有仁のこと。詩歌、管絃、書に名手。『春玉秘抄』『秋玉秘抄』を記している。

 染殿大臣(そめどののおとど

  藤原良房のこと。摂政となり院政政治を行う。

 聖徳太子

  用明帝の王子様・推古帝の皇太子といわれる。後に一万円札の図柄となる。

徒然草 第五段

現代語訳

 「自分は不幸な人間だ」などと悩んだり嘆いたりしている人が、頭の毛をカミソリでつるつるにするように、ものの弾みで悟りきってしまうのではなくて、ただ意味もなく、生きているというよりは死んでいないといった感じで、門を閉め切ってひきこもり、意味もなくだらだらと日々を漂っているのも、ある意味では理想的である。

 源顕基(みなもとのあきもと中納言が「罪を犯して流された島で見る月を無邪気な心で見つめていたい」と言ったことにもシンパシーを感じる。

原文

 不幸に(うれへに沈める人の、(かしらおろしなどふつゝかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、(かどさしこめて、待つこともなく(あかし暮したる、さるかたにあらまほし。

 顕基(あきもとの中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

注釈

 顕基(あきもとの中納言

  源顕基(あきもとは、源俊賢の長男で後一条天皇に近侍し、天皇の死後に出家した。四十八才で没する。この顕基の言葉は有名で『徒然草』以外の文献でも伝えられている。

徒然草 第四段

現代語訳

 死んでしまった後のことをいつも心に忘れず、仏様の言うことに無関心でないのは素敵なことだ。

原文

 (のちの世の事、心に忘れず、(ほとけの道うとからぬ、心にくし。

注釈

 (のちの世の事

  死後の世界、いわゆる『極楽浄土』のことを遠回しに表現したもの。

徒然草 第三段

現代語訳

 どんなことでも要領よくこなせる人だとしても、妄想したりエッチなことを考えない男の子は、穴が空いたクリスタルグラスからシャンパーニュがこぼれてしまうように、つまらないしドキドキしない。

 明け方、水滴を身にまとい、よたよたと千鳥足で挙動不審に歩いたりして、おとうさん、おかあさんの言うことも聞かず、近所のひとに馬鹿にされても、何で馬鹿にされているのかも理解できず、どうしようもないことを妄想してばかりいるくせに、なぜだか間が悪く、むらむらして寝付けずに一人淋しく興奮する夜を過ごしたりすれば、得体の知れない快感に満たされる。

 とはいっても、がむしゃらに恋に溺れるのではなくて、女の子からは「節操のない男の子だわ」と思われないように注意しておくのがミソである。

原文

 (よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の(さかづき(そこなき心地ぞすべき。

 露霜(つゆしもにしほたれて、所定めずまどひ歩き、親の(いさめ、世の(そしりをつゝむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。

 さりとて、ひたすらたはれたる(かたにはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

注釈

 玉の(さかづき(そこなき心地

  文選、三都賦の序に「玉ノ(サカヅキ(ソコナキハ宝トイヘドモ用ニ(アラズ」とある。

徒然草 第二段

現代語訳

 聖なる古き良き時代の時代の政治の方針を忘れてしまって、一般市民が困って嘆いていることや、国に内乱が起こりそうなことも知らないで、何もかも究極に豪華なものを用意して、自分のことを偉いと勘違いし「ここは狭くて窮屈だ」というような態度をしている人を見ると、気分が悪くなるし、自分のことしか考えていない厭な野郎だと思う。

 「作業着やヘルメット、シャベルカーからダンプカーまで、すべて間に合わせで済ませよ、新品や最新機種を欲しがってはいけません」と、死んだ右大臣の遺言にもあったことだし、順徳院が宮中の決まり事を書いた『禁秘抄』という参考書にも「天皇のおべべはコンビニで買えばよい」と書いてある。

原文

 いにしへのひじりの御代(みよ(まつりごとをも忘れ、民の(うれへ、国のそこなはるゝをも知らず、(よろづにきよらを尽していみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。

 「衣冠(いくわんより馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事なかれ」とぞ、九条殿(くでうどの遺誡(ゆいかいにも(はべる。順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、「おほやけの(たてまつり物は、おろそかなるをもってよしとす」とこそ侍れ。

注釈

 九条殿(くでうどの

  藤原師輔(もろすけは藤原全盛期の政治家で、政治家の心得を記した。

 順徳院

  順徳(じゅんとく天皇は承久の乱で佐渡に配流になる。その著に有職故実の解説書『禁秘抄』がある。

 禁中

  皇居、宮中の別称。

徒然草 第一段

現代語訳

 さて人間は、この世に産み落とされたら、誰にだって「こういう風になりたい」という将来のビジョンが沢山あるようだ。

 皇帝ともなるとあまりにも(おそれれ多いので語るまでもない。竹林で育った竹が、その先端まで竹であるのと同じで、皇帝の系譜は、その末端まで遺伝子を受け継ぐ。その遺伝子が人間を超越して、わけが分からないものになっているのは、とても神聖だ。政界のナンバーワンである摂政関白大臣の外見が尊いことも説明する必要がなく、それ以下のプチブル皇族を警備させていただける身分の人でさえも偉そうに見える。その人の子供や孫がその後、没落してしまったとしても、それはそれで魅力があるように思われる。もっと身分が低い人たちは、やはり身分相応で、たまたまラッキーなことが重って出世した分際で得意げな顔をして「偉くなったもんだ」と思っている人などは、他人からは、やはり「馬鹿だ」と思われている。

 坊さんくらい、他人から見ると「あの様には成りたくない」と思われるものはない。「人から、その頼りなさに樹木の末端のように思われる」と清少納言が、『枕草子』に書いているが、まったくその通りだ。出世した坊さんが大きな態度で調子に乗っているのは、見た目にも立派ではない。蔵賀(ぞうが先生も言っていたが「名誉や、人からどう思われるかなどに忙しくて、仏様のご意向に添えていない」と思ってしまう。それとは対極に、もうどうでもよくなってしまうまで世の中のことを捨ててしまった人は、なぜか輝かしい人生を歩んでいるように感じられる。

 現実を生きている人としては、顔、スタイルが優れているのが一番よいに決まっている。そういう人は、何気なく何かを言ったとしても嫌みな感じがせず、魅力的だ。寡黙にいつまでも向かい合っていたい。

 「立派な人かもしれない」と尊敬していても、その人の幻滅してしまうような本性を見つけてしまえばショックを受けるに違いない。「家柄が良い」とか「美形の遺伝子を受け継いだ」とか、そういうことは産んでくれた親と深く関わっているから仕方がないが、精神のことは努力して「スキルアップしよう」と思えば、達成できないこともない。見た目や性格が素敵な人でも、勉強が足りなければ、育ちが悪く生活態度が顔に滲み出ている連中に混ざって赤く染まってしまう。残念なことだ。

 本当に大切な未来のビジョンは、アカデミックな学問の世界、漢詩の創作、短歌、音楽の心得、そして基本的な作法で、人々からお手本にされるようになったら言うことはない。習字なども優雅にすらすらと書けて、歌もうまくリズム感があり、はにかみながらお酌を断るのだけど、実は嫌いじゃないのが、真の美男子なのである。

原文

 いでや、この世に生れては、願はしかるべき事こそ多かンめれ。

 御門(みかどの御位は、いともかしこし。竹の園生(そのふの、末葉(すゑばまで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。(いちの人の御有様はさらなり、たゞ(びとも、舎人(とねりなど給はるきはは、ゆゝしと見ゆ。その子・(むまごまでは、はふれにたれど、なほなまめかし。それより(しもつかたは、ほどにつけつゝ、時にあひ、したり顔なるも、みづからはいみじと思ふらめど、いとくちをし。

 法師ばかり(うらやましからぬものはあらじ。「人には木の(はじのやうに思はるゝよ」と清少納言が書けるも、げにさることぞかし。勢まうに、のゝしりたるにつけて、いみじとは見えず、増賀(ぞうがひじりの言ひけんやうに、名聞(みやうもんぐるしく、仏の御教にたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。

 人は、かたち・ありさまのすぐれたらんこそ、あらまほしかるべけれ、物うち言ひたる、聞きにくからず、愛敬(あいぎやうありて、言葉多からぬこそ、(かず向はまほしけれ。

 めでたしと見る人の、心劣りせらるゝ本性(ほんしやう見えんこそ、口をしかるべけれ。しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、(ざえなく成りぬれば、品下り、顔憎さげなる人にも立ちまじりて、かけずけおさるゝこそ、本意(ほいなきわざなれ。

 ありたき事は、まことしき(ふみの道、作文(さくもん・和歌・管絃(くわんげんの道。また、有職(いうそく公事(くじの方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。手など(つたなからず走り書き、声をかしくて拍子(ひやうしとり、いたましうするものから、下戸(げこならぬこそ、男はよけれ。

注釈

 竹の園生

  史記(漢の時代の史書)に「漢の文帝の子の梁の孝王が庭園に竹を多く植えた」という故事があり、皇族の子孫のこと。

 清少納言

  平安時代の作家、歌人。日本三大エッセーの『枕草子』を記す。ちなみに『徒然草』もこの一つ。ほかに鴨長明の『方丈記』がある。

 蔵賀(ぞうがひじり

  比叡山の僧侶。名誉を嫌って隠遁していた。

 有職(いうそく

  公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。

徒然草 序

現代語訳

 むらむらと発情したまま一日中、(すずりとにらめっこしながら、心の中を通り過ぎてゆくどうしようもないことをだらだらと書きつけているうちに、なんとなく変な気分になってしまった。

原文

 つれづれなるまゝに、日くらし、(すずりにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

注釈

 吉田兼好

  鎌倉時代から南北朝時代の随筆家・歌人。卜部兼好(うらべかねよし。兼好法師とも。

 つれづれ

  求道者としての兼好法師という側面から「煩悩(ぼんのう散乱状態」であると考えることもできる。誰が名付けたのかは不明だが、本随筆の題名が、この冒頭の単語にちなむということを知らない人はいないだろう。