つれづれぐさ(下)

徒然草 第百六十二段

現代語訳

 遍照寺の雑務坊主は、日頃から池の鳥を餌付けして飼い慣らしていた。鳥小屋の中まで餌を撒き、扉を一つ開けておくと、夥しいほどの鳥が誘き寄せられた。その後、自分も鳥小屋に入って鳥を閉じ込めると、捕獲しては殺し、殺しては捕獲した。その悲鳴がただ事では無いので、草むしりをする少年が、大人に言いつけた。村の男達がやって来て、鳥小屋の中に突入すると、大きな雁が翼をバタバタと必死に最後の抵抗をし合っていた。この中に坊主がいて、雁を地面に叩きつけ、首を捻って虐殺していたので、現行犯で逮捕された。判決が下りると、坊主は殺した鳥を首からぶら下げられて、豚箱にぶち込まれた。

 久我基俊が、警視庁長官だった頃の話である。

原文

 遍照寺(へんぜうじ承仕(しようじ法師(ほふし、池の鳥を日来(ひごろ(ひつけて、堂の内まで((きて、戸(ひと(けたれば、数も知らず((こもりける(のち(おのれれも(りて、たて(めて、(とらへつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草((わらは聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて見るに、大雁(おほがりどもふためき合へる中に、法師交りて、打ち伏せ、(ぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使庁(しちやう(だしたりけり。殺す所の鳥を(くび(けさせて、禁獄(きんごくせられにけり。

 基俊(もととしの大納言(だいなごん別当(べつたうの時になん(はべりける。

注釈

 遍照寺(へんぜうじ

  京都市右京区嵯峨の広沢の池の西にあった真言宗の寺。

 承仕(しようじ法師(ほふし

  寺院の雑務をする出家者。

 基俊(もととしの大納言(だいなごん

  第九十九段の「御子基俊卿」で、久我基具の次男の基俊。権中納言。

 別当(べつたう

  検非違使庁の長官。

徒然草 第百六十一段

現代語訳

 サクラの花の盛りは、一年中で日照時間が一番短い冬至から百五十日目とも、春分の九日後とも言われているが、立春の七十五日後が、おおよそ適当である。

原文

 花の盛りは、冬至(とうじより百五十日とも、時正(じしやうの後、七日とも言へど、立春より七十五日、大様(おほやう(たがはず。

注釈

 冬至(とうじ

  太陽が一年中で天球の最も南に寄った日。北半球では日照時間が最も短くなる。

 時正(じしやう

  昼と夜の長さが同じ日。秋分、春分の二日後。ここでは春の時正を指す。

 立春

  陰暦で、冬から春に入るはじめの日。鎌倉末期では四月二十日から二十二日頃。

徒然草 第百六十段

現代語訳

 門に額縁を懸けるのを「打つ」と言うのは、よい言い方ではないのだろうか。勘解由小路二品禅門は、「額を懸ける」と言っていた。「祭り見物の桟敷を打つ」と言うのも、討つや、撃つのようで、よくない言い方なのだろうか。「テントの土台を打つ」と言うのは、普通に使う言葉だ。しかし、「桟敷を構える」と言った方が良いのかも知れない。「護摩の火を焚く」と言うのも、「護摩」という言葉に焚くという意味が含まれているので良くない。「修行する」とか「護摩をする」と言うのである。「行法も、清音でギョウホウと言うのは、良くない。ギョウボウと濁音で言うのだ」と、清閑寺僧正が言っていた。普段使う言葉にも、こんな言い方が色々とある。

原文

 (もん(がく(くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路(かでのこうぢの二品禅門(にほんぜんもんは、「額懸くる」とのたまひき。「見物の桟敷(さじき打つ」も、よからぬにや。「平張(ひらばり打つ」などは、常の事なり。「桟敷(さじき(かまふる」など言ふべし。「護摩(ごま(く」と言ふも、わろし。「(しゆする」「護摩(ごまする」など言ふなり。「行法(ぎやうぽふも、法の字を(みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、清閑寺(せいかんじの僧正(そうじやう仰せられき。常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。

注釈

 勘解由小路(かでのこうぢの二品禅門(にほんぜんもん

  藤原経尹。鎌倉中期の書能家。藤原行成の九代目の子孫。「二品」は従二位。「禅門」は髪を落とした在家の沙弥。

 平張(ひらばり

  雨よけ日よけのために柱を立て、その上に張る幕。

 護摩(ごま

  護摩祈祷。密教において護摩壇に護摩を焚き祈祷をすること。

 行法(ぎやうぽふ

  密教において、壇を設け、有縁の本尊を置き、供物を献じて祈り結印すること。

 清閑寺(せいかんじの僧正(そうじやう

  権僧正道我。兼好法師の友人。歌集『権僧正道我』がある。

徒然草 第百五十九段

現代語訳

 「みな結びという組紐は、二本の糸を組んで結び、それを重ねて垂らした姿が蜷という巻き貝に似ているから、そう呼ぶのだ」と、ある人格者が言っていた。しかし、「にな」と言うのは間違いである。

原文

 「みな結びと言ふは、糸を結び(かさねたるが、(みなといふ貝に似たれば言ふ」と、(あるやんごとなき人(おほせられき。「にな」といふは(あやまりなり。

注釈

 みな結び

  装飾に使う組紐の結び方。

 (みな

  蜷貝(みながい。巻き貝の一種か。

徒然草 第百五十八段

現代語訳

 「盃の底に残ったお酒を捨てるのはどうしてか知っているか?」と、ある人が訊ねた。「凝当と申しますから、底に溜まっている酒を捨てるという意味でしょうか」と答えた。すると「それは違う。魚道と言って、魚が生まれた川に帰るように、口をつけた部分を洗い流すことだ」と教えてくれた。

原文

 「(さかづきの底を(つる事は、いかゞ心(たる」と、或人の尋ねさせ給ひしに、「凝当(ぎようたうと申し(はべれば、底に(りたるを捨つるにや(さうらふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ぎよたうなり。流れを残して、口の附きたる所を滌ぐなり」とぞ(おほせられし。

注釈

 凝当(ぎようたう

  「当」は底の意味で「凝」は凝り固まる。一カ所に集まって溜まっていること。

 魚道(ぎよたう

  「魚道ハ、残盃ヲ器ニ(こぼスナリ。余瀝ヲ以テ、杯痕ヲ洗フ。之ヲ、魚ノ旧道ヲ過グルニ(たとフ。故ニ、魚道ト云フナリ。魚ハ、大海ニ遊泳スト(いへどモ、旧道ヲ忘レザルモノナリ」と『下学集』にある。つまり、盃に残った酒を捨てずに、自分の口が付いた部分を洗い清めること。

徒然草 第百五十七段

現代語訳

 筆を手に取れば自然と何かを書きはじめ、楽器を手にすれば音を出したくなる。盃を持てば酒のことを考えてしまい、サイコロを転がしていると「入ります」という気分になってくる。心はいつも物に触れると躍り出す。だから冗談でもイケナイ遊びに手を出してはならない。

 ほんの少しでも、お経の一節を見ていると、何となく前後の文も目に入ってくる。そして思いがけず長年の(あやまちを改心することもあるものだ。もしも、今、この経本を紐解(ひもとかなかったら、改心しようと思わなかっただろう。触れることのおかげである。信じる心が全く無くとも、仏の前で数珠を手に、経本を取って、ムニャムニャしていれば自然と良い結果が訪れる。浮つく心のまま、縄の腰掛けに陣取って座禅を組めば、気付かぬうちに解脱(げだつもしよう。

 現象と心は、別々の関係ではないのだ。外見だけでも、それらしくしていれば、必ず心の内面まで伝わってくる。だからハッタリだとバカにしてはならない。むしろ、(あおいで尊敬しなさい。

原文

 筆を(れば物(かれ、楽器を(れば(を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、(さいを取れば((たん事を思ふ。心は、必ず、事に(れて(きたる。仮にも、不善の(たはぶれをなすべからず。

 あからさまに聖教(しやうげうの一句を見れば、何となく、前後の(もんも見ゆ。卒爾(そつじにして多年の(を改むる事もあり。仮に、今、この(ふみを披げざらましかば、この事を知らんや。これ(すなはち、(るゝ所の(やくなり。心更に起らずとも、仏前にありて、数珠(ずずを取り、(きやうを取らば、(おこたるうちにも善業(ぜんこふ(おのづか(しゆせられ、散乱(さんらんの心ながらも縄床(じようしやうに座せば、(おぼえずして禅定(ぜんちやう(るべし。

 ((もとより二つならず。外相(げさうもし(そむかざれば、内証(ないしよう必ず(じゆくす。(ひて不信を言ふべからず。(あふぎてこれを(たふとむべし。

徒然草 第百五十六段

現代語訳

 大臣昇進のお披露目は、しかるべき会場を用意して開催するのが通例である。頼長左大臣は東三条殿で行った。近衛天皇の皇居だが、会場に申請されたので、天皇は他へ避難した。親しい間柄でなくても、皇室の女性の住まいを借り上げるのが、古来の習わしである。

原文

 大臣(だいじん大饗(だいきやうは、さるべき所を申し請けて(おこなふ、常の事なり。宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどのは、東三条殿(とうさんでうどのにて行はる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所(たしよ行幸(ぎやうがうありけり。させる事の(せなけれども、女院(にようゐん御所(ごしよなど(り申す、故実(こしつなりとぞ。

注釈

 大臣(だいじん大饗(だいきやう

  大臣に任命された人が開催する、披露宴。

 宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどの

  藤原頼長。左大臣。保元の乱に参加し、白河殿の戦いで流れ矢にあたり死ぬ。

 東三条殿(とうさんでうどの

  二条大路の南、町口小径の西にあった邸宅。

 行幸(ぎやうがう

  天皇がお出かけすること。

徒然草 第百五十五段

現代語訳

 一番の処世術はタイミングを掴むことである。順序を誤れば、反対され、誤解を与え、失敗に終わる。そのタイミングを知っておくべきだ。ただし、病気や出産、死になると、タイミングなど無く、都合が悪くても逃れられない。人は、この世に産み落とされ、死ぬまで変化して生き移ろう。人生の一大事は、運命の大河が氾濫し、流れて止まないのと同じなのだ。少しも留まることなく未来へと真っ直ぐ流れる。だから、俗世間の事でも成し遂げると決めたなら、順序を待っている場合ではない。つまらない心配に、決断を中止してはならない。

 春が終わって夏になり、夏が終わって秋になるのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏には秋の空気が混ざっている。秋にはだんだん寒くなり、冬の十月には小春の天気があって、草が青み、梅の花も蕾む。枯葉が落ちてから芽が息吹くのでもない。地面から芽生える力に押し出され、耐えられず枝が落ちるのである。新しい命が地中で膨らむから、いっせいに枝葉が落ちるのだ。人が年老い、病気になり、死んでいく移ろいは、この自然のスピードよりも速い。季節の移ろいには順序がある。しかし、死の瞬間は順序を待ってくれない。死は未来から向かって来るだけでなく、過去からも追いかけてくるのだ。人は誰でも自分が死ぬ事を知っている。その割には、それほど切迫していないようだ。しかし、忘れた頃にやってくるのが死の瞬間。遙か遠くまで続く浅瀬が、潮で満ちてしまい、消えて磯になるのと似ている。

原文

 世に(したがはん人は、先づ、機嫌(きげんを知るべし。(ついで(しき事は、人の耳にも(さかひ、心にも違ひて、その事(らず。さやうの折節(をりふしを心(べきなり。(ただし、(やまひを受け、子(み、死ぬる事のみ、機嫌(きげんをはからず、(ついで(しとて(む事なし。(しやう(ぢゆう((めつの移り変る、(まことの大事は、(たけき河の(みなぎり流るゝが如し。(しばしも(とどこほらず、(ただちに(おこなひゆくものなり。されば、真俗(しんぞくにつけて、必ず(はた(げんと思はん事は、機嫌(きげんを言ふべからず。とかくのもよひなく、足を((とどむまじきなり。

 春暮れて(のち、夏になり、夏(てて、秋の(るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春(こはるの天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて(ぐむにはあらず、(したより(きざしつはるに(へずして落つるなり。(むかふる気、下に(まうけたる(ゆゑに、待ちとる(ついで(はなはだ速し。(しよう・老・病・死の移り(きたる事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご(ついでを待たず。死は、前よりしも(きたらず。かねて(うしろ(せまれり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、(おぼえずして(きたる。(おき干潟(ひかた(はるかなれども、(いそより(しほ(つるが如し。

徒然草 第百五十四段

現代語訳

 この日野資朝という人が、東寺の門で雨宿りをしていた。乞食でごった返しており、彼等の手足はねじ曲がり、反り返り、体中が変形していた。それを見て、「あちこちと珍しく変わった生き物だ。よく観察してみる価値がある」と、つぶらな瞳で観察したが、遂に飽きた。そして、見るのもうんざりし、不機嫌になった。「曲がっているより、普通の真っ直ぐな人間の方が良い」と思った。帰宅してから、大好きだった盆栽を見て「自然に逆らってクネクネ曲がっている木を見て喜ぶのは、あの乞食を見て喜ぶのと同じ事だ」と気がつき、一気に興ざめしたので、鉢に植えた盆栽を全部掘り起こして捨ててしまった。

 わかるような気もする。

原文

 この人、東寺(とうじの門に雨宿(あまやどりせられたりけるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も(ぢ歪み、うち反りて、いづくも不具(ふぐ異様(ことやうなるを見て、とりどりに(たぐひなき曲物(くせものなり、(もつとも愛するに(れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその(きよう尽きて、見にくゝ、いぶせく(おぼえければ、たゞ素直に(めづららしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木(うゑきを好みて、異様(ことやう曲折(きよくせつあるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく(おぼえければ、(はち(ゑられける木ども、皆(り捨てられにけり。

 さもありぬべき事なり。

注釈

 この人

  第百五十二段第百五十三段に登場した日野資朝。

 東寺(とうじ

  京都市下京区九条町にある古義真言宗東寺派の大本山。

徒然草 第百五十三段

現代語訳

 京極為兼が逮捕され、兵隊に取り囲まれながら豚箱に連行された。日野資朝が、羨望の眼差しで見つめながら、「ああ、とても羨ましい。この世に生まれた想い出に、私もあんな目に遭ってみたい」と呟いたそうだ。

原文

 為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう((られて、武士どもうち囲みて、六波羅(ろくはら(て行きければ、資朝卿(すけとものきやう、一条わたりにてこれを見て、「あな(うらやまし。世にあらん思い(、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。

注釈

 為兼大納言入道(ためかねのだいなごんにふだう

  京極為兼。定家の子孫にあたる歌人。二度にわたって島流しにされる。

 六波羅(ろくはら

  六波羅探題。京都の守護、近畿地方の政治、軍事を総括した役所。

 資朝卿(すけとものきやう

  百五十二段に登場した日野資朝。後に夢が叶う。