徒然草

徒然草 第百七十三段

現代語訳

 小野小町の生涯は、極めて謎である。没落した姿は『玉造小町壮衰書』という文献に見られる。この文献は三善清行の手によるという説もあるが、弘法大師の著作リストにも記されている。大師は西暦八百三十五年に他界した。小町が男どもを夢中にさせたのは、その後の時代の出来事だ。謎は深まるばかりである。

原文

 小野小町(をののこまちが事、(きはめて(さだかならず。衰へたる様は、「玉造(たまつくり」と言ふ(ふみに見えたり。この文、清行(きよゆきが書けりといふ説あれど、高野大師(かうやのたいし御作(ごさくの目録に(れり。大師は承和(じようわの初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや。なほおぼつかなし。

注釈

 小野小町(をののこまち

  平安時代の有名な歌人。六歌仙の一人。美女だったという。

 玉造(たまつくり

  『玉造小町壮衰書』のこと。

 清行(きよゆき

  三善清行。大内記、文章博士、大学頭、を経て、参議、宮内卿兼播磨守となる。

 高野大師(かうやのたいし

  弘法大師、空海。真言宗の開祖。

徒然草 第百七十二段

現代語訳

 若者は血の気が多く、心がモヤモヤしていて、何にでも発情する。危険な遊びを好み、いつ壊れてもおかしくないのは、転がっていく卵のようだ。綺麗な姉ちゃんに狂って、貯金を使い果たしたかと思えば、それも捨て、托鉢の真似事などをしだす。有り余った体力の捌け口に喧嘩ばかりして、プライドだけは高く、羨んだり、好んだり、気まぐれで、浮気ばかりしている。そして、性愛に溺れ、人情に脆い。好き勝手に人生を歩み、犬死にした英雄の伝説に憧れて、自分もギリギリの人生を送りたいと思うのだが、結局は、世の末まで恥ずべき汚点を残す。このように進路を誤るのは、若気の至りである。

 一方、老人は、やる気がなく、気持ちも淡泊で細かいことを気にせず、いちいち動揺しない。心が平坦だから、意味の無い事もしない。健康に気を遣い、病院が大好きで、面倒な事に関わらないように注意している。年寄りの知恵が若造に秀でているのは、若造の見てくれが老人よりマシなのと同じである。

原文

 若き時は、血気(けつき(うちに余り、心、物に動きて、情欲多し。身を(あやぶめて、(くだ(やすき事、(たまを走らしむるに似たり。美麗(びれいを好みて宝を(つひやし、これを捨てて(こけ(たもと(やつれ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず、色に耽り、情にめで、行ひを潔くして、百年(ももとせの身を誤り、命を失へる例願はしくして、身の(またく、久しからん事をば思はず、(ける(かたに心ひきて、永き世語りともなる。身を(あやまつ事は、若き時のしわざなり。

 老いぬる人は、精神(せいしん(おとろへ、(あは(おろそかにして、感じ動く所なし。心(おのづから静かなれば、無益(むやくのわざを為さず、身を助けて(うれへなく、人の(わづらひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。

徒然草 第百七十一段

現代語訳

 神経衰弱をする人が、目の前のカードをなおざりにして、よそ見をし、他人の袖の影や膝の下を見渡していると、目の前のカードを取られてしまう。上手な人は、他人の近くを無理矢理に取るように見えず、近くのカードばかり取っているようだが、結局、多くのカードを取る。ビリヤードでも台のカドに球を置いて、一番遠くの球をめがけて突いたら空振りだ。自分の手元に注意して、近くにある球へ筋道を定めれば、ナインボールもポケットに落ちる。

 全ての事は、外側に向かって求めると駄目になる。ただ、身の回りを固めるだけでよい。清献公の言葉にも、「今の瞬間を最善に過ごし、未来のことを人に聞くな」とある。政治も同じ事だ。政府が、政治を疎かにし、軽はずみな態度で、身勝手で、堕落していたら、地方は必ず反逆に出る。そうなってから緊急対策を練っても手遅れだ。「自堕落な生活をし、自ら進んで病気になってから、神に病気を治してくれと願うのは、バカでしかない」と医学書にも書いてある。目の前の人の苦しみを取り除き、餓えを満たし、正しく導けば、その教えが広がって、少しずつ世界を変えるムーブメントになっていくのを知らないのだ。禹は、苗族を滅ぼそうとしたが失敗した。その後、軍隊を引き上げて自国を良く治めたから、自然と苗族も見習い、感化されたのだろう。

原文

 貝を(おほふ人の、我が前なるをば措きて、余所を見渡して、人の(そでのかげ、(ひざの下まで目を配る(に、前なるをば人に覆はれぬ。よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。碁盤(ごばん(すみに石を立てて(はじくに、向ひなる石を目守りて(はじくは、(あたらず、我が手許をよく見て、こゝなる聖目(ひじりめ(すぐ(はじけば、立てたる石、必ず(あたる。

 (よろづの事、(ほかに向きて求むべからず。たゞ、こゝもとを正しくすべし。清献公(せいけんこうが言葉に、「好事(かうじ(ぎやうじて、前程(ぜんていを問ふことなかれ」と言へり。世を保たん道も、かくや(はべらん。内を慎まず、軽く、ほしきまゝにして、濫りなれば、遠き国必ず(そむく時、初めて(はかりごとを求む。「風に当り、湿(しつ(して、病を神霊(しんれい(うたふるは、(おろかなる人なり」と医書に言へるが如し。目の前なる人の(うれへを(め、恵みを施し、道を正しくせば、その(くわ遠く流れん事を知らざるなり。(の行きて三苗(さんべうを征せしも、(いくさ(かへして徳を敷くには及かざりき。

注釈

 貝を(おほ

  貝合わせの事。

 聖目(ひじりめ

  碁盤の目に打ってある九つの黒点。

 清献公(せいけんこう

  宋の大臣、趙抃(ちょうべん(いみな。仁宗、英宗、神宗の三代に仕えた。

 (

  中国古代の王様。

 三苗(さんべう

  苗族ともいい、中国五大の異民族。凶暴で中国政府に反抗したが次第に駆逐される。

徒然草 第百七十段

現代語訳

 たいした用事もなく人の所へ行くのはよくない。用事があったとしても長居は禁物だ。とっとと帰ろう。ずるずる居るのは鬱陶しい。

 人が対面すれば自然と会話が多くなり疲れる。落ち着かないまま、全てを後回しにして、互いに無駄な時間を過ごす羽目になる。内心「早く帰れ」と思いながら客に接するのも良くない。嫌なら嫌と、はっきり言えばいいのである。いつまでも向かい合っていたい心の友が、何となく、「しばらく、今日はゆっくりしよう」と言うのは、この限りではない。阮籍が、気に食わない客を三白眼で睨み、嬉しい客を青い目で見つめたと言う話も、もっともなことだ。

 特に用事が無い人が来て、何となく話して帰るのは、とても良い。手紙でも、「長いことご無沙汰しておりました」とだけ書いてあれば、それで喜ばしい。

原文

 さしたる事なくて人のがり(くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、(く帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。

 人と(むかひたれば、(ことば多く、身もくたびれ、心も(しづかならず、万の事障りて時を移す、(たがひのため(やくなし。(いとはしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなか、その由をも言ひてん。同じ心に(むかはまほしく思はん人の、つれづれにて、「今(しばし。今日(けふは心(しづかに」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍(げんせきが青き(まなこ(たれにもあるべきことなり。

 そのこととなきに、人の(きたりて、のどかに物語して帰りぬる、いとよし。また、(ふみも、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。

注釈

 阮籍(げんせき

  中国、晋の時代の隠者で竹林の七賢の一人。

徒然草 第百六十九段

現代語訳

 「何々のしきたり、という言葉は、後嵯峨天皇の時代までは言わなかった。最近派生した単語のようだ」と、ある人が言っていた。しかし、建礼門院の右京大夫が後鳥羽天皇の即位の後、再び宮仕えして、「世の中のしきたりは何も変わっていない」と書いていた。

原文

 「何事(なにごと(しきといふ事は、後嵯峨(ごさが御代(みよまでは言はざりけるを、近きほどより言ふ(ことばなり」と人の申し(はべりしに、建礼門院(けんれいもんゐん右京大夫(うきやうのだいぶ後鳥羽院(ごとばゐん御位(みくらゐ(のち、また内裏(うち(みしたる事を言ふに、「世の式も変りたる事はなきにも」と書きたり。

注釈

 後嵯峨(ごさが御代(みよ

  後嵯峨天皇が在位した時代。一二四二年から一二四六年。

 建礼門院(けんれいもんゐん右京大夫(うきやうのだいぶ

  平清盛の次女。高倉天皇の中宮で平徳子。右京大夫は、徳子に仕えた女房で、父は能書家の藤原伊行。歌集に『建礼門院右京大夫集』がある。

 後鳥羽院(ごとばゐん

  後鳥羽天皇のこと。

徒然草 第百六十八段

現代語訳

 一芸に秀でた老人がいて、「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」と、言われるまでになれば、年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。しかし、才能を持て余し続けたとしたら、一生を芸に費やしたようで、みみっちくも感じる。隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。

 おおよそ、詳しく知る事でも、ベラベラと言い散らせば小者にしか見えず、時には間違えることもあるだろう。「詳しくは知らないのです」とか何とか謙虚に言っておけば本物らしく、その道のオーソリティにも思われるはずだ。ところが、何も知らないくせに、得意顔で出鱈目を話す人もいる。老人が言うことだけに誰も反撃できず、聞く人が、「嘘をつけ」と思いながらも耐えているのには、恐怖すら覚える。

原文

 年老いたる人の、一事すぐれたる(ざえのありて、「この人の後には、(たれにか問はん」など言はるゝは、(おい方人(かたうどにて、生けるも徒らならず。さはあれど、それも廃れたる所のなきは、一生、この事にて暮れにけりと、拙く見ゆ。「今は忘れにけり」と言ひてありなん。

 大方は、知りたりとも、すゞろに言ひ散らすは、さばかりの(ざえにはあらぬにやと聞え、おのづから(あやまりもありぬべし。「さだかにも(わきまへ知らず」など言ひたるは、なほ、まことに、道の(あるじとも覚えぬべし。まして、知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞きゐたる、いとわびし。

徒然草 第百六十七段

現代語訳

 ある専門家が、違う分野の宴会に参加すると、「もし、これが自分の専門だったら、こうやって大人しくしていることも無かっただろう」と悔しがり、勘違いすることがよくある。何ともせこい心構えだ。知らないことが羨ましかったら、「羨ましい。勉強しておけば良かった」と、素直に言えばいい。自分の知恵を使って誰かと競うのは、角を持つ獣が角を突き出し、牙のある獣が牙をむき出すのと一緒である。

 人間は、自分の能力を自慢せず、競わないのを美徳とする。人より優れた能力は、欠点なのだ。家柄が良く、知能指数が高く、血筋が良く、「自分は選ばれた人間だ」と思っている人は、たとえ言葉にしなくても嫌なオーラを無意識に発散させている。改心して、この奢りを忘れるがよい。端から見ると馬鹿にも見え、世間から陰口を叩かれ、ピンチを招くのが、この図々しい気持ちなのである。

 真のプロフェッショナルは、自分の欠点を正確に知っているから、いつも向上心が満たされず、背中を丸めているのだ。

原文

 一道(いちだう(たづさはる人、あらぬ道の(むしろ(のぞみて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見(はべらじものを」と言ひ、心にも思へる事、(つねのことなれど、よに(わろ(おぼゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に争ふは、(つのある物の、角を傾け、(きばある物の、牙を((だす(たぐひなり。

 人としては、善に伐らず、物と(あらそはざるを徳とす。他に(まさることのあるは、大きなる(しつなり。(しなの高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の(ほまれにても、人に(まされりと思へる人は、たとひ言葉に(でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎あり。慎みて、これを忘るべし。痴にも見え、人にも言ひ(たれ、(わさはひをも招くは、たゞ、この慢心(まんしんなり。

 一道にもまことに(ちやうじぬる人は、自ら、明らかにその非を知る(ゆゑに、志常に(たずして、(つひに、物に(ほこる事なし。

注釈

 一道(いちだう(たづさはる人

  一つの専門を追及する人。芸術、学問、文芸などを言う。

徒然草 第百六十六段

現代語訳

 世間の営みを見ると、ある晴れた春の日に雪だるまを作り、金銀パールで飾って、安置する堂を建てるようなものだ。堂の完成を待って、無事に安置できるだろうか。今、生きていると思っても、足下から溶ける雪のような命である。それでも、人は努力が報われることを期待しているようだ。

原文

 人間の、(いとな(へるわざを見るに、春の日に雪仏(ゆきほとけを作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを(いとなみ、堂を建てんとするに似たり。その(かまへを待ちて、よく安置(あんちしてんや。人の命ありと見るほども、(したより消ゆること雪の如くなるうちに、(いとな(つこと(はなはだ多し。

徒然草 第百六十五段

現代語訳

 東京の田舎者が京都の人にまみれたり、京都の人が関東の片田舎で立身出世したり、所属している寺や本山を飛び出した天台宗・真言宗の僧侶が、自分のテリトリーではない世界で、俗世にまみれているのは、みっともないだけだ。

原文

 吾妻(あづまの人の、(みやこの人に(まじはり、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密(けんみつの僧、すべて、我が俗にあらずして人に(まじはれる、見ぐるし。

注釈

 顕密(けんみつの僧

  顕教の仏教と、密教の仏教。前者は教理が提示されていて分かり易い、天台宗、浄土宗、禅宗など。後者は教理が秘密で、簡単には分からない、台密、東密など。

徒然草 第百六十四段

現代語訳

 街中の人は、人と会えば少しの間も黙っていることができないらしい。必ず何かを話す。聞き耳を立てると、多くは与太話である。浮ついた話。他人の悪口。そんな与太話は、他人を陥れ、自分の品格を下げるだけでクソの足しにもならない。

 そして、与太話は、心に悪影響を与えるのに気がついていないから、尚更たちが悪い。

原文

 世の人(あひ(ふ時、(しばらくも黙止(もだする事なし。必ず言葉あり。その事を聞くに、多くは無益(むやくの談なり。世間(せけん浮説(ふせつ、人の是非(ぜひ、自他のために、(しつ多く、(とく少し。

 これを語る時、互ひの心に、無益(むやくの事なりといふ事を知らず。