途中で失敗したとき

徒然草 第二百三十三段

現代語訳

 何事でも失敗を避けるためには、いつでも誠実の二文字を忘れずに、人を差別せず、礼儀正しく、口数は控え目でいるに越したことはない。男でも女でも、老人でも青二才でも同じ事である。ことさら美男子で言葉遣いが綺麗なら、忘れがたい魅力になろう。

 様々な過失は、熟練した気で得意になったり、出世した気で調子に乗って人をおちょくるから犯すのだ。

原文

 (よろづ(とがあらじと思はば、何事にもまことありて、人を(かず、うやうやしく、言葉少からんには如かじ。男女(なんによ・老少、皆、さる人こそよけれども、(ことに、若く、かたちよき人の、(ことうるはしきは、忘れ難く、思ひつかるゝものなり。

 (よろづ(とがは、(れたるさまに上手(じやうずめき、所得(ところえたる気色(けしきして、人をないがしろにするにあり。

徒然草 第百八十七段

現代語訳

 プロフェッショナルは、例えヘッポコでも、器用なアマチュアと比べれば、絶対に優れている。油断せず、万全に備え、対象を軽く見ることはない。我流とは違うのだ。

 アートやビジネスに限らず、日常生活や気配りは、不器用でも控えめなら問題ない。反対に、器用でも、気ままだと、失敗を招く。

原文

 (よろづの道の人、たとひ不堪(ふかんなりといへども、堪能(かんのう非家(ひかの人に並ぶ時、必ず勝る事は、(たゆみなく慎みて軽々(かるがるしくせぬと、偏へに自由なるとの等しからぬなり。

 芸能・所作(しよさのみにあらず、大方(おほかた振舞(ふるまひ・心(づかひも、(おろかにして慎めるは、(とく(もとなり。(たくみにして欲しきまゝなるは、失の(もとなり。

徒然草 第百七十四段

現代語訳

 スズメ狩りに向いている犬をキジ狩りに使うと、再びスズメ狩りに使えなくなると言う。大物を知ってしまうと小物に目もくれなくなるという摂理は、もっともだ。世間には、やることが沢山あるが、仏の道に身をゆだねることよりも心が満たされることはない。これは、一生で一番大切なことである。いったん仏の道に足を踏み入れたら、この道を歩く人は、何もかも捨てることができ、何かを始めることもない。どんな阿呆だとしても、賢いワンちゃんの志に劣ることがあろうか。

原文

 小鷹(こたかによき犬、大鷹(おほたかに使ひぬれば、小鷹にわろくなるといふ。大に(き小を捨つる(ことわり、まことにしかなり。人事(にんじ多かる中に、道を楽しぶより気味(きみ深きはなし。これ、(まことの大事なり。一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか(すたれざらん、何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。

徒然草 第百五十五段

現代語訳

 一番の処世術はタイミングを掴むことである。順序を誤れば、反対され、誤解を与え、失敗に終わる。そのタイミングを知っておくべきだ。ただし、病気や出産、死になると、タイミングなど無く、都合が悪くても逃れられない。人は、この世に産み落とされ、死ぬまで変化して生き移ろう。人生の一大事は、運命の大河が氾濫し、流れて止まないのと同じなのだ。少しも留まることなく未来へと真っ直ぐ流れる。だから、俗世間の事でも成し遂げると決めたなら、順序を待っている場合ではない。つまらない心配に、決断を中止してはならない。

 春が終わって夏になり、夏が終わって秋になるのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏には秋の空気が混ざっている。秋にはだんだん寒くなり、冬の十月には小春の天気があって、草が青み、梅の花も蕾む。枯葉が落ちてから芽が息吹くのでもない。地面から芽生える力に押し出され、耐えられず枝が落ちるのである。新しい命が地中で膨らむから、いっせいに枝葉が落ちるのだ。人が年老い、病気になり、死んでいく移ろいは、この自然のスピードよりも速い。季節の移ろいには順序がある。しかし、死の瞬間は順序を待ってくれない。死は未来から向かって来るだけでなく、過去からも追いかけてくるのだ。人は誰でも自分が死ぬ事を知っている。その割には、それほど切迫していないようだ。しかし、忘れた頃にやってくるのが死の瞬間。遙か遠くまで続く浅瀬が、潮で満ちてしまい、消えて磯になるのと似ている。

原文

 世に(したがはん人は、先づ、機嫌(きげんを知るべし。(ついで(しき事は、人の耳にも(さかひ、心にも違ひて、その事(らず。さやうの折節(をりふしを心(べきなり。(ただし、(やまひを受け、子(み、死ぬる事のみ、機嫌(きげんをはからず、(ついで(しとて(む事なし。(しやう(ぢゆう((めつの移り変る、(まことの大事は、(たけき河の(みなぎり流るゝが如し。(しばしも(とどこほらず、(ただちに(おこなひゆくものなり。されば、真俗(しんぞくにつけて、必ず(はた(げんと思はん事は、機嫌(きげんを言ふべからず。とかくのもよひなく、足を((とどむまじきなり。

 春暮れて(のち、夏になり、夏(てて、秋の(るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春(こはるの天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて(ぐむにはあらず、(したより(きざしつはるに(へずして落つるなり。(むかふる気、下に(まうけたる(ゆゑに、待ちとる(ついで(はなはだ速し。(しよう・老・病・死の移り(きたる事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご(ついでを待たず。死は、前よりしも(きたらず。かねて(うしろ(せまれり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、(おぼえずして(きたる。(おき干潟(ひかた(はるかなれども、(いそより(しほ(つるが如し。

徒然草 第百五十段

現代語訳

 これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。

 まだ芸がヘッポコなうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑い者になっても苦にすることなく、平常心で頑張っていれば才能や素質などいらない。芸の道を踏み外すことも無く、我流にもならず、時を経て、上手いのか知らないが要領だけよく、訓練をナメている者を超えて達人になるだろう。人間性も向上し、努力が報われ、無双のマイスターの称号が与えられるまでに至るわけだ。

 人間国宝も、最初は下手クソだとなじられ、ボロクソなまでに屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、重要無形文化財として称えられ、万人の師匠となった。どんな世界も同じである。

原文

 (のうをつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に(られじ。うちうちよく習ひ(て、さし(でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も(なら(ることなし。

 (いま堅固(けんごかたほなるより、上手の(なか(まじりて、(そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて(たしなむ人、天性(てんせい、そ(こつなけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能(かんのう(たしなまざるよりは、(つひに上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、(ならびなき名を(る事なり。

 天下(てんがのものの上手といへども、始めは、不堪(ふかんの聞えもあり、無下の瑕瑾(かきんもありき。されども、その人、道の(おきて(ただしく、これを重くして、放埒(はうらつせざれば、世の博士(はかせにて、万人(ばんにんの師となる事、諸道(かはるべからず。

注釈

 不堪(ふかんの聞え

  下手くそだという悪い噂。

 無下の瑕瑾(かきん

  ひどすぎる屈辱。