徒然草 第五十一段

現代語訳

 嵯峨の亀山殿の池に大井川の水を引こうということになり近隣の住民に命令して水車を建設させた事があった。大金をばらまいて時間をかけて丁寧に造った。川に仕掛けたのだが水車は一向に回転しない。色々修理したが、全く回転しないので、とうとう廃墟と化した。

 そこで宇治川沿いに暮らす土着民を呼びだして水車を建設させたら簡単に完成させて、思い通りにクルクル回り水を汲み上げる姿が気持ちよかった。

 何事もプロの技術は尊敬に値する。

原文

 亀山殿(かめやまどの御池(みいけに大井川の水をまかせられんとて、大井の土民(どみんに仰せて、水車(みづぐるまを作らせられけり。多くの(あしを給ひて、数日(すじつ(いとな(だして、掛けたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたづらに立てりけり。

 さて、宇治(うぢ里人(さとびとを召して、こしらへさせられければ、やすらかに(ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み(るゝ事めでたかりけり。

 (よろづに、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

注釈

 応長(おうちやう

  延慶(えんきょう四年(一三一一年)三月以降と思われる。この話の結末にある疫病のため、同年四月に応長と改元された。

 亀山殿(かめやまどの

  後嵯峨上皇が嵯峨に増築した仙洞御所のこと。

 大井川

  桂川が嵐山の庵を流れるときの名称。

 宇治(うぢ

  京都府宇治市。古来から水車が多いことで知られていた。

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