徒然草 第百五十六段

現代語訳

 大臣昇進のお披露目は、しかるべき会場を用意して開催するのが通例である。頼長左大臣は東三条殿で行った。近衛天皇の皇居だが、会場に申請されたので、天皇は他へ避難した。親しい間柄でなくても、皇室の女性の住まいを借り上げるのが、古来の習わしである。

原文

 大臣(だいじん大饗(だいきやうは、さるべき所を申し請けて(おこなふ、常の事なり。宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどのは、東三条殿(とうさんでうどのにて行はる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所(たしよ行幸(ぎやうがうありけり。させる事の(せなけれども、女院(にようゐん御所(ごしよなど(り申す、故実(こしつなりとぞ。

注釈

 大臣(だいじん大饗(だいきやう

  大臣に任命された人が開催する、披露宴。

 宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどの

  藤原頼長。左大臣。保元の乱に参加し、白河殿の戦いで流れ矢にあたり死ぬ。

 東三条殿(とうさんでうどの

  二条大路の南、町口小径の西にあった邸宅。

 行幸(ぎやうがう

  天皇がお出かけすること。

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