現代語訳
北条時頼が鶴岡八幡宮へ参拝したついでに、足利義氏のところへ、「これから伺います」と使いを出して立ち寄った。主の義氏が用意した献立は、お銚子一本目に、アワビ、お銚子二本目に、エビ、お銚子三本目に、蕎麦がきだった。この宴席には、主人夫婦の他に、隆弁僧正が出席して座っていた。宴もたけなわになると、時頼は、「毎年頂く、足利地方の染め物が待ち遠しくて仕方ありません」と言うのだった。義氏は「用意してあります」と、百花繚乱に染め上がった三十巻の反物を広げ、その場で女官に、シャツに仕立てさせて、後で送り届けたそうだ。
それを見ていた人が最近まで生きていて、その話をしてくれた。
原文
最明寺入道 、鶴岡 の社参 の次 に、足利左馬入道 の許 へ、先づ使を遣して、立ち入 られたりけるに、あるじまうけられたりける様 、一献 に打ち鮑 、二献に海老、三献にかいもちひにて止みぬ。その座には、亭主夫婦、隆辨僧正 、主方 の人にて座せられけり。さて、「年毎に給はる足利 の染物、心もとなく候 ふ」と申されければ、「用意し候 ふ」とて、色々の染物三十、前にて、女房 どもに小袖 に調 ぜさせて、後に遣 はされけり。
その時見たる人の、近くまで侍 りしが、語り侍りしなり。
注釈
北条時頼。鎌倉幕府五代目の執権である。三十歳で執権を辞し、出家。道崇と称す。第百八十四段参照。
鶴岡八幡宮。鎌倉市にある。
足利義氏。足利家三代目当主。
四条大納言隆房卿の子。権僧正。鶴岡別当僧正と呼ばれる。