つれづれぐさ(上)

徒然草 第二十六段

現代語訳

 恋の花片が風の吹き去る前に、ひらひらと散っていく。懐かしい初恋の一ページをめくれば、ドキドキして聞いた言葉の一つ一つが、今になっても忘れられない。サヨナラだけが人生だけど、人の心移りは、死に別れより淋しいものだ。

 だから、白い糸を見ると「黄ばんでしまう」と悲しんで、一本道を見れば、別れ道を連想して絶望する人もいたのだろう。昔、歌人が百首づつ、堀川天皇に進呈した和歌に、

   恋人の垣根はいつか荒れ果てて野草の中ですみれ咲くだけ

 という歌があった。

 好きだった人を思い出し、荒廃した景色を見ながら放心する姿が目に浮かぶ。

原文

 風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし(ことの葉ごとに忘れぬものから、我が世の(ほかになりゆくならひこそ、(き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。

 されば、白き(いと(まんことを(かなしび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川院(ほりかはのゐんの百首の歌の中に、

   昔見し(いも墻根(かきねは荒れにけり((ばなまじりの(すみれのみして

 さびしきけしき、さる事侍りけん。

注釈

 堀川院(ほりかはのゐんの百首の歌

  堀河天皇の時代に、十六人の廷官が、題を決めて、一人百首、合計千六百首を詠んで進呈した歌。

徒然草 第二十五段

現代語訳

 気ままに流れる飛鳥川は、昨日まで深かった場所が、翌日には浅瀬になっている。人の生きる世界も永遠に今の状態で続くことはない。時は過ぎ、始まりは終わりになり、喜びや悲しみも過ぎ去る。繁華街も整地されて原野となり、古民家の住人も過去に住んだ人とは違う。昔から咲いているのは、桃やスモモの木だけだ。彼らはコミュニケーション能力を持たないから、昔日の繁栄を語り継ぐ術を持たない。だから、見たこともない太古の大遺跡は、あぶくと一緒だ。

 京極殿や法成寺の廃墟を見ると、施工主の願いが叶わず、都市計画の跡形さえないので、心に淋しい風を立てる。藤原道長がデベロッパーとなり、土地を転がし、複合施設を建設してピカピカに磨き上げた。当時は「自分の肉親だけが天皇を食い物にして、いつまでもこんな日が続きますように」と願っていただけに、どんな世界になろうとも、ここまでメチャクチャになるとは想像さえしなかっただろう。寺院の門や、本殿は最近まで残っていたが、花園天皇の時代に南の門が火災にあった。本殿も地震で倒壊し、復旧計画は無い。阿弥陀堂だけは現存しており、五メートル弱の仏像が九体並び「我関せず」と他人事のように安置されている。達筆な藤原行成が書いた額縁や、源兼行が書いた扉の文字が鮮やかに残っている光景は、異様なほど虚しい。仏道修行をする建物もまだ残っているが、そのうち燃えて無くなるだろう。このような伝説さえなく、建物の基礎だけある場所などは、知る人もなく、いかなる物か謎だけが残る。

 この例からも、自分の死後、見ることが不可能な世界のことを思って、何かを計画するのは、森羅万象、無駄であり意味がない。

原文

 飛鳥川(あすかがは淵瀬(ふちせ、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李(たうりもの言はねば、(たれとともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

 京極殿(きやうごくどの法成寺(ほふじやうじなど見るこそ、志(とどまり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿(みだうどのの作り磨かせ給ひて、庄園(しやうゑん多く寄せられ、我が御族(おんぞうのみ、御門(みかど御後見(おんうしろみ、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門(だいもん金堂(こんだうなど近くまでありしかど、正和(しやうわ(ころ、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院(むりやうじゆゐんばかりぞ、その形とて残りたる。丈六(ぢやうろくの仏九体、いと(たふとくて並びおはします。行成(かうぜいの大納言の額、兼行(かねゆきが書ける(とびら、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華(ほつけだうなども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき(いしづゑばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

 されば、万に、見ざらん世までを思ひ(おきてんこそ、はかなかるべけれ。

注釈

 飛鳥川(あすかがわ

  奈良県高市群明日香村を流れる川。流れや流域が季節によって変わるため無常の象徴とされた。「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬となる」という歌から「飛鳥川の淵瀬」は「常ならぬ」の序詞になった。

 桃李(とうり

  『和漢朗詠集』に「桃李(ものいハズ、春(いくばくカ暮レヌル。煙霞(えんか(あと無シ。昔(たれ(ンジ」とある。

 京極殿(きょうごくどの

  藤原道長の邸宅。土御門弟(つちみかどていとも。土御門の南、京極の西にあったが全焼した。

 法成寺(ほうじょうじ

  道長が京極殿の東、鴨川近くに建設した大寺。

 御堂殿(みだうどの

  藤原道長(注釈4参照)のこと。法成寺の阿弥陀堂(無量寿院、注釈9参照)を京極御堂と呼んだため。

 御門(みかど御後見(おんうしろみ

  天皇の政治における後見役。

 大門(だいもん

  寺院の総門。法成寺には東西南北に門があった。

 金堂(こんどう

  伽藍の中心にある、本尊をまつる仏殿。

 正和(しょうわ(ころ

  花園天皇の時代。千三百十二年から千三百十七年の頃。

 無量寿院(むりょうじゅいん

  法成寺の阿弥陀堂の名前。

 行成(こうぜいの大納言

  藤原行成。平安時代中期の廷臣。多芸多才で名を馳せる。三蹟の一人。

 兼行(かねゆき

  源兼行。能書家。

 法華(ほっけどう

  天台宗で法華三昧の行を行う仏堂のこと。法華三昧堂の略。

徒然草 第二十四段

現代語訳

 神に仕える斎宮が選定され、伊勢神宮に籠もる前に嵯峨野で身を清めている姿は世界一、優美であるに違いない。「お経」とか「仏様」という忌み言葉を使わず「染めた紙」とか「中子」などと呼び、縁起を担いでいるのは面白い。

 どこでも神社というのは、素通りできないほど神がかっている。古びた森の姿が、ただ事ではない様子を呈しているところに、周りに塀を作って、榊の葉に白い布が掛けられている姿は、オーラを感じずにはいられない。そんな神社の中でも特におすすめスポットは、伊勢神宮、二つの賀茂神社、奈良の春日大社社、京都の平野神社、大阪の住吉大社、奈良県桜井市三輪町の大神神社、京都市の貴船神社、同じく吉田神社、大原野神社、松尾神社、梅宮神社、などである。

原文

 斎宮(さいわうの、野宮(ののみやにおはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。「(きやう」「(ほとけ」など忌みて、「なかご」「染紙(そめがみ」など言ふなるもをかし。

 すべて、神の(やしろこそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣(たまがきしわたして、榊木(さかき木綿(ゆふ(けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日(かすが・平野・住吉・三輪・貴布禰(きぶね・吉田・大原野(おおはらの松尾(まつのを梅宮(うめのみや

注釈

 斎宮(さいわう

  天皇の即位の際に皇室から選定され、伊勢神宮に奉仕する未婚の姫、女王。

 野宮(ののみや

  斎宮に選ばれた姫、女王が身を清めるための建物。京都、嵯峨野にあった。

 「(きやう」「(ほとけ」など忌みて、「なかご」「染紙(そめがみ」など言ふ

  『延喜式』には「(およソ、忌詞(いみことば、内七言、仏ハ中子(なかごト称シ、経ハ染紙(そめがみト称シ、塔ハ阿良良岐(あららぎト称シ、僧ハ髪長(かみながト称シ、尼ハ女髪長ト称シ、(いもひ片膳(かたしきト称す」とある。

 玉垣(たまがき

  神社の周囲を巡る塀のこと。

 木綿(ゆふ

  (こうぞの皮を剥いで作った生地。榊の枝に掛けて奉納に使われる。

 伊勢・賀茂・春日(かすが・平野・住吉・三輪・貴布禰(きぶね・吉田・大原野(おおはらの松尾(まつのを梅宮(うめのみや

  伊勢市の伊勢神宮。京都市の賀茂別雷神社、賀茂御祖神社。奈良市の春日大社。京都市の平野神社。大阪市の住吉大社。奈良県の大神神社。京都市の貴船神社。京都市の吉田神社。京都市の大原野神社。京都市の松尾神社。京都市の梅宮神社。

徒然草 第二十三段

現代語訳

 「やんぬるかな。世も末です」と、人は言うけれど、昔から受け継がれている宮中の行事は、浮世離れしていて、クラクラするほど煌びやかだ。

 板張りを「露台」と呼んだり、天皇がおやつを食べる間を「朝餉」と言ったり、「なんとか殿」とか「かんとか門」などと曰くありげに名付けられていると、特別な感じがする。建て売り住宅によくありそうな小窓、板の間、扉ななども、皇居では眩しく輝いている。警備員が「夜勤の者、それぞれの受け持ちに灯りをつけなさい」と言えば、敬虔な気持ちにさえなってしまう。ましてや、天皇のベッドメイキングの際に「間接照明を早く灯せ」などと言うのは、格別である。隊長が司令部から指示を出す際は当たり前だが、実行部隊が神妙な顔をして、それらしく振る舞っているのも面白い。眠れないほど寒い夜なのに、あちこちで居眠りをしている人がいるのも、気になる。そう言えば「女官が温明殿に天皇が来たことを知らせる鈴の音は優雅に響き渡る」と、藤原公孝が言っていた。

原文

 衰へたる末の世とはいへど、なほ、九重(ここのへの神さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。

 露台(ろだい朝餉(あさがれひ何殿(なにどの・何門などは、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀(こじとみ小板敷(こいたじき高遣戸(たかやりどなども、めでたくこそ聞こゆれ。「陣に((まうけせよ」と言ふこそいみじけれ。夜御殿(よるのおとどのをば、「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。上卿(しようけいの、陣にて事行へるさまはさらなり、諸司の下人(しもびとどもの、したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに(ねぶり居たるこそをかしけれ。「内侍所(ないしどころ御鈴(みすずの音は、めでたく、(いうなるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣(とくだいじのおほきおとど(おほせられける。

注釈

 九重(ここのえの神

  皇居の門は九重に厳戒することによる。

 露台(ろだい

  紫宸殿と仁寿殿の間にある板張り。

 朝餉(あさがれひ

  清涼殿の天皇がおやつを食べる間。

 何殿(なにどの・何門

  皇居にある建物や門をまとめて言っている。

 小蔀(こじとみ

  跳ね上げるタイプの窓。

 小板敷(こいたじき

  廊下、板の間。

 高遣戸(たかやりど

  左右に開く扉。

 夜御殿(よるのおとど

  清涼殿の天皇の寝室。ここでは、そこに準備する灯りのこと。

 上卿(しょうけい

  儀式のリーダーで、運営する公家。平たく言うと幹事。

 諸司

  宮中の諸役所の下級役人。

 内侍所(ないしどころ御鈴(みすずの音

  三種の神器の一つである「神鏡」が置かれている温明殿(うんめいでんに天皇が参拝したことを知らせる女官の鈴の音。

 徳大寺太政大臣(とくだいじのおおきおとど

  藤原公孝(きんたかのこと。

徒然草 第二十二段

現代語訳

 何を考えるにしても、古き良き時代への憧れは募るばかりだ。最先端の流行は見窄(みすぼらしく、野暮ったい。たんす職人の名工がつくった道具なども、伝統的なほうが存在感がある。

 昔に書かれた手紙は、たとえチリ紙交換に出す物でも素晴らしい。日常生活で使う言葉なども、退化してしまったみたいだ。昔は「車を発車させてください」とか「電気をつけてください」と言っていたのに、最近では「発車!」とか「点灯!」などと言っている。照明係に「立ち上がり整列して灯りをともせ」と言えばよいものを「立ち上がって明るくしろ」と言うようになったり、世界平和を祈る儀式の特設会場に作った「大会委員本部席」を「本部」と略すようになったのは「誠に遺憾である」と頑固で古風な老人が言っていた。

原文

 何事も、古き世のみぞ(したはしき。今様(いまようは、無下(むげにいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の(たくみの造れる、うつくしき器物(うつはも、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

 (ふみ(ことばなどぞ、昔の反古(ほうごどもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮(とのもれう人数(にんじゆだて」と言ふべきを、「たちあかし、しろくせよ」と言ひ、最勝講(さいしようこう御聴聞所(みちやうもんじよなるをば「御講(ごこう(」とこそ言ふを、「講廬(かうろ」と言ふ。(くちをしとぞ、古き人は(おほせられし。

注釈

 今様(いまよう

  現代の流行。現代風。

 木の道の(たくみ

  指物師。

 反故(ほうご

  「ほご」とも。書き汚した不要の紙。

 主殿寮(とのもりょう

  宮中にて庶務を扱う人が待機している場所。

 最勝講(さいしょうこう

  東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺の四大寺からトップクラスの僧侶を呼び寄せて、宮中で天下太平を祈る仏事。

 御聴聞所(みちょうもんじょ

  「最勝講」が行われる場所。

 御講(ごこう(

  「(いお」は臨時のテントの事だと思われる。用例が他にないため不明。ここでは、臨時の御座所のことか。

徒然草 第二十一段

現代語訳

 どんなに複雑な心境にあっても、月を見つめていれば心が落ち着く。ある人が「月みたいに感傷的なものはないよ」と言えば、別の人が「露のほうが、もっと味わい深い」と口論したのは興味深い。タイミングさえ合っていれば、どんなことだって素敵に変化していく。

 月や花は当然だけど、風みたいに人の心をくすぐるものは、他にないだろう。それから、岩にしみいる水の流れは、いつ見ても輝いている。「沅水や湘水が、ひねもす東のほうに流れ去っていく。都会の生活を恋しく思う私のために、ほんの少しでも流れを止めたりしないで」という詩を見たときは鳥肌が立った。嵆康も「山や沢でピクニックをして、鳥や魚を見ていると、気分が解放される」と言っていたが、澄み切った水と草が生い茂る秘境を意味もなく徘徊すれば、心癒されるのは当然である。

原文

 (よろづのことは、月見るにこそ、(なぐさむものなれ。ある人の、「月ばかり面白(おもしろきものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

 月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「(げん(しやう、日夜、(ひんがしに流れ(る。愁人(しうじんのために止まること少時(しばらくもせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。嵆康(けいかうも、「山沢(さんたくに遊びて、魚鳥(ぎよてうを見れば、心楽しぶ」と言へり。人(とほく、水草(きよき所にさまよひありきたるばかり、心(なぐさむことはあらじ。

注釈

 (げん(しやう

  唐の詩人、戴淑倫(たいしゅくりんの「湘南即事」の転結の二句を引用している。起承の句は「廬橘花開キテ楓葉衰フ。門ヲ出デテ何レノ処ニカ京師ヲ望マン」沅・湘はともに杭州にある川の名前。

 嵆康(けいこう

  魏の文人。竹林の七賢の一人。

徒然草 第二十段

現代語訳

 名もなき路上のアナーキストが「生きているのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった僕でも、空を見て放心していると日々の移ろいに名残惜しいなんて思っちゃいます」と言っていたのは、そうだと思った。

原文

 (なにがしとかやいひし世捨人(よすてびとの、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残(なごりのみぞ(しき」と(ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

注釈

 空の名残(なごり

  空から舞ってきて心に残る事象。「嵐のみ時々窓におとづれて明けぬる空の名残をぞ思う」『山家集』より。

徒然草 第十九段

現代語訳

 巡る季節に心が奪われてしまう。

 「心が浮き立つのは秋が一番」と、誰でも言いそうで、そんな気もするが、心が空いっぱいに広がるのは春の瞬間だ。鳥の鳴き声は春めいて、ぽかぽかの太陽を浴びた花畑が発芽すれば、だんだん春も本番になる。霞のベールで包まれていた花々の蕾が少しずつ開きかけた刹那の雨風に花びらは彗星のように散っていく。桜が毒々しく青葉を広げる頃まで、様々なことにふわふわして切ない。「橘の花の香りは昔のことを思い出す」という短歌もあったが、やはり梅の香の方が、記憶をフラッシュバックさせ、恋しく切ない気持ちにさせる。山吹の花が青春時代のように咲き乱れ、藤の花がゆらゆらと消えそうに咲いているのを見ると、記憶を忘却すること自体もったいなく感じる。

 「釈尊の誕生日の頃、それから葵祭りの頃、若葉の梢が涼しそうに茂っている頃になると、世界との関係を思って人恋しくなり心臓が破裂しそうだ」と誰かが言っていたが、本当にそうだと思う。端午の節句に菖蒲の花を屋根から下げる頃、田植えをする頃、クイナが戸を叩くように鳴き叫んだりして、心細くさせないものは何一つとしてない。六月、荒ら屋に夕顔の花が白く見え隠れする陰で、蚊取り線香の煙がゆらゆら揺れているのは、郷愁を誘う。六月の最後の日に水辺で神様に汚れた世間を掃除してもらう儀式は、不思議で面白い。

 七夕祭りもゴージャスだ。だんだんと夜が寒くなる頃、雁が北の空から鳴きながら渡ってくる頃、萩の葉が赤く染まる頃、最初の稲を刈って天日干しにしたりして、心奪われることが一遍に過ぎ去っていくのは、秋の季節に多い。大地を切り裂く秋風の翌朝は、これも不思議な気分がする。このまま書き続ければ『源氏物語』や『枕草子』に書き尽くされた事の二番煎じになるだけだが「同じことを二回書いてはいけない」という掟はないのだから筆にまかせる。思ったことを言わないで我慢すれば、お腹がふくれて窒息してしまうに違いないからだ。筆が自動的に動いているだけで、ちっぽけな自慰のようなものであって、丸めてゴミ箱に捨ててしまうようなものだから、これは自分専用なのである。

 ところで、冬の枯れ果てた風景だって、秋の景色に劣ることもない。池の水面にもみじの葉が敷きつめられ、霜柱が真っ白に生えている朝、庭に水を運ぶ水路から湯気が出ているのを見るとわくわくした気分になる。年が暮れてしまって、誰もが忙しそうにしている頃は、特別に煌びやかである。殺風景なものの象徴として、誰もが見向きもしない冬のお月様は、冷たく澄みわたった二十日過ぎの夜空で淋しそうに光っている。宮中での懺悔や断罪、墓参りの貢ぎ物が出発する姿は、心から頭が下がる。宮中の儀式が次から次へとあり、新春の準備もしなくてはいけないのは、大変そうだ。大晦日に鬼やらいをし、すぐに一般参賀が続くのも面白い。大晦日の夜、暗闇をライトアップして、朝まで他人の家の門を叩いて走り回り、何がしたいのかわからないけど、「ガー、ピー」と騒ぎ立て、蠅のように飛び回っている人たちも、夜明け前には疲れ果てて大人しくなり、年が去っていく淋しさを思わせる。精霊が降臨する夜だから鎮魂をするということも、もう都会では皆無だが、関東の田舎で続いているのだから感激だ。

 こうして、元旦の夜明けは、見た目に普段の朝と変わりないが、状況がいつもと違うので特別な心地がする。表通りの様子も松の木を立てて、きらきらと嬉しそうに笑っているから、格別である。

原文

 折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に墻根(かきねの草萌えいづる頃より、やや春深く霞みわたりて、花もやうやうけしきだつ程こそあれ、折しも、雨風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばなは名にこそ負へれ、なほ、梅の(にほひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、(ふぢのおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

 「灌仏(くわんぶつの比、祭の比、若葉の、(こずゑ涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月(さつき菖蒲(あやめふく比、早苗(さなへとる(ころ水鶏(くひなの叩くなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき(ころ、あやしき家に夕顔(ゆうがほの白く見えて、蚊遣火(かやりびふすぶるも、あはれなり。六月祓(みなづきばらへ、またをかし。

 七夕(たなばた祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(よさむになるほど、(かり鳴きてくる比、萩の下葉(したば色づくほど、早稲田(わさだ((すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分(のわき(あしたこそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語(げんじのものがたり枕草子(まくらざうしなどにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ(り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

 さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。(みぎはの草に紅葉の散り止まりて、(しもいと白うおける(あした遣水(やりみずより(けぶりの立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余り空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名(おぶつみやう荷前(のさき使(つかひ立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事(くじども繋く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるゝさまぞ、いみじきや。追儺(ついなより四方拝(しはうはいに続くこそ面白(おもしろけれ。晦日(つごもりの夜、いたう(くらきに、松どもともして、夜半(よなか過ぐるまで、人の、(かど叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を(そらに惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残(なごりも心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて(たま祭るわざは、このごろ都にはなきを、(あづまのかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路(おほちのさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

注釈

 花橘(はなたちばな

  五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする『古今集』(橘の花は昔を思い出させるものとして有名だが)『伊勢物語』の六十段にこの歌にまつわる話がある。

 灌仏(かんぶつ

  陰暦四月八日の釈尊の誕生日に、釈尊のイコンに聖水をかける行事。

 祭

  賀茂神社の葵祭で当時は四月中旬の酉の日に行われた。

 六月祓(みなづきばらえ

  六月の晦日に水辺で行われるお祓いのこと。

 七夕(たなばた

  七夕の夜に牽牛と織女の星が再会を祭り、芸事の上達を祈願した。

 枕草子

  平安時代中期の女流作家、清少納言が記した随筆。

 御仏名(おぶつみょう

  仏名会(ぶつみゃうえの略で十二月二十九日から三日間、清涼殿で懺悔、滅罪する儀式。

 荷前(のさき

  諸国からの貢ぎ物を十陵八墓に備えるために、勅使が出発すること。

 追儺(ついな

  大晦日、宮中で行われた鬼やらいの行事。

 四方拝(しほうはい

  元旦の明け方、天皇が一般参賀をして下々の健康と作物の豊作を祈ること。

徒然草 第十八段

現代語訳

 人は、無くても良い物を持ったりせず、欲張るのをやめて、貴金属も持たず、「他人が羨むようになりたい」などと考えないのが一番偉い。今日まで人格者が高額納税者になったなどという話は、お伽噺でしか聞いたことがない。

 昔、中国に許由さんという人がいた。その人は身の回りの所持品がなかったから、水は手で(すくって飲んでいた。それを見た人が、柄杓を買い与え、木の枝にかけておくという余計なお世話を焼いた。すると、柄杓は風に吹かれてカラカラと音を立てるので、許由さんは「うるせぇ」とおっしゃって、投げ捨ててしまった。そうして、また手で掬って水を飲んでいたそうな。きっと許由さんは、せいせいした気持ちだったに違いない。また、孫晨さんという人は、クソ寒い冬の季節にも、お布団がなかったので、納豆みたいに藁にくるまって寝て、朝が来ると藁を片づけたという。

 昔々の中国人は、こんなことが伝説に値すると思ったから本に書いたのだろう。この近所に住んでいる人なら、こんな話は素通りして語り伝えたりはしない。

原文

 人は、(おのれれをつゞまやかにし、(おごりを退けて、(たからを持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の(めるは(まれなり。

 唐土(もろこし許由(きよいうといひける人は、さらに、身にしたがへる(たくはへもなくて、水をも手して(ささげて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に(むすびてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨(そんしんは、冬の月に衾なくて、(わら一束(ひとつかありけるを、夕べにはこれに(し、(あしたには(をさめけり。

 唐土(もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、(しるし止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

注釈

 唐土(もろこし

  昔の中国。

 許由(きょゆう

  中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者。

 孫晨(そんしん

  『古注蒙求』に「三輔決録(さんぽけつろくニ孫晨、字ハ元公(げんこう。家貧シク、(むしろを織リテ業ト為ス。詩書ニ明ラカナリ。京兆(けいてふノ功曹ト為ル。冬月、(ふすま無ク、藁一束アリ。暮ニ臥シ。朝ニ収ム」とある。

徒然草 第十七段

現代語訳

 山寺にこもって、ホトケ様をいたわっていると「ばかばかしい」と思った気持ちも消え失せて、脳みその汚れをゴシゴシと洗濯してもらっている気分がする。

原文

 山寺にかきこもりて、仏に(つかうまつるこそ、つれづれもなく、心の(にごりも(きよまる心地すれ。

注釈

 心の(にご

  この世での欲求や煩悩。