徒然草

徒然草 第十三段

現代語訳

 ひとり淋しく懐中電灯の下で本を広げて、昔の文筆家たちと友情関係を育むことは、安心できて、楽しさのあまり心臓が停止してしまうぐらいに心が穏やかになる。

 読書では、昭明太子が選んだのめり込みそうな詩集たちや、白楽天の詩や、老子のありがたい言葉や、荘周の道徳本などがよい。ニッポンの偉い先生方が書いたものだと、古い時代に書かれたものであれば信頼できるものも多い。

原文

 ひとり、(ともしびのもとに(ふみをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

 (ふみは、文選(もんぜんのあはれなる巻々、白氏文集(はくしもんじゆう、老子のことば、南華(なんくわの篇。この国の博士(はかせどもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

注釈

 文選(もんぜん

  中国南北朝時代、梁の昭明太子によって編纂された詩文集。

 白氏文集(はくしもんじゆう

  唐の文学者、白楽天(はくらくてん白居易(はくきょい)の詩文集。

 老子

  春秋時代の思想家。または老子によって記された『老子道徳経』のこと。

 南華(なんくわ

  『荘子』のこと。荘周の著書とされる道家の文献。『南華真経』とも。「南華(なんか」は荘子が隠棲した地の名前

徒然草 第十二段

現代語訳

 自分と同じ心を持っている人がいれば、水入らずに語りあい、興味深い話題や、どうでもよいつまらない与太話でも、お互いに歯に衣を着せず話し、癒しあうことができて、こんなに嬉しいことはない。でも、そういう人は都合よくいるわけなく、たいていの場合は、相手を逆上させないように適当に相槌を打って話す羽目になる。すると鏡に向かって話しているような気分になり、虚しくなる。

 同じ結論の話であれば「そうだね」と聞いてみる価値もあるけれど、違った意見であったならば「そんなことはない」と論争が勃発し「そうしたら、こうなるではないか」などと議論になる。それはそれで退屈な気持ちから解放されて良いのかもしれない。けれども本当は、小さな愚痴も受け止めてもらえない人と話していたら、とりとめのない話をしているうちは良いけれど、魂まで交流できる友達と比べたら宇宙の彼方にいる人と話しているようで、切ない気持ちになる。

原文

 同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ(なぐさまんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ(たがはざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。

 たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方(おほかたのよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに(へだたる所のありぬべきぞ、わびしきや。

注釈

 我と等しからざらん人

  『伊勢物語』第百二十四段の「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」をふまえているようである。

 よしなしごと

  序段を参照のこと。

徒然草 第十一段

現代語訳

 神様たちが出雲へ会議に出かける頃、栗栖野というところを越えて、とある山奥を徘徊し、果てしない苔の小径を歩いて奥へと進み、落ち葉を踏みつぶして歩くと、一軒の火をつけたらすぐに全焼しそうなボロ屋があった。木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる雫の音以外は、全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、菊とか紅葉が飾ってあるから、信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。

 「まったく凄い奴がいるものだ、よくこんな生活水準で生きて行けるなあ」と心ひかれて覗き見をしたら、向こうの方の庭にばかでかいミカンの木がはえていて、枝が折れそうなぐらいミカンがたわわに実っているのを発見した。そのまわりは厳重にバリケードで警戒されていた。それを見たら、今まで感動していたことも馬鹿馬鹿しくなってしまい「こんな木はなくなってしまえ」とも思った。

原文

 神無月(かみなづき(ころ栗栖野(くるすのといふ所を過ぎて、ある山里に尋ね(る事(はべりしに、(はるかなる(こけの細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる(いほりあり。木の葉に埋もるゝ懸樋(かけひのじづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚(あかだなに菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。

 かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子(かうじの木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく(かこひたりしこそ、(すこしことさめて、この木なからましかばと(おぼえしか。

注釈

 神無月(かみなづき

  千三百十三年、十月のことと考えられる。

 栗栖野(くるすの

  山城国宇治群、現在の京都市山科区山科。

 懸樋(かけひ

  泉から水を引くための樋。

 閼伽棚(あかだな

  仏前の供える聖水を入れる器を載せる棚のこと。

徒然草 第十段

現代語訳

 住まいの建築様式は、バランスが理想的であってほしい。短い人生の仮寝の宿と知りつつも気になるものだ。

 優良市民が閑静に住み続けている所は、降りそそぐ月光が、よりいっそう心に浸みる。流行の最先端を走っているわけでもなく、華美でもなく、植えてある木々が年代物で、自然に生い茂っている庭の草も趣味がよく、縁側の(の子や透かしてある板塀の案配もちょうどよく、その辺に転がっている道具類も昔から大事に使っている感じがするのは、大変上品である。

 それに引き替え、大人数の大工が汗水たらしながら磨いた「メイド・イン・チャイナ」とか「メイド・イン・ジャパン」とか言う、珍品、貴重品などを陳列したり、植え込みの草木まで不自然で人工的に仕上げたものは、目を背けたくなるし、見ると気分が悪くなる。そこまでして細部にわたって拘って建築したとしても、いつまでも住んでいられるわけがない。「すぐに燃えてなくなってしまうだろう」と見た瞬間に想像させるだけの代物である。たいていの建築物は、住んでいる奴の品格が自然と滲み出てくるものだ。

 後徳大寺で坊さんになった藤原実定が、ご本殿の屋根にトンビがクソを垂れないように縄を張っていた。それを西行が見て「トンビがとまってクソをまき散らしたとしても、何も問題はありません。ここの亭主のケツの穴といったら、だいたいこの程度のものでしょう」と、この家に近寄ることは無くなったと聞いた。綾小路宮が住んでいる小坂殿という建物に、いつだか縄が張ってあったので、後徳大寺の実定を思い出したのだが「カラスが群をなして池のカエルを食べてしまうのを綾小路宮が見て、可哀想に思ったから、こうしているのだ」と誰かが言っていた。何とも健気なことだと感心した。もしかしたら、後徳大寺にも何か特別な理由があったのかも知れない。

原文

 家居(いえゐのつきづきしく、あらまほしきこそ、(かり宿(やどりとは思へど、興あるものなれ。

 よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きらゝかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子(すのこ透垣(すいかいのたよりをかしく、うちある調度も昔(おぼえてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。

 多くの(たくみの、心を尽してみがきたて、(からの、大和(やまとの、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽(せんざいの草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時の((けぶりともなりなんとぞ、うち見るより思はるゝ。大方は、家居(いえゐにこそ、ことざまはおしはからるれ。

 後徳大寺大臣(ごとくだいじのおとどの、寝殿(しんでんに、(とびゐさせじとて(なはを張られたりけるを、西行が見て、「(とびのゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は(まゐらざりけると聞き(はべるに、綾小路宮(あやのこうぢみやの、おはします小坂殿(こさかどのの棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かの(ためし思ひ出でられ(はべりしに、「まことや、(からす(れゐて池の(かへるをとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる(ゆゑか侍りけん。

注釈

 (かり宿(やど

  無常の世の中では、家は一時の宿でしかない。「旅の空かりの宿りと思へどもあらまほしきはこの住まいかな……人生という長旅のようなものの住まいは、空を飛ぶ雁が空を住まいにしているようなものだけど、やっぱり我が家が一番である」明恵上人歌集。

 簀子(すのこ透垣(すいかい

  ひさしに夜露がたまらないように造られた縁側と、竹や細い板で造られた檻のような塀のこと。

 前栽(せんざい

  庭の植え込みのこと。

 後徳大寺大臣(ごとくだいじのおとど

  藤原実定。新古今時代の歌人。祖父実能(さねよし徳大寺左大臣(とくだいじのおとどと呼ばれていたので、区別するために「後」と呼ばれている。祖父実能は西行の師であった。

 西行

  俗名佐藤義清(のりきよで、私家集に『山家集』がある。

 綾小路宮(あやのこうぢみや

  亀山天皇の第十二皇子で、性恵法親王。妙法院の跡継ぎだった。

徒然草 第九段

現代語訳

 女の子の髪の毛はなんてハラショーなのだろう。男の子だったら、みんなが夢中になってしまう。けれども、女の子の性格だとか人柄は、障子やすだれ越しに少しお話しただけでもわかってしまうものだ。

ささいなことで女の子が無邪気に振る舞ったりしただけでも、男の子はメロメロになってしまう。そして女の子が、ほとんどぐっすりと眠ったりはしないで「わたしの体なんてどうなってもいいの」と思いながら普通なら辛抱たまらんことにも健気に対応しているのは一途に男の子への愛欲を想っているからなのである。

 人を恋するということは、自分の意志で作り出しているものじゃないから、止まらない気持ちを抑えることはどうにもできない。人間には、見たい、聞きたい、匂いかぎたい、舐めたい、触りたい、妄想、という六つの欲望があるけれども、これらは、百歩ゆずれば我慢できなくもない。しかし、その中でもどうしても我慢できないことは、女の子を想って切なくなってしまうことである。死にそうな爺さんでも、青二才でも、知識人と呼ばれる人でも、コンビニにたむろしている人でも、なんら違いがないように思われる。

 だから「女の子の髪の毛を編んで作った縄には、ぞうさんをしっかり繋いでおくことができ、女の子の足のにおいがする靴で作った笛の音には、秋に浮かれている鹿さんが、きっと寄ってくる」と言い伝えられているのだ。男の子が気をつけて「恐ろしい」と思い、身につまされなくちゃいけない事は、こういった恋愛や女の子の誘惑なのである。

原文

 女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかンめれ、人のほど・心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越(ものごしにも知らるれ。

 ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる((ず、身を(しとも思ひたらず、(ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。

 まことに、愛著(あいぢやくの道、その根深く、(みなもととほし。六塵(ろくぢん楽欲(げうよく多しといへども、みな厭離(えんりしつべし。その中に、たゞ、かの(まどひのひとつ(めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。

 されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象(だいざうもよく繋がれ、女のはける足駄(あしだにて作れる笛には、秋の鹿(しか(かなら(るとぞ言ひ伝へ(はべる。自ら戒めて、(おそるべく、(つつむべきは、この(まどひなり。

注釈

 愛著(あいぢやくの道

  女の愛情に執着する道のこと。

 六塵(ろくぢん

  仏教において、人間の感覚器官を、眼、耳、鼻、舌、体、意識の六根という六つの働きに分類する。それらの器官に刺激を与える、色、声、香り、味、感触、掟は人間の心を穢す物として「六塵(ろくぢん」と呼ぶ。

徒然草 第八段

現代語訳

 男の子を狂わせる事といえば、なんと言っても性欲がいちばん激しい。男心は節操がなく身につまされる。

 香りなどはまやかしで、朝方に洗髪したシャンプーのにおいだとわかっていても、あのたまらなくいいにおいにはドキドキしないではいられない。「空飛ぶ術を身につけた仙人が、足で洗濯をしている女の子のふくらはぎを見て、仙人からただのイヤらしいおっさんになってしまい空から降ってきた」とかいう話がある。二の腕やふくらはぎが、きめ細やかでぷるぷるしているのは、女の子の生の可愛さだから妙に納得してしまう。

原文

 世の人の心惑はす事、色欲(しきよくには如かず。人の心は(おろかなるものかな。

 (にほひなどは(かりのものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米(くめの仙人の、物洗ふ女の(はぎの白きを見て、(つうを失ひけんは、まことに、手足(てあし・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

注釈

 九米(くめの仙人

  大和の国の竜門寺にて飛行の術の修行を行っていた。「後ニ九米(クメモ既ニ仙ニ成リテ、空ニ昇リテ飛ビテ渡ル間、吉野河ノ(ホトリニ、若キ女、衣ヲ洗ヒテ立テリ。衣ヲ洗フトテ、女ノ、(ハギマデ衣ヲ掻キ上ゲタルニ、脛ノ白カリケルヲ見テ、久米、心(ケガレテ、其ノ女ノ前ニ落チヌ」と『今昔物語』にある。

徒然草 第七段

現代語訳

 あだし野の墓地の露が消える瞬間がないように命は儚く、鳥部山(とりべやまの火葬場の煙が絶えないように命は蒸発していく。もし灰になった死体の煙のように命が永遠に漂っていたとすれば、もうそれは人間ではない。人生は幻のようで、未来は予想不能だから意味があるのだ。

 この世に生きる生物を観察すると、人間みたくだらだらと生きているものも珍しい。かげろうは日が暮れるのを待って死に、夏を生きる蝉は春や秋を知らずに死んでしまう。そう考えると、暇をもてあまし一日中放心状態でいられることさえ、とてものんきなことに思えてくる。「人生に刺激がない」と思ったり「死にたくない」と思っていたら、千年生きても人生など夢遊病と変わらないだろう。永遠に存在することのできない世の中で、ただ口を開けて何かを待っていても、ろくな事など何もない。長く生きた分だけ恥をかく回数が多くなる。長生きをしたとしても、四十歳手前で死ぬのが見た目にもよい。

 その年齢を過ぎてしまえば、無様な姿をさらしている自分を「恥ずかしい」とも思わず、人の集まる病院の待合室のような場所で「どうやって出しゃばろうか」と思い悩みむことに興味を持ちはじめる。没落する夕日の如く、すぐに死ぬ境遇だが、子供や孫を可愛がり「子供たちの晴れ姿を見届けるまで生きていたい」と思ったりして、現実世界に執着する。そんな、みみっちい精神が膨らむだけだ。そうなってしまったら「死ぬことの楽しさ」が理解できない、ただの肉の塊でしかない。

原文

 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山(とりべやま(けぶり立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋(はるあきを知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせを暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ(すぐすとも、一夜(ひとよの夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ(はぢ多し。長くとも、四十(よそじに足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの(に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

注釈

 あだし野

  京都北西郊外の墓地。今でも念仏寺があり、墓場の代表的な名称として使われる。

 鳥部山(とりべやま

  京都東山にある火葬場。あだし野の露は消えやすく、鳥部山の煙はすぐ溶けてしまうように、人の生は儚いことをたとえている。

徒然草 第六段

現代語訳

 自身の身分が世間的に高い人の場合はもちろんのことで、ましてや、死んでも何とも思われないような身分の人は、子供なんて作らない方がよい。

 前の天皇の息子や政府長官、花園の長官は自分の一族が滅びてしまうことを望んでいた。染殿の長官にいたっては「子孫などはない方がよい。後々の子孫がグレて不良や暴走族になったら困るではないか」と言っていたと、世継ぎ物語の『大鏡』に書いてあった。聖徳太子は自分の墓を生前に建築して「ここを切り取って、あそこを塞いでしまえ、他には誰も入れないようにしろ。子孫などいらない」と言っていたらしい。

原文

 わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。

 (さき中書王(ちゆうしよわう・九条大政大臣(だいじようだいじん花園左大臣(はなぞのさだいじん、みな、(ぞう絶えむことを願い給へり。染殿大臣(そめどののおとども、「子孫おはせぬぞよく(はべる。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継(よつぎ(おきなの物語には言へる。聖徳太子の、御墓をかねて(かせ給ひける時も、「こゝを切れ。かしこを(て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

注釈

 数ならざらん

  人の数にも数えてもらえない賤しい身分。

 (さき中書王(ちゆうしよわう

  醍醐天皇の皇子、兼明親王のこと。特に学才に優れた。

 九条大政大臣(だいじようだいじん

  藤原伊通のこと。日記に『権大納言伊通卿記』がある。

 花園左大臣(はなぞのさだいじん

  源有仁のこと。詩歌、管絃、書に名手。『春玉秘抄』『秋玉秘抄』を記している。

 染殿大臣(そめどののおとど

  藤原良房のこと。摂政となり院政政治を行う。

 聖徳太子

  用明帝の王子様・推古帝の皇太子といわれる。後に一万円札の図柄となる。

徒然草 第五段

現代語訳

 「自分は不幸な人間だ」などと悩んだり嘆いたりしている人が、頭の毛をカミソリでつるつるにするように、ものの弾みで悟りきってしまうのではなくて、ただ意味もなく、生きているというよりは死んでいないといった感じで、門を閉め切ってひきこもり、意味もなくだらだらと日々を漂っているのも、ある意味では理想的である。

 源顕基(みなもとのあきもと中納言が「罪を犯して流された島で見る月を無邪気な心で見つめていたい」と言ったことにもシンパシーを感じる。

原文

 不幸に(うれへに沈める人の、(かしらおろしなどふつゝかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、(かどさしこめて、待つこともなく(あかし暮したる、さるかたにあらまほし。

 顕基(あきもとの中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

注釈

 顕基(あきもとの中納言

  源顕基(あきもとは、源俊賢の長男で後一条天皇に近侍し、天皇の死後に出家した。四十八才で没する。この顕基の言葉は有名で『徒然草』以外の文献でも伝えられている。

徒然草 第四段

現代語訳

 死んでしまった後のことをいつも心に忘れず、仏様の言うことに無関心でないのは素敵なことだ。

原文

 (のちの世の事、心に忘れず、(ほとけの道うとからぬ、心にくし。

注釈

 (のちの世の事

  死後の世界、いわゆる『極楽浄土』のことを遠回しに表現したもの。