孤独なとき

徒然草 第八十四段

現代語訳

 三蔵法師は、インドに到着した際に、メイド・イン・チャイナの扇子を見てはホームシックになり、病気で寝込むと中華料理を所望したそうだ。その話を聞いて「あれ程の偉人なのに、異国では甘ったれていたのだな」と誰かが漏らした。それを聞いた弘融僧都が「心優しいお茶目な三蔵法師だ」と言ったのは、坊主臭くなく、むしろ深みがあるように思えた。

原文

 法顕三蔵(ほつけんさんざうの、天竺(でんぢくに渡りて、故郷の(あふぎを見ては(かなしび、病に(しては漢の(じきを願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(こうゆうそうづ、「(いう(なさけありける三蔵(さんざうかな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

注釈

 法顕三蔵(ほつけんさんざう

  中国東晋時代の高僧。同志とインドに渡り、遺跡を巡り、梵語を学び、帰国後、執筆活動を行った。

 天竺(でんぢく

  インドのこと。

 弘融僧都(こうゆうそうづ

  仁和寺の僧侶。弘舜僧正の弟子。

徒然草 第三十段

現代語訳

 人が死んだら、すごく悲しい。

 四十九日の間、山小屋にこもり不便で窮屈な処に大勢が鮨詰め状態で法事を済ませると、急かされる心地がする。その時間の過ぎていく速さは、言葉で表現できない。最終日には、皆が気まずくなって口もきかなくなり、涼しい顔をして荷造りを済ませ、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。帰宅してからが、本当の悲しみに暮れる事も多い。それでも、「今回はとんでもない事になった。不吉だ、嫌なことだ。もう忘れてしまおう」などと言う言葉を聞いてしまえば、こんな馬鹿馬鹿しい世の中で、どうして「不吉」などと言うのだろうと思ってしまう。死んだ人への言葉を慎んで、忘れようとするのは悲しい事だ。人の心は気味が悪い。

 時が過ぎ、全て忘却を決め込むわけでないにしても「去っていった者は、だんだん煩わしくなるものだ」という古詩のように忘れていく。口では「悲しい」とか「淋しい」など、何とでも言える。でも、死んだ時ほど悲しくないはずだ。それでいて、下らない茶話には、げらげら笑い出す。骨壷は、辺鄙なところに埋まっており、遺族は命日になると事務的にお参りをする。ほとんど墓石は、苔生して枯れ葉に抱かれている。夕方の嵐や、夜のお月様だけが、時間を作って、お参りをするというのに。

 死んだ人を懐かしく思う人がいる。しかし、その人もいずれ死ぬ。その子孫などは、昔に死んだ人の話を聞いても面白くも何ともない。そのうち、誰の供養かよくわからない法事が流れ作業で処理され、最終的に墓石は放置される。人の死とは、毎年再生する春の草花を見て、感受性の豊かな人が何となくときめく程度の事であろう。嵐と恋して泣いていた松も、千年の寿命を全うせずに、薪として解体され、古墳は耕され、田んぼになる。死んだ人は、死んだことすら葬られていく。

原文

 人の((あとばかり、悲しきはなし。

 中陰(ちゆういんのほど、山里などに移ろひて、便(びんあしく、(せばき所にあまたあひ(て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。日(かずの速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我(かしこげに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため(むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

 年月(ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に(うとしと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。(から(うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり(まうでつゝ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば(こけむし、木の葉降り(うづみて、(ゆふべの(あらし、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

 思ひ(でて(しのぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々(としどしの春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に(むせびし松も千年(ちとせを待たで(たきぎ(くだかれ、古き(つか(かれて田となりぬ。その(かただになくなりぬるぞ悲しき。

注釈

 中陰(ちゅういん

  葬儀の後、四十九日の間。(次の生命を受ける期間とされる)

 去る者は日々に(うと

  「古墓何(こぼいずレノ代ノ人ゾ。姓ト名トヲ知ラズ。化シテ路傍(ろばうノ土ト(リ、年々春草生ズ」と『白氏文集』にある。

 嵐に(むせびし松も千年(ちとせを待たで(たきぎ(くだかれ

  「古墓(カレテ田ト為リ、松柏(くだカレテ薪ト為ル」と『文選』にある。

徒然草 第十三段

現代語訳

 ひとり淋しく懐中電灯の下で本を広げて、昔の文筆家たちと友情関係を育むことは、安心できて、楽しさのあまり心臓が停止してしまうぐらいに心が穏やかになる。

 読書では、昭明太子が選んだのめり込みそうな詩集たちや、白楽天の詩や、老子のありがたい言葉や、荘周の道徳本などがよい。ニッポンの偉い先生方が書いたものだと、古い時代に書かれたものであれば信頼できるものも多い。

原文

 ひとり、(ともしびのもとに(ふみをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

 (ふみは、文選(もんぜんのあはれなる巻々、白氏文集(はくしもんじゆう、老子のことば、南華(なんくわの篇。この国の博士(はかせどもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

注釈

 文選(もんぜん

  中国南北朝時代、梁の昭明太子によって編纂された詩文集。

 白氏文集(はくしもんじゆう

  唐の文学者、白楽天(はくらくてん白居易(はくきょい)の詩文集。

 老子

  春秋時代の思想家。または老子によって記された『老子道徳経』のこと。

 南華(なんくわ

  『荘子』のこと。荘周の著書とされる道家の文献。『南華真経』とも。「南華(なんか」は荘子が隠棲した地の名前

徒然草 第七段

現代語訳

 あだし野の墓地の露が消える瞬間がないように命は儚く、鳥部山(とりべやまの火葬場の煙が絶えないように命は蒸発していく。もし灰になった死体の煙のように命が永遠に漂っていたとすれば、もうそれは人間ではない。人生は幻のようで、未来は予想不能だから意味があるのだ。

 この世に生きる生物を観察すると、人間みたくだらだらと生きているものも珍しい。かげろうは日が暮れるのを待って死に、夏を生きる蝉は春や秋を知らずに死んでしまう。そう考えると、暇をもてあまし一日中放心状態でいられることさえ、とてものんきなことに思えてくる。「人生に刺激がない」と思ったり「死にたくない」と思っていたら、千年生きても人生など夢遊病と変わらないだろう。永遠に存在することのできない世の中で、ただ口を開けて何かを待っていても、ろくな事など何もない。長く生きた分だけ恥をかく回数が多くなる。長生きをしたとしても、四十歳手前で死ぬのが見た目にもよい。

 その年齢を過ぎてしまえば、無様な姿をさらしている自分を「恥ずかしい」とも思わず、人の集まる病院の待合室のような場所で「どうやって出しゃばろうか」と思い悩みむことに興味を持ちはじめる。没落する夕日の如く、すぐに死ぬ境遇だが、子供や孫を可愛がり「子供たちの晴れ姿を見届けるまで生きていたい」と思ったりして、現実世界に執着する。そんな、みみっちい精神が膨らむだけだ。そうなってしまったら「死ぬことの楽しさ」が理解できない、ただの肉の塊でしかない。

原文

 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山(とりべやま(けぶり立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。

 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋(はるあきを知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせを暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ(すぐすとも、一夜(ひとよの夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ(はぢ多し。長くとも、四十(よそじに足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの(に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

注釈

 あだし野

  京都北西郊外の墓地。今でも念仏寺があり、墓場の代表的な名称として使われる。

 鳥部山(とりべやま

  京都東山にある火葬場。あだし野の露は消えやすく、鳥部山の煙はすぐ溶けてしまうように、人の生は儚いことをたとえている。