徒然草 第百七十三段

現代語訳

 小野小町の生涯は、極めて謎である。没落した姿は『玉造小町壮衰書』という文献に見られる。この文献は三善清行の手によるという説もあるが、弘法大師の著作リストにも記されている。大師は西暦八百三十五年に他界した。小町が男どもを夢中にさせたのは、その後の時代の出来事だ。謎は深まるばかりである。

原文

 小野小町(をののこまちが事、(きはめて(さだかならず。衰へたる様は、「玉造(たまつくり」と言ふ(ふみに見えたり。この文、清行(きよゆきが書けりといふ説あれど、高野大師(かうやのたいし御作(ごさくの目録に(れり。大師は承和(じようわの初めにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや。なほおぼつかなし。

注釈

 小野小町(をののこまち

  平安時代の有名な歌人。六歌仙の一人。美女だったという。

 玉造(たまつくり

  『玉造小町壮衰書』のこと。

 清行(きよゆき

  三善清行。大内記、文章博士、大学頭、を経て、参議、宮内卿兼播磨守となる。

 高野大師(かうやのたいし

  弘法大師、空海。真言宗の開祖。

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