現代語訳
中国に留学した道眼和尚は、仏教聖典を持ち帰った。六波羅の側にあるヤケノという場所に祭壇を造って保管した。特に座禅の集中講義を行ったので、その寺を「ナーランダ」と名付けた。
その上人が、「インドのナーランダの門は北向きだと、大江匡房の説が伝えられている。しかし、玄奘や法顕のルポには書かれていない。その他にも書いてある物を読んだことがない。大江匡房は、何を根拠にしたのだろうか。信用ならん。中国にある西明寺の門は、もちろん北向きだ」と言っていた。
原文
入宋 の沙門 、道眼上人 、一切経 を持来 して、六波羅 のあたり、やけ野といふ所に安置 して、殊 に首楞厳経 を講じて、那蘭陀寺 と号 す。
その聖 の申されしは、那蘭陀寺は、大門北向きなりと、江帥 の説として言ひ伝えたれど、西域伝 ・法顕伝 などにも見えず、更に所見なし。江帥は如何なる才学にてか申されけん、おぼつかなし。唐土 の西明寺 は、北向き勿論 なり」と申しき。
注釈
中国に渡った僧。「沙門」は仏門に入った僧のこと。
元から帰国した禅僧。
六波羅探題。京都の守護、近畿地方の政治、軍事を総括した役所。
やけ野
未詳。
別名を『中印度那蘭陀大道場経』といい、禅法の基本と菩提心の取得を説く。
インドにはナーランダと言う、仏陀が悟りを開いた聖地がある。
太宰帥、大江匡房のこと。漢学者、歌人、有識者。権中納言、太宰権帥。
『大唐西域記』『大唐西域伝』『西域記』とも呼ばれ、唐代の記録書。法顕伝は、法顕による旅行記。
唐の都、長安にあった大寺。印度の祇園精舎を真似て造られた。