現代語訳
北条時頼の母は、松下禅尼と言った。ある日、息子の時頼を招待することがあった。古くなった障子の破れている所を、僧尼が自ら小刀をクルクル回して切り貼りしていた。それを見た兄の義景が「私に任せなさい。某という男がいるので、奴に貼らせましょう。手先が器用な男なのです」と言った。「その男だって、私の手際には敵わないでしょう」と、僧尼は、障子を一マスずつ張り替え続けた。義景は、「ならば全部張り替えた方が、よっぽど楽でしょう。このままだとマダラ模様で見苦しい」と付け加えた。僧尼は、「後で綺麗に張り替えるつもりですが、今日だけは、わざとこのようにするのです。物は壊れた部分を修繕して使うのだと、若い時頼に注意するのです」と答えた。なんと殊勝なことであろう。
政治の道は倹約が基本だ。禅尼は、女性ではあるが、聖人と同じ心を持つ人である。天下を統治するまでの子を持つ親は、一般人とは違う。
原文
相模守 時頼 の母は、松下禅尼 とぞ申しける。守 を入 れ申さるゝ事ありけるに、煤けたる明 り障子 の破ればかりを、禅尼、手づから、小刀 して切り廻しつゝ張られければ、兄 の城介 義景 、その日のけいめいして候ひけるが、「給はりて、某 男 に張 らせ候はん。さやうの事に心得 たる者に候ふ」と申されければ、「その男、尼が細工によも勝り侍らじ」とて、なほ、一間 づゝ張 られけるを、義景、「皆を張り替へ候はんは、遥かにたやすく候ふべし。斑らに候ふも見苦しくや」と重ねて申されければ、「尼も、後 は、さはさはと張り替へんと思へども、今日ばかりは、わざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理 して用ゐる事ぞと、若き人に見習はせて、心づけんためなり」と申されける、いと有難かりけり。
世を治 むる道、倹約を本 とす。女性 なれども、聖人の心に通 へり。天下を保 つほどの人を子にて持 たれける、まことに、たゞ人にはあらざりけるとぞ。
注釈
北条時頼。鎌倉幕府五代目の執権である。三十歳で執権を辞し、出家。道崇と称す。
秋田白介の娘で、北条時氏の妻。経頼、時頼を生む。
秋田城の次官。