現代語訳
ある人が久我の畦道を真っ直ぐ歩いていると、下着姿に袴という出で立ちのオッサンが、木製の地蔵を田んぼの水に浸して、せっせと洗っていた。何事かと思い見ていると、貴族の身なりをした男が二三人やって来た。「こんな所にいたのですか」と言い、この人を引っ張って行った。この人とは、なんと久我の内大臣、通基公であらせられた。
意識がこちら側にあった頃は、優しい立派な人だった。
原文
或 人、久我縄手 を通りけるに、小袖 に大口 着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣 の男二三人 出 で来 て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具 して去にけり。久我内大臣殿 にてぞおはしける。
尋常 におはしましける時は、神妙 に、やんごとなき人にておはしけり。
注釈
久我畷。京都市伏見区にある、約八キロメートルの直線道路。
大袖(礼服)の下に着る袖の小さい下着。大口は大口の袴。
貴族の普段着。丸襟で袖が広い。
源通基。内大臣。