現代語訳
六時の礼賛は、法然の弟子の安楽という僧が経文を集めて作り、日々の修行にしていたのが起源である。のちに、太秦の善観房という僧がアクシデンタルを追加して楽譜にした。これが一発で昇天できるという「一念の念仏」の始まりである。後嵯峨天皇の時代のことだ。「法事讃」を楽譜にしたのも善観房である。
原文
六時礼讃 は、法然上人 の弟子、安楽 といひける僧、経文 を集めて作りて、勤 めにしけり。その後、太秦 の善観房 といふ僧、節博士 を定めて、声明 になせり。一念の念仏の最初なり。後嵯峨院 の御代より始まれり。法事讃 も、同じく、善観房始めたるなり。
注釈
浄土宗の法要のひとつ。一日を六つに分けて浄土往生の念仏を唱える。
第三十九段に登場。本名は源空、法然房と名乗った。岡山生まれのお坊さん。浄土宗を開いた。
法然の弟子。法名は遵西。後鳥羽上皇の留守中に御所の女房を出家させ、上皇の逆鱗に触れ、六条河原で処刑され羅切、及び斬首される。
京都市右京区太秦にある広隆寺の僧か。
詞章の隣に調子の高低、長短を記した符号。ネウマ符。
後嵯峨天皇の在位期間。一二四二年から一二四六年まで。
『転経行道願往生浄土法事讃』の略で、浄土転経行道の善行が記された書。