現代語訳
神様たちが出雲へ会議に出かける頃、栗栖野というところを越えて、とある山奥を徘徊し、果てしない苔の小径を歩いて奥へと進み、落ち葉を踏みつぶして歩くと、一軒の火をつけたらすぐに全焼しそうなボロ屋があった。木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる雫の音以外は、全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、菊とか紅葉が飾ってあるから、信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。
「まったく凄い奴がいるものだ、よくこんな生活水準で生きて行けるなあ」と心ひかれて覗き見をしたら、向こうの方の庭にばかでかいミカンの木がはえていて、枝が折れそうなぐらいミカンがたわわに実っているのを発見した。そのまわりは厳重にバリケードで警戒されていた。それを見たら、今まで感動していたことも馬鹿馬鹿しくなってしまい「こんな木はなくなってしまえ」とも思った。
原文
神無月 の比 、栗栖野 といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入 る事侍 りしに、遥 かなる苔 の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵 あり。木の葉に埋もるゝ懸樋 のじづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚 に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子 の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲 ひたりしこそ、少 しことさめて、この木なからましかばと覚 えしか。
注釈
千三百十三年、十月のことと考えられる。
山城国宇治群、現在の京都市山科区山科。
泉から水を引くための樋。
仏前の供える聖水を入れる器を載せる棚のこと。