徒然草 第十一段

現代語訳

 神様たちが出雲へ会議に出かける頃、栗栖野というところを越えて、とある山奥を徘徊し、果てしない苔の小径を歩いて奥へと進み、落ち葉を踏みつぶして歩くと、一軒の火をつけたらすぐに全焼しそうなボロ屋があった。木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる雫の音以外は、全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、菊とか紅葉が飾ってあるから、信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。

 「まったく凄い奴がいるものだ、よくこんな生活水準で生きて行けるなあ」と心ひかれて覗き見をしたら、向こうの方の庭にばかでかいミカンの木がはえていて、枝が折れそうなぐらいミカンがたわわに実っているのを発見した。そのまわりは厳重にバリケードで警戒されていた。それを見たら、今まで感動していたことも馬鹿馬鹿しくなってしまい「こんな木はなくなってしまえ」とも思った。

原文

 神無月(かみなづき(ころ栗栖野(くるすのといふ所を過ぎて、ある山里に尋ね(る事(はべりしに、(はるかなる(こけの細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる(いほりあり。木の葉に埋もるゝ懸樋(かけひのじづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚(あかだなに菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。

 かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子(かうじの木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく(かこひたりしこそ、(すこしことさめて、この木なからましかばと(おぼえしか。

注釈

 神無月(かみなづき

  千三百十三年、十月のことと考えられる。

 栗栖野(くるすの

  山城国宇治群、現在の京都市山科区山科。

 懸樋(かけひ

  泉から水を引くための樋。

 閼伽棚(あかだな

  仏前の供える聖水を入れる器を載せる棚のこと。

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