現代語訳
人から羨望の眼差しで見てもらうために忙しく、周りが見えなくなり、一息つく暇もなく、死ぬまでバタバタしているのは馬鹿馬鹿しい。
金目の物がたくさんあれば、失う物を守ることで精一杯になる。強盗や悪党を呼び寄せ、宗教団体のお布施にたかられる媒介にもなる。黄金の柱で夜空に輝く北斗七星を支えられるぐらいの成金になっても、死んでしまった後には、誰の役にも立たないばかりか、相続で骨肉の争いが勃発するのが目に見えている。流行の最先端を歩もうとする人向けに、目の保養をさせて楽しませるような物も虚しい。運転手付の黒塗りの高級車や、プラチナの爪にダイヤモンドを飾ったアクセサリーなどは、賢い人ならば「下品な成金の持ち物」で「心が腐っている証拠だ」と、冷ややかな目で黙殺するに違いない。金塊は山に埋め、ダイヤモンドはドブ川に投げ捨てるのがよく似合う。物質的裕福さに目がくらむ人は、とっても知能指数が低い人なのだ。
時代に埋もれない名誉を、未来永劫に残すことは理想的なことかも知れない。しかし、社会的に地位が高い人だとしても、イコール立派な人だとは言えない。欲にまみれた俗人でも、生まれた家や、タイミングさえ合えば、自動的に身分だけは偉くなり、偉そうな事を言いはじめる。通常、人格者は、自ら進んで低い身分に甘んじ、目立たないまま死ぬことが多い。意味もなく高い役職や身分に拘るのも、物質的裕福さを求める事の次に馬鹿馬鹿しいことである。
「頭脳明晰で綺麗なハートを持っていた」という伝説だけは、未来に残って欲しいと思うかも知れない。しかし、考え直してみれば「自分の事が伝説になって欲しい」と思うのは、名誉を愛し、人からどう思われるかを気にしているだけだ。絶賛してくれる人も、馬鹿にする人も、すぐに死ぬ。「昔々あるところに、こんなに偉い人がいました」と話す伝説の語り部も、やはりすぐに死んでしまう。誰かに恥じ、自分を知ってもらいたいと願うことは無意味でしかない。そもそも、人から絶賛されることは、妬みの原因になる。死後、伝説だけが残ってもクソの足しにもならない。従って「伝説になりたい」と願うのも、物質的裕福さや、高い役職や身分に拘る事の次に馬鹿馬鹿しいことなのであった。
それでも、あえて知恵を追求し、賢さを求める人のために告ぐ。老子は言った。「知恵は巧妙な嘘を生むものである。才能とは煩悩が増幅した最終形だ。人から聞いた事を暗記するのは、本当の知恵ではない。では、知恵とはいったい何であろうか。そんな事は誰も知らない」と。荘子は言った。「善悪の区別とはいったい何であろうか。何を善と呼び、何を悪と呼べばいいのだろうか? そんな事は誰も知らない」と。本当の超人は知恵もなく、人徳もなく、功労もなく、名声もない。誰も超人を知らず、誰も超人の伝説を語ることはない。それは、真の超人が能力を隠し馬鹿なふりをしているからではない。最初から、賢いとか、馬鹿だとか、得をするとか、失ってしまうとか、そんなことは「どうでもいい」という境地に達しているから誰も気がつかないのだ。
迷える子羊が、名誉、利益を欲しがる事を考えてみると、だいたいこの程度の事だ。全ては幻であり、話題にする事でもなく、願う事でもない。
原文
名利 に使はれて、閑 かなる暇 なく、一生を苦しむるこそ、愚 かなれ。
財 多ければ、身を守るに貧 し。害を賈ひ、累 ひを招く媒 なり。身の後 には、金 をして北斗 を支ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉 の飾りも、心あらん人は、うたて、愚 かなりとぞ見るべき。金 は山に棄 て、玉は淵 に投ぐべし。利に惑 ふは、すぐれて愚かなる人なり。
埋 もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生 れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢 を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賎 しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。偏に高き官 ・位を望むも、次に愚かなり。
智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉 も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞 きをよろこぶなり、誉 むる人、毀 る人、共に世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰 をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉 はまた毀 りの本 なり。身の後 の名、残りて、さらに益 なし。これを願ふも、次に愚 かなり。
但し、強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出 でては偽 りあり。才能は煩悩 の増長 せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるかを智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるかを善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰 か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本 より、賢愚 ・得失 の境にをらざればなり。
迷ひの心をもちて名利 の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。
注釈
害を賈ひ、
「宝ヲ懐イテ以テ害ヲ買ハズ、表ヲ飾リテ以テ
「身ノ後ニハ、金ヲ
「金ヲ山ニ損テ、珠ヲ淵ニ沈ム」と『文選』にある。
「遺文三十軸、軸々金玉ノ声。
いみじかりし賢人・聖人、みづから
「老子・荘周ハ吾ノ師ナリ。
身の
「我ヲシテ身ノ
智恵
「知慧
可・不可は一条なり
「
まことの人
「至人ハ己レ無シ。神人ハ功無シ。聖人ハ名ナシ」と『老子』にある。
万事は皆非なり
「万事ハ皆非ナリ。燈火ノ涙。一生半バ暮ル。月前ノ情」と『新撰朗詠集』にある。