現代語訳
円教寺の性空上人は、法華教を毎日飽きずに唱えていたので、目と耳と鼻と舌と体と心が冴えてきた。旅先で仮寝の宿に入った時、豆の殻を燃やして豆を煮ているグツグツという音を「昔は一心同体の親友だった豆の殻が、どうしたことか恨めしく豆の僕を煮ている。豆の殻は、僕らを辛い目に遭わせる非道い奴だ」と言う声に聞こえたそうだ。一方、豆の殻がパチパチ鳴る音は「自ら進んでこんなことをするものか。焼かれて熱くて仕方がないのに、どうすることも出来ない。だから、そんなに怒らないでくださいな」と言う声に聞こえたらしい。
原文
書写 の上人 は、法華 読誦 の功積 りて、六根 浄 にかなへる人なりけり。旅の仮屋 に立ち入られけるに、豆の殻 を焚 きて豆を煮ける音のつぶつぶと鳴 るを聞き給ひければ、「疎 からぬ己 れらしも、恨 めしく、我をば煮て、辛 き目 を見するものかな」と言ひけり。焚 かるゝ豆殻 のばらばらと鳴 る音 は、「我が心よりすることかは。焼 かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。
注釈
性空上人。姫路市に書写山円教寺を開いた高僧。
人間の持つ六つの器官。すなわち、眼、耳、鼻、舌、体、心。