徒然草 第百三十二段

現代語訳

 鳥羽新街道は鳥羽宮殿が造営された後につけられた呼び方ではない。昔からある名前なのだ。「元良親王が一般参賀で演説した声が透き通るようで、高台の上から鳥羽新街道まで聞こえ届いた」と、鳥羽宮殿が造営される前に記された、重明親王の日記に書いてあったらしい。

原文

 鳥羽(とば作道(つくりみちは、鳥羽殿(とばどの建てられて後の(にはあらず。昔よりの名なり。元良親王(もとよしのしんわう元日(ぐわんにち奏賀(そうがの声、(はなはだ殊勝にして、大極殿(だいこくでんより鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部王(りほうわうの記に(はべるとかや。

注釈

 鳥羽(とば作道(つくりみち

  九条の四ツ塚から上鳥羽、下鳥羽への道。

 鳥羽殿(とばどの

  白河天皇が造営した御所。

 元良親王(もとよしのしんわう

  陽成天皇の第一子。歌人で『元良親王集』がある。

 大極殿(だいこくでん

  天皇が下界を見下ろす高台。

 李部王(りほうわう

  醍醐天皇の皇子で、式部卿重明親王。

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