現代語訳
東大寺の御輿が、東寺に新設した八幡宮から奈良に戻されることになった。八幡宮を氏神とする源氏の公家が御輿の警護に駆けつけた。キャラバンの隊長は、かの内大臣、久我通基公である。出発にあたって、警備の者が野次馬を追い払うと、太政大臣の源定実が、「宮の御前で、人を追っ払うのはいかがなものでしょうか」と咎めた。通基は、「セキュリティポリスの振る舞いは、私たち武家の者が心得ているのでございます」とだけ答えた。
その後、通基は、「あの太政大臣は、『北山抄』に記された作法だけ読んで、『西宮記』に書いてある作法を知らないようだ。八幡宮の手下である鬼神の災いを恐れ、神社の前では、必ず人払いをしなくてはならない」と言った。
原文
東大寺の
神輿 、東寺 の若宮より帰座 の時、源氏の公卿 参 られけるに、この殿 、大将にて先を追はれけるを、土御門相国 、「社頭にて、警蹕 いかゞ侍 るべからん」と申されければ、「随身 の振舞 は、兵杖 の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄 を見て、西宮 の説をこそ知られざりけれ。眷属 の悪鬼 ・悪神 を恐るゝ故 に、神社にて、殊 に先を追ふべき理 あり」とぞ仰 せられける。
注釈
東大寺の
奈良にある大仏を本尊とする、華厳宗の総本山。「御輿」は東大寺の鎮守神の神霊を安置する御輿。
京都市下京区九条町にある古義真言宗東寺派の大本山。「若宮」は本宮から分霊した新しい神社。
この
前段の久我通基。
源定実。相国は太政大臣。
藤原公任が監修した、朝廷での公事、儀式の故実書。「神社ノ行幸、大嘗会ノ御禊ニ准ズ。但シ、社頭ニ至リテ、警蹕セズ。猶、憚リ有ル可キカ」とある。
醍醐天皇の皇子、源高明が書いた、『西宮記』。『北山抄』と同じく、朝廷での公事、儀式の故実書。現存本には、社頭での警蹕について記述が残っていない。