現代語訳
「後宇多天皇の時代には、葵祭りの警備をする放免人が持つ槍に、変梃な飾りを付けていた。紺色の布を、着物にして四・五着ぶん使って馬を作り、尾や鬣はランプの芯を使い、蜘蛛の巣を書いた衣装などを付け、短歌の解釈などを言いながら練り歩いた姿をよく見た。面白いことを考えたものだ」と、隠居した役人達が、今でも昔話する。
近頃では、年々贅沢になり、この飾りも行き過ぎになったようだ。色々と重たい物を、いっぱい槍にぶらさげて、両脇を支えられながら、本人は槍さえ持てずに息を切らせて苦しがっている。とても見るに堪えない。
原文
「
建治 ・弘安 の比 は、祭の日の放免 の附物 に、異様 なる紺 の布四五反 にて馬を作りて、尾 ・髪 には燈心 をして、蜘蛛 の網 書きたる水干 に附けて、歌の心など言ひて渡りし事、常に見及び侍 りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか」と、老いたる道志 どもの、今日も語り侍るなり。
この比は、附物、年を送りて、過差 殊の外になりて、万の重き物を多く附けて、左右 の袖 を人に持たせて、自らは鉾 をだに持たず、息づき、苦しむ有様、いと見苦し。
注釈
建治は千二百七十五年から七十八年、弘安は千二百七十八年から八十八年。後宇多天皇の時代。