家を離れて遠くへ行くとき

徒然草 第九十六段

現代語訳

 メナモミという草がある。マムシに噛み付かれた人が、この草を揉んで患部にすり込めば一発で治るという。実物を見て知っておくと、いざという時に役立つ。

原文

 めなもみといふ草あり。くちばみに(されたる人、かの草を(みて付けぬれば、(すなは(ゆとなん。見(りて(くべし。

注釈

 めなもみ

  やぶたばこ。

 くちばみ

  マムシのこと。

徒然草 第八十四段

現代語訳

 三蔵法師は、インドに到着した際に、メイド・イン・チャイナの扇子を見てはホームシックになり、病気で寝込むと中華料理を所望したそうだ。その話を聞いて「あれ程の偉人なのに、異国では甘ったれていたのだな」と誰かが漏らした。それを聞いた弘融僧都が「心優しいお茶目な三蔵法師だ」と言ったのは、坊主臭くなく、むしろ深みがあるように思えた。

原文

 法顕三蔵(ほつけんさんざうの、天竺(でんぢくに渡りて、故郷の(あふぎを見ては(かなしび、病に(しては漢の(じきを願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(こうゆうそうづ、「(いう(なさけありける三蔵(さんざうかな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

注釈

 法顕三蔵(ほつけんさんざう

  中国東晋時代の高僧。同志とインドに渡り、遺跡を巡り、梵語を学び、帰国後、執筆活動を行った。

 天竺(でんぢく

  インドのこと。

 弘融僧都(こうゆうそうづ

  仁和寺の僧侶。弘舜僧正の弟子。

徒然草 第五十二段

現代語訳

 仁和寺に暮らしていたある坊さんは、老体になるまで石清水八幡宮を拝んだことがなかったので、気が引けていた。ある日、思い立って、一人で歩いて参拝することにした。八幡宮の付属品である、極楽寺と高良神社だけ拝んで「これで思いは遂げました」と思いこみ「八幡宮はこれだけか」と、山頂の本殿を拝まずに退散した。

 帰ってから、友達に「前から思っていた事を、ついにやり遂げました。これまた、噂以上にハラショーなものでした。しかし、お参りしている方々が、みんな登山をなさっていたから、山の上でイベントでもあったのでしょうか? 行ってみたかったのですが、今回は参拝が目的だったので、余計な事はやめておこうと、山頂は見てこなかったのです」と語った。

 どんな些細なことでも、案内がほしいという教訓である。

原文

 仁和寺(にんわじにある法師(ほふし、年(るまで石清水(いはしみづ(おがまざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かちより(まうでけり。極楽寺(ごくらくじ高良(かうらなどを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

 さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意(ほいなれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

 少しのことにも、先達(せんだちはあらまほしき事なり。

注釈

 仁和寺(にんなじ

  京都府左京区御室にある真言宗御室派の大本山。

 石清水(いわしみず

  京都府八幡市男山の山頂にある石清水八幡宮。

 極楽寺(ごくらくじ高良(こうら

  石清水八幡宮付属の極楽寺と高良神社。