つれづれぐさ(下)

徒然草 第百四十二段

現代語訳

 心に血が通っていないように見える人でも、たまには超越したことを言うものだ。乱暴者で怖そうな男が同僚に、「子供はいるのか?」と訊ねた。「一人もいないぞ」と答えたので、「ならば世の中に満ちあふれている愛を知らないだろう。お前が冷酷な人間に見えて恐ろしくなってきた。子供がいてこそ真の愛を知ることができるのだ」と言った。もっともである。愛に生きる道を選んだから、こんな乱暴者にも優しい気持ちが芽生えたのだ。親不孝者でも子を持てば、親の気持ちを思い知ることになる。

 人生を捨て、身よりも無くなったオッサンがいたとする。そんな分際で、要介護の親やスネを囓る子供達に人生を捧げ、他人に媚びへつらってゴマを擂っている人を馬鹿にすれば、地獄に堕ちるだろう。本人の身になって考えれば、心から愛する親、妻、子供のために、恥を忍び泥棒になるしかないと思う気持ちも分かるはずだ。そんなわけで、泥棒を逮捕してボコボコにしている場合ではなく、人々が餓死・凍死をせぬよう政治の改革をしなくてはならない。人間は最低限の収入が無くなると、ろくな事を考えなくなる。生活が破綻するから泥棒になるのだ。腐った政治の下で、餓死・凍死が絶えないから前科者が増えるのだ。政治が国民を崖っぷちに追いやって犯罪をそそのかすのに、その罪だけを償わせるとは何事か。

 ならば救済とは何か? 国を治める人が調子に乗るのを止め、豪遊も止め、国民を慈しみ、農業を奨励すればよい。それが、労働者の希望になることは疑う余地もない。着る物も食べる物も間に合っている境遇で献金活動などをしているとしたら、そいつは本当の悪人だと言ってよろしい。

原文

 心なしと見ゆる者も、よき一言(ひとことはいふものなり。ある荒夷(あらえびす(おそろしげなるが、かたへにあひて、「御子(おこはおはすや」と問ひしに、「一人も持ち(はべらず」と答へしかば、「さては、もののあはれは知り給はじ。情なき御心(みこころにぞものし給ふらんと、いと恐し。子(ゆゑにこそ、万のあはれは思ひ知らるれ」と言ひたりし、さもありぬべき事なり。恩愛(おんあいの道ならでは、かゝる者の心に、慈悲(じひありなんや。孝養(けうやうの心なき者も、子持ちてこそ、親の志は思ひ知るなれ。

 世を捨てたる人の、(よろづにするすみなるが、なべて、ほだし多かる人の、(よろづ(へつらひ、望み深きを見て、無下に思ひくたすは、僻事(ひがごとなり。その人の心に成りて思へば、まことに、かなしからん親のため、妻子のためには、恥をも(わすれ、(ぬすみもしつべき事なり。されば、盗人(ぬすびと(いましめ、僻事をのみ罪せんよりは、世の人の(ゑず、寒からぬやうに、世をば(おこなはまほしきなり。人、(つねの産なき時は、(つねの心なし。人、(きはままりて盗みす。((をさまらずして、凍餒(とうたいの苦しみあらば、(とがの者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を(をかさしめて、それを罪なはん事、不便(ふびんのわざなり。

 さて、いかゞして人を恵むべきとならば、(かみ(おごり、(つひやす所を止め、民を(で、農を(すすめば、(しもに利あらん事、疑ひあるべからず。衣食尋常(よのつねなる上に僻事(ひがごとせん人をぞ、真の盗人(ぬすびととは言ふべき。

注釈

 恩愛(おんあい

  恩義や愛情に執着する感情。親子や夫婦の間について言う。

 孝養(けうやう

  仏教での、親の亡き後を丁重に弔うこと。

徒然草 第百四十一段

現代語訳

 悲田院の尭蓮上人は、またの名を「三浦何とか」と言い、無敵のサムライだった。ある日、故郷から客が来たので語り合ったところ、「東京者が言ったことは信用できるが、京都の奴らは口先ばかりで信用ならん」という話題になった。尭蓮聖は、「あなたはそう思うかも知れませんが、長く京都に馴染むと、とりわけ都会の人間の心が荒んでいるようには思えません。京都の者は皆、心が優しくて情にもろいから、人からお願いされてしまうと無下に断れないようです。気が弱く言葉に詰まって頼み事を承諾してしまうのです。約束を破ろうとは微塵も思っていないのですが、貧乏で生活もままならないから、自然と思い通りにならないのです。東京の田舎者は、私の故郷の人々ですが、実は、心に血が通ってなく、愛情が軽薄で偏屈頑固だから、最初から嫌だと言って終わりにします。田舎者は財産を貯め込んでいて裕福な人が多いので、カモにされているだけなのです」と説き伏せた。この聖は、話し方に訛りがあり、荒削りで、仏の教えを細部まで理解していないように見えた。しかし、この話を聞いて聖のことが好きになった。大勢いる法師の中で寺を持つことができたのも、このような柔軟な心の持ち主だった結果であろう。

原文

 悲田院(ひでんゐん尭蓮上人(げうれんしやうにんは、俗姓(ぞくしやうは三浦の(なにがしとかや、(さうなき武者(むしやなり。故郷(ふるさとの人の(きたりて、物語(ものがたりすとて、「吾妻人(あづまびとこそ、言ひつる事は(たのまるれ、(みやこの人は、ことうけのみよくて、(まことなし」と言ひしを、(ひじり、「それはさこそおぼすらめども、己れは都に久しく住みて、(れて見(はべるに、人の心(おとれりとは思ひ(はべらず。なべて、心(やはらかに、情ある(ゆゑに、人の言ふほどの事、けやけく(いな(がたくて、(よろづえ言ひ放たず、心弱くことうけしつ。(いつはりせんとは思はねど、(ともしく、(かなはぬ人のみあれば、(おのづから、本意(ほい通らぬ事多かるべし。吾妻人(あづまびとは、我が方なれど、げには、心の色なく、情おくれ、偏にすぐよかなるものなれば、始めより(いなと言ひて(みぬ。(にぎはひ、(ゆたかなれば、人には(たのまるゝぞかし」とことわられ(はべりしこそ、この(ひじり、声うち歪み、荒々しくて、聖教(しやうげう(こまやかなる(ことわり、いと(わきまへずもやと思ひしに、この一言(ひとことの後、心にくゝ成りて、(おほかる(なかに寺をも住持(ぢゆうぢせらるゝは、かく(やはらぎたる所ありて、その(やくもあるにこそと(おぼ(はべりし。

注釈

 悲田院(ひでんゐん

  京の西と東に造られた孤児や老人を教育、治療するための複合型福祉施設。

 尭蓮上人(げうれんしやうにん

  伝未詳。

徒然草 第百四十段

現代語訳

 子孫に美田を残すのは、まともな人間のすることではない。下らぬ物を貯め込むのは恥であり、高価な物に心を奪われるのは情けない。何より遺品が多いのは、傍迷惑である。「私が貰っておきましょう」などと名乗り出る者が現れ、醜い骨肉の争いが勃発するだけだ。死後に誰かに譲ろうと思っている物があるならば、生きているうちにくれてやれば良い。

 生活必需品を持つだけで、後は何も持たない方が良いのである。

原文

 身死して(たから残る事は、智者(ちしやのせざる処なり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心を止めけんとはかなし。こちたく(おほかる、まして口惜(くちをし。「我こそ(め」など言ふ者どもありて、(あと(あらそひたる、(さまあし。(のち(たれにと志す物あらば、(けらんうちにぞ譲るべき。

 朝夕(あさゆふなくて(かなはざらん物こそあらめ、その(ほかは、何も(たでぞあらまほしき。

徒然草 第百三十九段

現代語訳

 家に植えたい木は、松と桜。五葉の松も良い。桜の花は一重が良い。「いにしえの奈良の都の八重桜」は、最近、世間に増え過ぎた。吉野山、平安京の桜は、みな一重である。八重桜は邪道で、うねうねとねじ曲がった花を咲かせる。わざわざ庭に植えることもないだろう。遅咲きの桜も、咲き間違えたようで白ける。毛虫まみれで花を咲かせるのも気味が悪い。梅は白とピンクが良い。一重の花が足早に咲き、追って八重咲きの花がルージュを引くように咲くのは嬉しい。遅咲きの梅は、桜のシーズンに重なり、適当にあしらわれ、桜に圧倒されて、情けなく悲惨である。「一重の梅が、最初に咲いて、最初に散っていくのは、見ていて潔く気持ちがよい」と、藤原定家が軒先に植えていた。今でも定家の家の南に二本生えている。それから、柳の木もオツなものだ。初春の楓の若葉は、どんな花や紅葉にも負けないほど煌めいている。橘や桂といった木は年代物で大きいのが良い。

 草は、ヤマブキ・フジ・カキツバタ・ナデシコ。池に浮かぶのは、ハチス。秋の草なら、オギ・ススキ・キキョウ・ハギ・オミナエシ・フジバカマ・シオン・ワレモコウ・カルカヤ・リンドウ・シラギク、そして黄色いキク。ツタ・クズ・アサガオ。どれも、伸びきらず、塀に絡まらない方が良い。これ以外の植物で、天然記念物や、外来種風の名前の物や、見たこともない花は、まるで愛でる気にもならない。

 どんな物でも、珍品で、入手困難な物は、頭の悪い人がコレクションして喜ぶ物である。そんな物は、無いほうが良い。

原文

 家にありたき木は、松・桜。松は、五葉(ごえふもよし。花は、一重(ひとえなる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り(はべるなる。吉野の花、左近(さこんの桜、皆、一重(ひとえにてこそあれ。八重桜は異様(ことやうのものなり。いとこちたく、ねぢけたり。植ゑずともありなん。遅桜(おそざくらまたすさまじ。虫の附きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅(うすこうばい一重(ひとえなるが(く咲きたるも、重なりたる紅梅の(にほひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、(おぼ(おとり、気圧(けおされて、枝に(しぼみつきたる、心うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心(く、をかし」とて、京極入道中納言(きやうごくのにふだうちゆうなごんは、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の(の南(きに、今も二本(ふたもと侍るめり。柳、またをかし。卯月(うづきばかりの若楓(わかかへで、すべて、(よろづの花・紅葉(もみぢにもまさりてめでたきものなり。(たちばな(かつら、いづれも、木はもの(り、大きなる、よし。

 草は、山吹(やまぶき(ふぢ杜若(かきつばた撫子(なでしこ。池には、(はちす。秋の草は、(をぎ(すすき桔梗(きちかう(はぎ女郎花(をみなへし藤袴(ふぢばかま紫苑(しをに吾木香(われもかう刈萱(かるかや竜胆(りんだう・菊。黄菊も。(つた(くづ・朝顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、(かき(しげからぬ、よし。この(ほかの、世に(まれなるもの、(からめきたる名の聞きにくゝ、花も見(れぬなど、いとなつかしからず。

 大方(おほかた、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて(きようずる物なり。さやうのもの、なくてありなん。

注釈

 京極入道中納言(きやうごくのにふだうちゆうなごん

  藤原定家。歌人。古典学者。『新古今和歌集』『新勅撰集』の選者。日記に『明月記』がある。

徒然草 第百三十八段

現代語訳

 「葵祭りが終わってしまえば、葵の葉はもういらない」と、ある人が、簾に懸けてあるのを全部捨ててしまった。味気ないことだと思ったが、比較的まともな人がやった事なので「そんなものか」と納得しきれないでいた。しかし、周防内侍は、

   逢う日まで葵を眺めて暮らしても別れが枯れて時が過ぎ去る

 と歌っていた。「簾に懸けた葵が枯れるのを詠んだ」と彼女の歌集に書いてある。古い歌の説明書きに「枯れた葵に結んで渡した」とも書いてあった。それから『枕草子』に、「過ぎ去った郷愁と言えば、枯れてしまった葵」というくだりがある。何となく枯れ葉に心を奪われたのだろう。鴨長明が書いた『四季物語』にも「祭が終わっても上等な簾に葵が懸かったままだ」とある。自然に枯れていくだけでも淋しくなるのに、何事も無かったかのように捨てたとしたら罪深い。

 貴人の寝室に懸かっているくす玉がある。九月九日、重陽の節句の日に菊に取り替えるから、五月五日に匂い玉に懸けた菖蒲は、菊の季節までそのままにしておくのだろう。中宮、研子の死後、古ぼけた寝室に菖蒲とくす玉が懸かっていたのを見て、「中宮が生きていた頃は、くす玉に懸けた菖蒲ですが、季節外れの今は涙の玉に懸け換えて、泣きじゃくります」と、弁乳母が詠めば、「菖蒲は今でも匂っているのに、この寝室はもぬけの殻だわ」と、江侍従が返したそうだ。

原文

 「祭過ぎぬれば、(のち(あふひ不用なり」とて、(ある人の、御簾(みすなるを皆取らせられ(はべりしが、色もなく(おぼ(はべりしを、よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど、周防内侍(すはうのないしが、

   かくれどもかひなき物はもろともにみすの(あふひ枯葉(かれはなりけり

 と(めるも、母屋(もや御簾(みすに葵の懸りたる枯葉を(めるよし、(いへ(しふに書けり。古き歌の詞書(ことばがきに、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。枕草子(まくらのさうしにも、「(しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。鴨長明(かものちやうめい四季物語(しきものがたりにも、「玉垂(たまだれ(のち(あふひ(とまりけり」とぞ書ける。己れと枯るゝだにこそあるを、名残(なごなく、いかゞ取り捨つべき。

 御帳(みちやうに懸れる薬玉(くすだまも、九月(ながつき九日、菊に取り替へらるゝといへば、菖蒲(さうぶは菊の(をりまでもあるべきにこそ。枇杷皇太后宮(びはのくわうたいこうぐうかくれ給ひて(のち、古き御帳(みちやう(うちに、菖蒲(さうぶ薬玉(くすだまなどの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ(をなほぞかけつる」と(べん乳母(めのとの言へる返事(かへりごとに、「あやめの草はありながら」とも、江侍従(がうじじゆうが詠みしぞかし。

注釈

 祭

  言うまでもなく、下賀茂神社の葵祭。

 周防内侍(すはうのないし

  平仲子。歌人。後冷泉、白河、堀河の三代にわたって宮中に仕えた。歌集に『周防内侍』がある。

 枕草子(まくらのさうし

  清少納言が書いた随筆。中に「過ぎにしかた恋しきもの。枯れたる葵」とある。

 鴨長明(かものちやうめい

  鎌倉後期の歌人。『方丈記』『発心集』『鴨長明集』『無名抄』などの著者。

 四季物語(しきものがたり

  鴨長明の著書だと伝えられているが定かではない。一月から十二月までの行事や四季の移ろいについて書かれてある。

 玉垂(たまだれ

  美しい簾。和歌の上の句で、下の句は「かれても通へ人の面影」で、和泉式部の作と伝えられているが定かでない。

 薬玉(くすだま

  五月五日の端午の節句に、浮上を払い、邪気を避け、長寿を願う為に簾や柱にかけた玉。

 枇杷皇太后宮(びはのくわうたいこうぐう

  三条天皇の中宮、研子。

 (べん乳母(めのと

  藤原順時の娘。歌人。歌集に『辨乳母集』がある。

 江侍従(がうじじゆう

  父は文章博士、大江匡衡、母は赤染衛門。歌人。勅撰集に十首ほど入集している。

徒然草 第百三十七段

現代語訳

 サクラの花は満開の時だけを、月は影のない満月だけを見るものだろうか? 雨に打たれて雲の向こうに浮かぶ月を恋しく思い、カーテンを閉め切って春が終わっていくのを見届けないとしても、また、ふんわりと優しい気持ちになるものだ。こぼれそうなツボミの枝や、花びらのカーペットが敷かれている庭だって見所はたくさんある。短歌の説明書きなどでも「お花見に行ったのですが、既に散り去っていて」とか「のっぴきならぬ事情で花見に行けなくて」と書いてあるのは「満開のサクラを見て詠みました」と書いてある短歌に負けることがあるだろうか? 花が散り、月が欠けていくのを切ない気持ちで見つめるのは自然なことであるが、なかには、この気持ちを知らない人がいて「この枝も、あの枝も、花が散ってしまった。もう花見など出来ない」と騒ぐ。

 この世界の事は、始めと終わりが大切なのだ。男女のアフェアだって、本能の赴くまま睦み合うのが全てだろうか? 逢わずに終わった恋の切なさに胸を焦がし、変わってしまった女心と、未遂に終わった約束に放心しながら、終わりそうもない夜を一人で明かし、恋しい人がいる場所に男の哀愁をぶっ放したり、雑草の生い茂る荒れ果てた庭を眺めては、懐かしいあの頃を想い出したりするのが、恋の終着駅に違いない。澄み切った空に、光り輝く満月が空を照らす景色よりも、夜明け近くまで待ち続け、やっと出た月が、妖しく青い光を放ち、山奥の杉の枝にぶら下がったり、樹の間に影を作ったり、時折雨を降らせた雲の向こうに隠れているのは、格別に神々しい。椎や樫の木の濡れた葉の上に、月の光がキラキラと反射しているのを見ると、心が震え、この気持ちを誰かと共有したくなり、京都が恋しくなる。

 月であってもサクラであっても、一概に目だけで見るものだろうか? サクラが咲き乱れる春は、家から一歩も出なくても、満月の夜は、部屋に籠もっていても、妄想だけで気持ちを増幅させることは可能だ。洗練された人は好事家には見えず、貪ったりしない。中途半端な田舎者ほど、実体だけをねちっこく有り難がる。サクラの木の根本にへばりついて、身をよじらせ、すり寄って、穴が空くほど見つめていたかと思えば、宴会を始め、カラオケにこぶしを震わせたあげく、太い枝を折って振り回したりする始末である。澄んだ泉には手足をぶち込むし、雪が降れば、地面に降りて足跡を付けたがり、自然をあるがままに、客観的に受け入れられないようだ。

 こういう田舎者が、下鴨神社の葵祭を見物している現場は、大変ちんちくりんである。「見せ物がなかなか来ない。来るまでは観客席にいる必要もない」などと言って、奥にある部屋で酒を飲み、出前を取って、麻雀、花札などのギャンブルに燃える。見物席に見張りを立たせておいたので、「いま通り過ぎます」と報告があった時に、あれよあれよと内臓が圧迫するぐらいの勢いで、お互いに牽制しながら走り、落っこちそうになるまで、すだれを押し出して、押しくらまんじゅう。一瞬でも見逃すまいと凝視して、「ガー。ピー」と何かあるたびに奇声を発する。行列が去ると「次が来るまで」と、見物席から消えていく。ただ単に祭の行列だけを見ようと思っているのだろう。一方、都会の気高い人は目を閉じて、何も見ようとしない。都会の若者たちは、主人の世話に立ったり座ったりして、見物を我慢している。控えのお供も、品なく身を乗り出したりせず、無理をして祭を見ようとしない。

 葵祭の日だから思い思いに葵の葉を掛けめぐらせて、街は不思議な雰囲気である。そんな中、日の出に、するすると集まってくる車には「誰が乗るのだろうか」と思い、あの人だろうか? それともあの人だろうか? と、思いを巡らせていると、運転手や執事などに見覚えのある人がいる。そして煌びやかに輝く葵の葉を纏った車が流れて行くのを見れば、我を忘れてしまう。日が落ちる頃、並んでいた車も、黒山の人集りも、一体どこへ消えて行くのだろうか? 人が疎らになり、帰りの車が行ってしまうと、スダレやゴザが片付けられ、目の前が淋しくなる。そして、永遠なんて何一つ無い世の中とオーバーラップして儚い気持ちになる。行列を見るよりも、終日、大通りの移り変わりを見るのが本当の祭見物なのだ。

 見物席の前を往来している人の中に、知った顔が大勢いたので、世間の人口も、それほど多くないと思った。この人達がみんな死んでしまった後に、私が死ぬ運命だったとしても、たいした時間も残されていないだろう。大きな袋に水を入れて針で小さな穴を刺したら、水滴は少しずつ落ちるが、留まることが無いのだから最後は空になる。同じく、都会に生きる人の誰かが一人も死なない日など無い。毎日、死者は一人や二人では済まない。鳥部野や舟岡、他の火葬場にも棺桶がやたら多く担ぎ込まれる日があるけれど、棺桶を成仏させない日などない。だから棺桶業者は、作っても、作っても在庫不足に悩まされる。若くても、健康でも、忘れた頃にやって来るのが死の瞬間である。今日まで何とか生きてこられたのは有り得ないことで、奇跡でしかない。「こんな日がいつまでも続けばいいな」などと、田分けた事を考えている場合ではないのだ。オセロなど盤上にコマを並べている時は、ひっくり返されるコマがどれだか分からないが、まず一カ所をひっくり返して、何とか逃れても、その次の手順で、その外側がひっくり返されてしまう。このコマが取れる、あのコマが取れる、とやっているうちに、どれも取れなくなってしまい、結局は全部、ひっくり返されて、盤上は真っ黒になる。これは、死から逃れられないのと、非常によく似ている。兵隊が戦場に行けば、死が近いと悟って、家や自分の身体のことも忘れる。しかし、「世を捨てました」と言って隠遁しているアナーキストが、掘っ建て小屋の前で、いぶし銀に石を置き、水を流して庭をいじりをし、自分の死を夢にも思っていないのは、情けないとしか言いようがない。静かな山奥に籠もっていたとしても、押し寄せる強敵、平たく言うと死の瞬間が、あっという間にやって来ないことがあるだろうか? 毎日、死と向かい合っているのだから、敵陣に突き進む兵隊と同じなのだ。

原文

 花は盛りに、月は(くまなきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛(ゆくへ知らぬも、なほ、あはれに情け深し。咲きぬべきほどの(こずゑ、散り萎れたる庭などこそ、見所(みどころ多けれ。歌の詞書(ことばがきにも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに(おとれる事かは。花の散り、月の(かたぶくを(したふ習ひはさる事なれど、(ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝(りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。

 (よろづの事も、始め・終りこそをかしけれ。(をとこ(をんな(なさけも、ひとへに(ひ見るをば言ふものかは。(はで(みにし(さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明し、遠き雲井(くもゐを思ひやり、浅茅(あさぢ宿(やどに昔を(しのぶこそ、色(このむとは言はめ。望月(もちづきの隈なきを千里(ちさと(ほかまで眺めたるよりも、(あかつき近くなりて待ち(でたるが、いと心深う(あをみたるやうにて、深き山の杉の(こずゑに見えたる、木の(の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば白樫(しらかしなどの、(れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に沁みて、心あらん友もがなと、都恋しう(おぼゆれ。

 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち(らでも、月の夜は(ねやのうちながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。よき人は、ひとへに(けるさまにも見えず、(きようずるさまも等閑(なほざりなり。片田舎(かたゐなかの人こそ、色こく、万はもて興ずれ。花の(もとには、ねぢより、立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌(れんがして、果は、大きなる枝、心なく折り取りぬ。(いづみには手足さし浸して、雪には下り立ちて(あとつけなど、万の物、よそながら見ることなし。

 さやうの人の(まつり(しさま、いと(めづらかなりき。「見事いと遅し。そのほどは桟敷(さじき不用なり」とて、奥なる屋にて、酒飲み、物食ひ、囲碁(ゐご双六(すごろくなど遊びて、桟敷(さじきには人を置きたれば、「渡り(さうらふ」と言ふ時に、おのおの(きも(つぶるゝやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで(すだれ張り(でて、押し合ひつゝ、一事(ひとことも見洩さじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物毎に言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。たゞ、物をのみ見んとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、(ねぶりて、いとも見ず。若く末々(すゑずゑなるは、宮仕(みやづかへに立ち(、人の(うし(さぶらふは、(さまあしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし。

 何となく(あふひ(かけけ渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、(しのびて(する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼(うしかひ下部(しもべなどの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交ふ、見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立て並べつる車ども、所なく(みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく(まれに成りて、車どものらうがはしさも済みぬれば、(すだれ(たたみも取り払ひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世の(ためしも思ひ知られて、あはれなれ。大路(おほち見たるこそ、祭見たるにてはあれ。

 かの桟敷(さじきの前をこゝら行き(ふ人の、見知れるがあまたあるにて、知りぬ、世の人数(ひとかずもさのみは多からぬにこそ。この人皆(せなん(のち、我が身死ぬべきに(さだまりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる(うつはものに水を入れて、細き穴を明けたらんに、滴ること少しといふとも、(おこた(なく(りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人・二人のみならんや。鳥部野(とりべの舟岡(ふなをか、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、(ひつぎ(ひさく者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひ懸けぬは死期(しごなり。今日(けふまで(のが(にけるは、ありがたき不思議(ふしぎなり。(しばしも世をのどかには思ひなんや。継子立(ままこだてといふものを双六(すごろくの石にて作りて、立て並べたるほどは、取られん事いづれの石とも知らねども、(かぞへ当てて一つを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた(かぞふれば、彼是(かれこれ間抜(まぬき行くほどに、いづれも(のがれざるに似たり。(つはものの、(いくさ(づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世を(そむける草の(いほりには、閑かに水石(すいせきを翫びて、これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし。閑かなる山の奥、無常(むじやう(かたき(きほ(きたらざらんや。その、死に(のぞめる事、(いくさ(ぢんに進めるに同じ。

注釈

 詞書(ことばがき

  和歌の説明書き。

 椎柴(しひしば

  椎の木や、椎の木から生えている草木。

 白樫(しらかし

  ブナ科の常緑樹。

 鳥部野(とりべの

  鳥部山(第七段参照)の山麓。墓地、火葬場があった。

 舟岡(ふなをか

  京都市上京区にある舟の形の丘。墓地、火葬場があった。

 継子立(ままこだて

  室町時代の数学を使った遊び。