現代語訳
気ままに流れる飛鳥川は、昨日まで深かった場所が、翌日には浅瀬になっている。人の生きる世界も永遠に今の状態で続くことはない。時は過ぎ、始まりは終わりになり、喜びや悲しみも過ぎ去る。繁華街も整地されて原野となり、古民家の住人も過去に住んだ人とは違う。昔から咲いているのは、桃やスモモの木だけだ。彼らはコミュニケーション能力を持たないから、昔日の繁栄を語り継ぐ術を持たない。だから、見たこともない太古の大遺跡は、あぶくと一緒だ。
京極殿や法成寺の廃墟を見ると、施工主の願いが叶わず、都市計画の跡形さえないので、心に淋しい風を立てる。藤原道長がデベロッパーとなり、土地を転がし、複合施設を建設してピカピカに磨き上げた。当時は「自分の肉親だけが天皇を食い物にして、いつまでもこんな日が続きますように」と願っていただけに、どんな世界になろうとも、ここまでメチャクチャになるとは想像さえしなかっただろう。寺院の門や、本殿は最近まで残っていたが、花園天皇の時代に南の門が火災にあった。本殿も地震で倒壊し、復旧計画は無い。阿弥陀堂だけは現存しており、五メートル弱の仏像が九体並び「我関せず」と他人事のように安置されている。達筆な藤原行成が書いた額縁や、源兼行が書いた扉の文字が鮮やかに残っている光景は、異様なほど虚しい。仏道修行をする建物もまだ残っているが、そのうち燃えて無くなるだろう。このような伝説さえなく、建物の基礎だけある場所などは、知る人もなく、いかなる物か謎だけが残る。
この例からも、自分の死後、見ることが不可能な世界のことを思って、何かを計画するのは、森羅万象、無駄であり意味がない。
原文
飛鳥川 の淵瀬 、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李 もの言はねば、誰 とともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。
京極殿 ・法成寺 など見るこそ、志留 まり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿 の作り磨かせ給ひて、庄園 多く寄せられ、我が御族 のみ、御門 の御後見 、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門 、金堂 など近くまでありしかど、正和 の比 、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院 ばかりぞ、その形とて残りたる。丈六 の仏九体、いと尊 くて並びおはします。行成 大納言の額、兼行 が書ける扉 、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華 なども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき礎 ばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。
されば、万に、見ざらん世までを思ひ掟 てんこそ、はかなかるべけれ。
注釈
奈良県高市群明日香村を流れる川。流れや流域が季節によって変わるため無常の象徴とされた。「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬となる」という歌から「飛鳥川の淵瀬」は「常ならぬ」の序詞になった。
『和漢朗詠集』に「桃李
藤原道長の邸宅。
道長が京極殿の東、鴨川近くに建設した大寺。
藤原道長(注釈4参照)のこと。法成寺の阿弥陀堂(無量寿院、注釈9参照)を京極御堂と呼んだため。
天皇の政治における後見役。
寺院の総門。法成寺には東西南北に門があった。
伽藍の中心にある、本尊をまつる仏殿。
花園天皇の時代。千三百十二年から千三百十七年の頃。
法成寺の阿弥陀堂の名前。
藤原行成。平安時代中期の廷臣。多芸多才で名を馳せる。三蹟の一人。
源兼行。能書家。
天台宗で法華三昧の行を行う仏堂のこと。法華三昧堂の略。