徒然草 第四十八段

現代語訳

 藤原光親が、仙洞御所で世界平和を祈る儀式の執行委員長をしていた時、後鳥羽上皇に呼び出された。上皇と一緒に食事をし、食べ散らかしたお膳を後鳥羽上皇のいる御簾の中に突っ込んで退場した。宮廷のお運びさんたちが「きゃぁ、汚らしいわ。誰に片づけさせるつもりなの」と、目を細め合っていると、上皇は「伝統継承者のすることは、宮中のマナーを心得ていて、天晴れだ」と言って何度も感激していたそうだ。

原文

 光親卿(みつちかのきやう、院の最勝講(さいしようかう奉行(ぶぎやうしてさぶらひけるを、御前へ召されて、供御(くご(だされて食はせられけり。さて、食ひ散らしたる衝重(ついがさね御簾(みす(うちへさし(れて、(まか(でにけり。女房、「あな(きたな。(たれにとれとてか」など申し合はれければ、「有職(いうそくの振舞、やんごとなき事なり」と、返々(かへすがへす感ぜさせ給ひけるとぞ。

注釈

 光親卿(みつちかのきょう

  藤原光親。承久の乱において、後鳥羽上皇の命令によって幕府征伐の案文を書いた。承久の乱が終わり、斬殺された。学才に富み、後鳥羽上皇に可愛がられ、歌の名手であった。

 最勝講(さいしょうこう

  東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺の四大寺からトップクラスの僧侶を呼び寄せて、宮中で天下太平を祈る仏事。

 奉行(ぶぎょう

  天皇の命を受けて、公事を執行すること。

 供御(くご

  上皇、天皇、皇后、皇太子などが食すお膳。

 衝重(ついがさね

  檜の白木で四角く作ったお盆に、檜のへぎ板を折り曲げて穴を開けて作った台を付けたもの。

 有職(ゆうしょく

  公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。

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