現代語訳
明日、遠い場所へ旅立とうとしている人に、腰を据えなければ出来ないことを、誰が言いつけるだろうか。突然の緊急事態の対処に追われている人や、不幸に嘆き悲しむしかない人は、自分のことで精一杯で、他人の不幸事や祝い事を見舞うこともないだろう。見舞わないからと言って「薄情な奴だ」と恨む人もいない。得てして、老人や寝たきりの人、ましてや世捨てのアナーキストは、これと同じである。
世間の儀式は、どんなことでも不義理にはできない。世間体もあるからと、知らないふりをするわけにも訳にいかず、「これだけはやっておこう」と言っているうちに、やることが増えるだけで、体にも負担がかかり、心に余裕が無くなり、一生を雑務や義理立てに使い果たし無意味な人生の幕を閉じることになる。既に日暮れでも道のりは遠い。人生は思い通りに行かず、既に破綻していたりする。もう、いざという時が過ぎてしまったら、全てを捨てる良い機会だ。仁義を守ることなく、礼儀を考える必要もない。世捨てのやけっぱちの神髄を知らない人から「狂っている」と言われようとも「変態」と呼ばれようとも「血が通っていない」となじられようとも、言いたいように言わせておけばよい。万が一、褒められることがあっても、もはや聞く耳さえなくなっている。
原文
明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心
閑 かになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。俄 かの大事をも営 み、切 に歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁 へ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、況 んや世をも遁 れたらん人、また、これに同じかるべし。
人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙 し難きに随 ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇 もなく、一生は、雑事 の小節にさへられて、空 しく暮れなん。日暮れ、塗 遠し。吾が生 既に蹉蛇 たり。諸縁を放下 すべき時なり。信をも守 らじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。毀 るとも苦 しまじ。誉 むとも聞き入れじ。
注釈
二字とも「つまづく」という意味で、思い通りに物事が進まないこと。