現代語訳
この日野資朝という人が、東寺の門で雨宿りをしていた。乞食でごった返しており、彼等の手足はねじ曲がり、反り返り、体中が変形していた。それを見て、「あちこちと珍しく変わった生き物だ。よく観察してみる価値がある」と、つぶらな瞳で観察したが、遂に飽きた。そして、見るのもうんざりし、不機嫌になった。「曲がっているより、普通の真っ直ぐな人間の方が良い」と思った。帰宅してから、大好きだった盆栽を見て「自然に逆らってクネクネ曲がっている木を見て喜ぶのは、あの乞食を見て喜ぶのと同じ事だ」と気がつき、一気に興ざめしたので、鉢に植えた盆栽を全部掘り起こして捨ててしまった。
わかるような気もする。
原文
この人、
東寺 の門に雨宿 りせられたりけるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も捩 ぢ歪み、うち反りて、いづくも不具 に異様 なるを見て、とりどりに類 なき曲物 なり、尤 も愛するに足 れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその興 尽きて、見にくゝ、いぶせく覚 えければ、たゞ素直に珍 らしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木 を好みて、異様 に曲折 あるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚 えければ、鉢 に植 ゑられける木ども、皆掘 り捨てられにけり。
さもありぬべき事なり。
注釈
この人
京都市下京区九条町にある古義真言宗東寺派の大本山。