徒然草 第百五十四段

現代語訳

 この日野資朝という人が、東寺の門で雨宿りをしていた。乞食でごった返しており、彼等の手足はねじ曲がり、反り返り、体中が変形していた。それを見て、「あちこちと珍しく変わった生き物だ。よく観察してみる価値がある」と、つぶらな瞳で観察したが、遂に飽きた。そして、見るのもうんざりし、不機嫌になった。「曲がっているより、普通の真っ直ぐな人間の方が良い」と思った。帰宅してから、大好きだった盆栽を見て「自然に逆らってクネクネ曲がっている木を見て喜ぶのは、あの乞食を見て喜ぶのと同じ事だ」と気がつき、一気に興ざめしたので、鉢に植えた盆栽を全部掘り起こして捨ててしまった。

 わかるような気もする。

原文

 この人、東寺(とうじの門に雨宿(あまやどりせられたりけるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も(ぢ歪み、うち反りて、いづくも不具(ふぐ異様(ことやうなるを見て、とりどりに(たぐひなき曲物(くせものなり、(もつとも愛するに(れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその(きよう尽きて、見にくゝ、いぶせく(おぼえければ、たゞ素直に(めづららしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木(うゑきを好みて、異様(ことやう曲折(きよくせつあるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく(おぼえければ、(はち(ゑられける木ども、皆(り捨てられにけり。

 さもありぬべき事なり。

注釈

 この人

  第百五十二段第百五十三段に登場した日野資朝。

 東寺(とうじ

  京都市下京区九条町にある古義真言宗東寺派の大本山。

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