現代語訳
宣時の朝臣が、老後に、問わず語りをしたことがあった。「ある晩、北条時頼様から、お誘いがありました。『すぐ伺います』と答えたものの、上着が見つからずあたふたしていると、また使いの者が来て、『上着でも探しているのか。もう夜なのでパジャマで構わない。すぐに参られよ』と、言います。仕方なくヨレヨレの背広を着てノーネクタイのまま伺いました。時頼様が、お銚子とお猪口を持って現れて、「この酒を一人で飲むのは淋しいから呼び出したのだよ。酒の肴も無いのだが……。皆、寝静まってしまっただろう。何かつまむ物でもないか探してきてくれ」とおっしゃいます。懐中電灯を持って、隅々まで探してみるとキッチンの棚に味噌が少し付いた小皿を見つけました。『こんな物がありました』と言うと、時頼様は『これで充分』と、ご機嫌で、何杯も飲んで酔っぱらいました。こんな時代もあったのですよ」と語ってくれた。
原文
平宣時朝臣 、老 の後 、昔語 りに、「最明寺入道 、或 宵 の間 に呼 ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂 のなくてとかくせしほどに、また、使来 りて、『直垂などの候 はぬにや。夜なれば、異様 なりとも、疾 く』とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのまゝにて罷りたりしに、銚子 に土器 取り添へて持て出 でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴 こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭 さして、隈々を求めし程に、台所の棚 に、小土器 に味噌 の少し附きたるを見出 でて、『これぞ求め得 て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献 に及びて、興に入 られ侍 りき。その世には、かくこそ侍 りしか」と申されき。
注釈
北条時頼。第百八十四段に登場。鎌倉幕府五代目の執権である。三十歳で執権を辞し、出家。道崇と称す。