現代語訳
宮中サロンの演奏会は優雅で心を揺さぶる。
よく響いて聞こえてくる音は、普通の笛と小さな竹笛の音色で、いつまでもずっと聴いていたいのは、琵琶や琴の音だ。
原文
神楽 こそ、なまめかしく、おもしろけれ。おほかた、ものの
音 には、笛・篳篥 。常に聞きたきは、琵琶 ・和琴 。
注釈
笛
神楽に使う大和笛。
中国から伝えられた竹の笛。
雅楽に使う琴。
伴奏に使う日本の弦楽器。
宮中サロンの演奏会は優雅で心を揺さぶる。
よく響いて聞こえてくる音は、普通の笛と小さな竹笛の音色で、いつまでもずっと聴いていたいのは、琵琶や琴の音だ。
神楽 こそ、なまめかしく、おもしろけれ。おほかた、ものの
音 には、笛・篳篥 。常に聞きたきは、琵琶 ・和琴 。
笛
神楽に使う大和笛。
中国から伝えられた竹の笛。
雅楽に使う琴。
伴奏に使う日本の弦楽器。
どんな場所でも、しばらく旅行をしていると目から鱗が落ちて新しい扉が開く。
旅先の周辺を「あっち、こっち」と見学して、田園や山里を歩けば、たくさんの未知との遭遇がある。それから、都心に送る絵はがきに「あれやこれを時間があるときにやっておくように」などと書き添えるのは格好がいい。
旅先の澄んだ空気を吸うと心のアンテナの精度が上がる。身につけているアクセサリーなども、よい物はよく見え、芸達者な人や男前な人や素敵なお姉さんは普段よりも輝いて見える。
お寺や、神社に内緒で引きこもっているのも、やはり渋い。
いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。
そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舎 びたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文 やる、「その事、かの事、便宜 に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。
さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持 てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。
寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。
都合の良いとき。
短歌はとても面白いものである。他人から羨望を集めることのない人や、マタギのやることなども歌の歌詞にしたらポップな感じになるし、あんなに恐ろしいイノシシのことでも「イノシシが枯れ草を集めて作ったベッド」なんて言うと可愛らしいものになってしまう。
最近の短歌といえば、一部分は面白く着地できているものはあるけれど、古き良き時代のものと比べたらどうだろうか。言葉を超越した何かに満たされる歌はまずない。紀貫之が「糸によるものならなくに別れ路の心ぼそくも思ほゆるかな(糸のようにねじって細くするわけにもいかないので、一人の別れ道は細くなってしまう。そして一緒に心も細くなっていくことだ)」と歌った短歌は、古今和歌集の中では「クソだ」と言われているけれども、今の人が作れるレベルの短歌だとは思えない。この時代の短歌にはこういう格調や言葉の使い方のものが多い。どうして貫之の歌だけが「クソ」扱いされているのか理解不能である。この歌は『源氏物語』では「糸による物とはなしに」と、紫式部によって引用され、改造されている。新古今和歌集の「冬の来て山もあらはに木の葉降り残る松さへ峯にさびしき」と言う短歌も「クソ」呼ばわりされていて、まあそうかもしれない。けれども、歌合戦の時に「佳作である」と言うことになって「その後皇帝がありがたがり、勲章をもらったと」家長の日記に書いてあった。
「短歌は昔から何も変わっていない」という説もあるけど、それは違う。今でも短歌によく使われている単語や観光名所などは、昔の人が短歌に使った場合の意味とは全く異なるのである。昔の短歌は優しさがあり、流れるようにテンポが良く、スタイルが整っていて、美しい。
『梁塵秘抄』に載っている懐かしのメロディは、中身も具だくさんで内容がぎっしり詰まっている。昔々の人々は下水に流すような言葉を使ったとしても、言葉の意味が自由に響き合っていた。
和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき
猪 のししも、「ふす猪 の床 」と言へば、やさしくなりぬ。
この比 の歌は、一 ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき覚 ゆるはなし。貫之 が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑 とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠 みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・詞 、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り難し。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、衆議判 の時、よろしきよし沙汰 ありて、後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長 が日記には書けり。
歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ詞 ・歌枕も、昔の人の詠 めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。
梁塵秘抄 の郢曲 の言葉こそ、また、あはれなる事は多かンめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。
紀貫之。平安時代初期の代表的歌人。
源氏物語
紫式部による平安朝の代表的古典作品。
歌の優劣を争う際に、判者ではなく参加者によって決定すること。
源家長。鎌倉前期の歌人。新三十六歌仙の一人。ここでいう日記とは『源家長日記』のこと。
歌枕
歌の題材にふさわしい名所や地名。
平安時代末期に編まれた歌謡集。編者は後白河法皇。
流行歌のさびの部分。郢とは楚の都。
ひとり淋しく懐中電灯の下で本を広げて、昔の文筆家たちと友情関係を育むことは、安心できて、楽しさのあまり心臓が停止してしまうぐらいに心が穏やかになる。
読書では、昭明太子が選んだのめり込みそうな詩集たちや、白楽天の詩や、老子のありがたい言葉や、荘周の道徳本などがよい。ニッポンの偉い先生方が書いたものだと、古い時代に書かれたものであれば信頼できるものも多い。
ひとり、
燈 のもとに文 をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文 は、文選 のあはれなる巻々、白氏文集 、老子のことば、南華 の篇。この国の博士 どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。
中国南北朝時代、梁の昭明太子によって編纂された詩文集。
唐の文学者、
老子
春秋時代の思想家。または老子によって記された『老子道徳経』のこと。
『荘子』のこと。荘周の著書とされる道家の文献。『南華真経』とも。「
自分と同じ心を持っている人がいれば、水入らずに語りあい、興味深い話題や、どうでもよいつまらない与太話でも、お互いに歯に衣を着せず話し、癒しあうことができて、こんなに嬉しいことはない。でも、そういう人は都合よくいるわけなく、たいていの場合は、相手を逆上させないように適当に相槌を打って話す羽目になる。すると鏡に向かって話しているような気分になり、虚しくなる。
同じ結論の話であれば「そうだね」と聞いてみる価値もあるけれど、違った意見であったならば「そんなことはない」と論争が勃発し「そうしたら、こうなるではないか」などと議論になる。それはそれで退屈な気持ちから解放されて良いのかもしれない。けれども本当は、小さな愚痴も受け止めてもらえない人と話していたら、とりとめのない話をしているうちは良いけれど、魂まで交流できる友達と比べたら宇宙の彼方にいる人と話しているようで、切ない気持ちになる。
同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ
慰 まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違 はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方 のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔 たる所のありぬべきぞ、わびしきや。
我と等しからざらん人
『伊勢物語』第百二十四段の「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」をふまえているようである。
よしなしごと
序段を参照のこと。
神様たちが出雲へ会議に出かける頃、栗栖野というところを越えて、とある山奥を徘徊し、果てしない苔の小径を歩いて奥へと進み、落ち葉を踏みつぶして歩くと、一軒の火をつけたらすぐに全焼しそうなボロ屋があった。木の葉で隠れた、飲料水採取用の雨どいを流れる雫の音以外は、全く音が聞こえてこない。お供え物用の棚に、菊とか紅葉が飾ってあるから、信じられないけれど誰かが住んでいるのに違いない。
「まったく凄い奴がいるものだ、よくこんな生活水準で生きて行けるなあ」と心ひかれて覗き見をしたら、向こうの方の庭にばかでかいミカンの木がはえていて、枝が折れそうなぐらいミカンがたわわに実っているのを発見した。そのまわりは厳重にバリケードで警戒されていた。それを見たら、今まで感動していたことも馬鹿馬鹿しくなってしまい「こんな木はなくなってしまえ」とも思った。
神無月 の比 、栗栖野 といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入 る事侍 りしに、遥 かなる苔 の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵 あり。木の葉に埋もるゝ懸樋 のじづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚 に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに、住む人のあればなるべし。
かくてもあられけるよとあはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子 の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりをきびしく囲 ひたりしこそ、少 しことさめて、この木なからましかばと覚 えしか。
千三百十三年、十月のことと考えられる。
山城国宇治群、現在の京都市山科区山科。
泉から水を引くための樋。
仏前の供える聖水を入れる器を載せる棚のこと。
住まいの建築様式は、バランスが理想的であってほしい。短い人生の仮寝の宿と知りつつも気になるものだ。
優良市民が閑静に住み続けている所は、降りそそぐ月光が、よりいっそう心に浸みる。流行の最先端を走っているわけでもなく、華美でもなく、植えてある木々が年代物で、自然に生い茂っている庭の草も趣味がよく、縁側の
それに引き替え、大人数の大工が汗水たらしながら磨いた「メイド・イン・チャイナ」とか「メイド・イン・ジャパン」とか言う、珍品、貴重品などを陳列したり、植え込みの草木まで不自然で人工的に仕上げたものは、目を背けたくなるし、見ると気分が悪くなる。そこまでして細部にわたって拘って建築したとしても、いつまでも住んでいられるわけがない。「すぐに燃えてなくなってしまうだろう」と見た瞬間に想像させるだけの代物である。たいていの建築物は、住んでいる奴の品格が自然と滲み出てくるものだ。
後徳大寺で坊さんになった藤原実定が、ご本殿の屋根にトンビがクソを垂れないように縄を張っていた。それを西行が見て「トンビがとまってクソをまき散らしたとしても、何も問題はありません。ここの亭主のケツの穴といったら、だいたいこの程度のものでしょう」と、この家に近寄ることは無くなったと聞いた。綾小路宮が住んでいる小坂殿という建物に、いつだか縄が張ってあったので、後徳大寺の実定を思い出したのだが「カラスが群をなして池のカエルを食べてしまうのを綾小路宮が見て、可哀想に思ったから、こうしているのだ」と誰かが言っていた。何とも健気なことだと感心した。もしかしたら、後徳大寺にも何か特別な理由があったのかも知れない。
家居 のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮 の宿 りとは思へど、興あるものなれ。
よき人の、のどやかに住みなしたる所は、さし入りたる月の色も一きはしみじみと見ゆるぞかし。今めかしく、きらゝかならねど、木立もの古りて、わざとならぬ庭の草も心あるさまに、簀子 ・透垣 のたよりをかしく、うちある調度も昔覚 えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
多くの工 の、心を尽してみがきたて、唐 の、大和 の、めづらしく、えならぬ調度ども並べ置き、前栽 の草木まで心のままならず作りなせるは、見る目も苦しく、いとわびし。さてもやは長らへ住むべき。また、時の間 の烟 ともなりなんとぞ、うち見るより思はるゝ。大方は、家居 にこそ、ことざまはおしはからるれ。
後徳大寺大臣 の、寝殿 に、鳶 ゐさせじとて縄 を張られたりけるを、西行が見て、「鳶 のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は参 らざりけると聞き侍 るに、綾小路宮 の、おはします小坂殿 の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かの例 思ひ出でられ侍 りしに、「まことや、烏 の群 れゐて池の蛙 をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故 か侍りけん。
無常の世の中では、家は一時の宿でしかない。「旅の空かりの宿りと思へどもあらまほしきはこの住まいかな……人生という長旅のようなものの住まいは、空を飛ぶ雁が空を住まいにしているようなものだけど、やっぱり我が家が一番である」明恵上人歌集。
ひさしに夜露がたまらないように造られた縁側と、竹や細い板で造られた檻のような塀のこと。
庭の植え込みのこと。
藤原実定。新古今時代の歌人。祖父
西行
俗名佐藤
亀山天皇の第十二皇子で、性恵法親王。妙法院の跡継ぎだった。
女の子の髪の毛はなんてハラショーなのだろう。男の子だったら、みんなが夢中になってしまう。けれども、女の子の性格だとか人柄は、障子やすだれ越しに少しお話しただけでもわかってしまうものだ。
ささいなことで女の子が無邪気に振る舞ったりしただけでも、男の子はメロメロになってしまう。そして女の子が、ほとんどぐっすりと眠ったりはしないで「わたしの体なんてどうなってもいいの」と思いながら普通なら辛抱たまらんことにも健気に対応しているのは一途に男の子への愛欲を想っているからなのである。
人を恋するということは、自分の意志で作り出しているものじゃないから、止まらない気持ちを抑えることはどうにもできない。人間には、見たい、聞きたい、匂いかぎたい、舐めたい、触りたい、妄想、という六つの欲望があるけれども、これらは、百歩ゆずれば我慢できなくもない。しかし、その中でもどうしても我慢できないことは、女の子を想って切なくなってしまうことである。死にそうな爺さんでも、青二才でも、知識人と呼ばれる人でも、コンビニにたむろしている人でも、なんら違いがないように思われる。
だから「女の子の髪の毛を編んで作った縄には、ぞうさんをしっかり繋いでおくことができ、女の子の足のにおいがする靴で作った笛の音には、秋に浮かれている鹿さんが、きっと寄ってくる」と言い伝えられているのだ。男の子が気をつけて「恐ろしい」と思い、身につまされなくちゃいけない事は、こういった恋愛や女の子の誘惑なのである。
女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかンめれ、人のほど・心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、
物越 しにも知らるれ。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝 も寝 ず、身を惜 しとも思ひたらず、堪 ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。
まことに、愛著 の道、その根深く、源 とほし。六塵 の楽欲 多しといへども、みな厭離 しつべし。その中に、たゞ、かの惑 ひのひとつ止 めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。
されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象 もよく繋がれ、女のはける足駄 にて作れる笛には、秋の鹿 、必 ず寄 るとぞ言ひ伝へ侍 る。自ら戒めて、恐 るべく、慎 むべきは、この惑 ひなり。
女の愛情に執着する道のこと。
仏教において、人間の感覚器官を、眼、耳、鼻、舌、体、意識の六根という六つの働きに分類する。それらの器官に刺激を与える、色、声、香り、味、感触、掟は人間の心を穢す物として「
男の子を狂わせる事といえば、なんと言っても性欲がいちばん激しい。男心は節操がなく身につまされる。
香りなどはまやかしで、朝方に洗髪したシャンプーのにおいだとわかっていても、あのたまらなくいいにおいにはドキドキしないではいられない。「空飛ぶ術を身につけた仙人が、足で洗濯をしている女の子のふくらはぎを見て、仙人からただのイヤらしいおっさんになってしまい空から降ってきた」とかいう話がある。二の腕やふくらはぎが、きめ細やかでぷるぷるしているのは、女の子の生の可愛さだから妙に納得してしまう。
世の人の心惑はす事、
色欲 には如かず。人の心は愚 かなるものかな。
匂 ひなどは仮 のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米 の仙人の、物洗ふ女の脛 の白きを見て、通 を失ひけんは、まことに、手足 ・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。
大和の国の竜門寺にて飛行の術の修行を行っていた。「後ニ
あだし野の墓地の露が消える瞬間がないように命は儚く、
この世に生きる生物を観察すると、人間みたくだらだらと生きているものも珍しい。かげろうは日が暮れるのを待って死に、夏を生きる蝉は春や秋を知らずに死んでしまう。そう考えると、暇をもてあまし一日中放心状態でいられることさえ、とてものんきなことに思えてくる。「人生に刺激がない」と思ったり「死にたくない」と思っていたら、千年生きても人生など夢遊病と変わらないだろう。永遠に存在することのできない世の中で、ただ口を開けて何かを待っていても、ろくな事など何もない。長く生きた分だけ恥をかく回数が多くなる。長生きをしたとしても、四十歳手前で死ぬのが見た目にもよい。
その年齢を過ぎてしまえば、無様な姿をさらしている自分を「恥ずかしい」とも思わず、人の集まる病院の待合室のような場所で「どうやって出しゃばろうか」と思い悩みむことに興味を持ちはじめる。没落する夕日の如く、すぐに死ぬ境遇だが、子供や孫を可愛がり「子供たちの晴れ姿を見届けるまで生きていたい」と思ったりして、現実世界に執着する。そんな、みみっちい精神が膨らむだけだ。そうなってしまったら「死ぬことの楽しさ」が理解できない、ただの肉の塊でしかない。
あだし野の露消ゆる時なく、
鳥部山 の烟 立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋 を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年 を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年 を過 すとも、一夜 の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱 多し。長くとも、四十 に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの陽 に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
あだし野
京都北西郊外の墓地。今でも念仏寺があり、墓場の代表的な名称として使われる。
京都東山にある火葬場。あだし野の露は消えやすく、鳥部山の煙はすぐ溶けてしまうように、人の生は儚いことをたとえている。