つれづれぐさ(上)

徒然草 第百十六段

現代語訳

 お寺の名前や、その他の様々な物に名前を付けるとき、昔の人は、何も考えずに、ただありのままに、わかりやすく付けたものだ。最近になって、よく考えたのかどうか知らないが、小細工したことを見せつけるように付けた名前は嫌らしい。人の名前にしても、見たことのない珍しい漢字を使っても、まったく意味がない。

 どんなことも、珍しさを追求して、一般的ではないものをありがたがるのは、薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうなことである。

原文

 寺院の(、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深く(あんじ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣(めなれぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

 何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才(せんざいの人の必ずある事なりとぞ。

徒然草 第百十五段

現代語訳

 宿河原という所に、ぼろぼろという無宿渡世人が大勢集まって、死んだら地獄に堕ちないように念仏を唱えていた。外から入って来たぼろぼろが、「もしかしてこの中に、いろをし房というぼろぼろはいらっしゃいますか?」と尋ねた。中から「いろをしはここにいるが、そう聞くお前は何者だ?」と尋ね返したので、「私は、しら梵字という者です。私の師匠の何某が、東京でいろをしと名乗る者に殺されたと聞いたので、その人に会って恨みを晴らそうと尋ねたのです」と答えた。いろをしは「それは、ようこそ。そんなこともあったかも知れないが、ここで向かい合ったら道場が汚れる。表の河原に出ろ。周りの野次馬ども、助太刀無用。大勢の迷惑になると折角の法事も台無しだ」と話を付けて、二人は河原に出て、思い切り刺し合って共倒れた。

 昔は、ぼろぼろなどいなかった。最近になって、ぼろんじ、梵字、漢字と名乗る者が現れて、それが始まりだという。世捨て人のように見えて、自分勝手で、仏の下部のふりをしているが、戦いのエキスパートだ。無頼放蕩で乱暴者だが、命を粗末にし、いつでも死ねるのが清々しいので、人から聞いた話をそのまま書いた。

原文

 宿河原(しゆくがはらといふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品(くほんの念仏を申しけるに、(ほかより入り(きたたるぼろぼろの、「もし、この御中(おんなかに、いろをし(ぼうと申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに(さうらふ。かくのたまふは、(たれそ」と答ふれば、「しら梵字(ぼじと申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に(ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、(たづね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事(はべりき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の(さまたげに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ(であひて、心行くばかりに(つらぬ(ひて、共に死ににけり。

 ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。近き世に、ぼろんじ・梵字(ぼじ・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。世を捨てたるに似て((しふ深く、仏道を願ふに似て闘諍(とうじやうを事とす。放逸(はういつ無慙(むざんの有様なれども、死を(かろくして、少しもなづまざるかたのいさぎよく(おぼえて、人の語りしまゝに書き付け(はべるなり。

注釈

 宿河原(しゆくがはら

  神奈川県川崎市宿河原

 ぼろぼろ

  非僧非俗の無宿渡世人で徒党を組み山に放浪した乞食。

 九品(くほんの念仏

  詳細は研究中とのこと。極楽浄土を心に期する念仏か。九品浄土に往生することを願って行う念仏のことか。

 わきざし

  周りに付きそう者。手下の者。

 ぼろんじ

  インド、カーストの婆羅門階級の説法師のことか。

 梵字(ぼじ

  梵志が転訛したものだろうか? 外道であり仏門に入った者。

徒然草 第百十四段

現代語訳

 今出川の大臣が嵯峨へ出かけた時に、有栖川あたりの泥濘んだ場所で運転手の賽王丸が牛を追ったので、牛が蹴り上げる水が車のフロントバンパーに飛び散った。後部座席に乗っていた、大臣の舎弟、為則が「おのれ、こんなところで牛を追う馬鹿がいるか」と罵ったので、大臣はにわかに機嫌が悪くなり「お前が車の運転をしたところで賽王丸に及ぶまい。お前が本当の馬鹿者だ」と言い放ち、車に為則の頭を打ち付けた。噂の賽王丸とは、内大臣、藤原信清の家来で、元は皇室のお抱え運転手だった。

 信清内大臣に仕える女中は、今となっては何のことだか分からないが、一人は膝幸、一人はこと槌、一人は抱腹、一人は乙牛と、牛にちなんだ名前が付いていた。

原文

 今出川(いまでがは大殿(おほいどの嵯峨(さがへおはしけるに、有栖川(ありすがはのわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸(さいわうまる、御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板(まへいたまでさゝとかゝりけるを、為則(ためのり御車(みくるまのしりに候ひけるが、「希有(けう(わらはかな。かゝる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、大殿(おほいどの御気色(みけしき(しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有(けうの男なり」とて、御車に(かしらを打ち当てられにけり。この高名(かうみやうの賽王丸は、太秦殿(うづまさどのの男、(れうの御牛飼(うしかひぞかし。

 この太秦殿に(はべりける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

注釈

 今出川(いまでがは大殿(おほいどの

  太政大臣、西園寺公相(さいおんじきんすけ

 嵯峨(さが

  京都市右京区嵯峨の場所。

 有栖川(ありすがは

  嵯峨にあった地名。

 賽王丸(さいわうまる

  西園寺家の、公経(きんつね実氏(さねうじ公相(きんすけの三代に仕えた牛飼い。

 あがきの水

  牛が地面を蹴って跳ねた水。

 為則(ためのり

  伝未詳。公相の家来か。

 太秦殿(うづまさどの

  藤原信清。内大臣。

 (れうの御牛飼(うしかひ

  後嵯峨院に仕えた御牛飼。

徒然草 第百十三段

現代語訳

 四十過ぎのおっさんが、恋の泥沼に填って、こっそりと胸に秘めているのなら仕方がない。でも、わざわざ口に出して、男女のアフェアや、他人の噂を喜んで話しているのは嫌らしく、気色が悪い。

 ありがちな聞くに忍びなく見苦しいことと言えば、年寄りが青二才に分け入ってウケ狙いの物語をすること。有象無象の人間が、著名人を友達のように語ること。貧乏人の分際で宴会を好み、客を呼んでリッチなパーティをすること。

原文

 四十(よそぢにも余りぬる人の、色めきたる(かた、おのづから忍びてあらんは、いかゞはせん、(ことに打ち出でて、男・女の事、人の上をも言ひ戯るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。

 大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人の、若き人に(まじはりて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人(まれびと饗応(あるじせんときらめきたる。

徒然草 第百十二段

現代語訳

 明日、遠い場所へ旅立とうとしている人に、腰を据えなければ出来ないことを、誰が言いつけるだろうか。突然の緊急事態の対処に追われている人や、不幸に嘆き悲しむしかない人は、自分のことで精一杯で、他人の不幸事や祝い事を見舞うこともないだろう。見舞わないからと言って「薄情な奴だ」と恨む人もいない。得てして、老人や寝たきりの人、ましてや世捨てのアナーキストは、これと同じである。

 世間の儀式は、どんなことでも不義理にはできない。世間体もあるからと、知らないふりをするわけにも訳にいかず、「これだけはやっておこう」と言っているうちに、やることが増えるだけで、体にも負担がかかり、心に余裕が無くなり、一生を雑務や義理立てに使い果たし無意味な人生の幕を閉じることになる。既に日暮れでも道のりは遠い。人生は思い通りに行かず、既に破綻していたりする。もう、いざという時が過ぎてしまったら、全てを捨てる良い機会だ。仁義を守ることなく、礼儀を考える必要もない。世捨てのやけっぱちの神髄を知らない人から「狂っている」と言われようとも「変態」と呼ばれようとも「血が通っていない」となじられようとも、言いたいように言わせておけばよい。万が一、褒められることがあっても、もはや聞く耳さえなくなっている。

原文

 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心(しづかになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。(にはかの大事をも(いとなみ、(せちに歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の(うれへ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、(いはんや世をも(のがれたらん人、また、これに同じかるべし。

 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の(もだし難きに(したがひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の(いとまもなく、一生は、雑事(ざふじの小節にさへられて、(むなしく暮れなん。日暮れ、(みち遠し。吾が(しやう既に蹉蛇(さだたり。諸縁を放下(はうげすべき時なり。信をも(まぼらじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。(そしるとも(くるしまじ。(むとも聞き入れじ。

注釈

 蹉蛇(さだ

  二字とも「つまづく」という意味で、思い通りに物事が進まないこと。

徒然草 第百十一段

現代語訳

 「囲碁、双六を好み、朝から晩まで遊びほうけている人は、強姦、窃盗、殺人、詐欺といった犯罪や、親殺し、恩人殺し、背任、聖職者の傷害といった反逆よりも重い罪を犯している」という、ある聖人の言葉が今でも忘れられず、ありがたく思える。

原文

 「囲碁(ゐご双六(すごろく好みて明かし暮らす人は、四重(しぢゆう五逆(ごぎやくにもまされる悪事とぞ思ふ」と、(あるひじりの申しし事、耳に止まりて、いみじく(おぼ(はべり。

注釈

 双六(すごろく

  十二本の線を引いた盤上で白黒十二個の石を置き、二つのサイコロを振って出た数だけ石を動かす二人でする遊び。

徒然草 第百十段

現代語訳

 双六の名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けてはならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をしたら、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、たとえ一マスでも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。

 その道を極めた人の言うことであって、研究者や政治家の生業にも通じる。

原文

 双六(すごろく上手(じやうずといひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目(ひとめなりともおそく(くべき手につくべし」と言ふ。

 道を知れる(をしへ、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。

注釈

 双六(すごろく

  十二本の線を引いた盤上で白黒十二個の石を置き、二つのサイコロを振って出た数だけ石を動かす二人でする遊び。

徒然草 第百九段

現代語訳

 木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をしないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。「こんな高さなら飛び降りても平気ではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイントです。目眩がするくらい危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。だから何も言う必要はありません。事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。

 たいした身分の親父ではないが、教科書に掲載できそうな内容だ。バレーボールのラリーなどでも、難しい球をレシーブした後に、気が緩んで必ず球を落とすらしい。

原文

 高名(かうみやうの木登りといひし(をのこ、人を(おきてて、(たかき木に登せて、(こずゑを切らせしに、いと(あやふく見えしほどは言ふ事もなくて、(るゝ時に、軒長(のきたけばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ(はべりしを、「かばかりになりては、飛び(るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず(つかまつる事に候ふ」と言ふ。

 あやしき下臈(げらふなれども、聖人の(いましめにかなへり。(まりも、(かたき所を((いだして後、(やすく思へば必ず落つと侍るやらん。

注釈

 あやしき下臈(げらふ

  身分の低い下賤の者。

 (まり

  蹴鞠。数人の者が鞠を蹴り上げ地面に落とさないようにする。

徒然草 第百八段

現代語訳

 一瞬の時間を「勿体ない」と思う人はいない。「一瞬を惜しむことすら意味がないことだ」と悟りきっているからだろうか。それとも単に馬鹿なだけだろうか。馬鹿で、時間を浪費している人のために敢えて言おう。一円玉はアルミニウムだが、積もって山となれば貧乏人を富豪にする。だから商人はケチなのだ。瞬間を感じるのは困難であるが、瞬間の連続の果てには、命の終焉があり、あっという間に訪れる。

 だから修行者は長い単位で月日を惜しんでいる場合ではない。この瞬間が枯れ葉のように飛び去ることを惜しみなさい。もし、死神がやってきて「お前の命は明日終わる。残念だったな」と宣告したら、今日という日が終わるまで、自分が何を求め、何を思うか考えよう。今、生きている今日が、人生最後の日ではないという保証はない。その貴重な一日は、食事、排泄、昼寝、会話、移動と退っ引きならない理由で浪費されるのだ。残ったわずかな時間を、無意味に行動し、無意味に語り、無意味に妄想して、無駄に過ごし、そのまま一日を消し去り、ひと月を貫通し、一生を使い切ったとすれば、それは、阿呆の一生でしかない。

 中国の詩人、謝霊運は、法華経の翻訳を速記するほどの人物だったが、いつでも心の空に雲を浮かべて詩ばかり書いていたから、師匠の恵遠は仲間達と念仏を唱えることを許さなかった。時間を無駄にして浮かれているのなら、何ら死体と変わらない。なぜ瞬間を惜しむのかと言えば、心の迷いを捨て、世間との軋轢がない状況で、何もしたくない人は何もせず、修行したい人は修行を続けるという境地に達するためだ。

原文

 寸陰(しむ人なし。これ、よく知れるか、(おろかなるか。愚かにして(おこたる人のために言はば、一銭(かろしと言へども、これを(かさぬれば、(まづしき人を(める人となす。されば、商人(あきびとの、一銭を(しむ心、(せつなり。刹那(せつな(おぼえずといへども、これを(はこびて(まざれば、命を(ふる((たちまちに至る。

 されば、道人(だうにんは、遠く日月(にちぐわつ(しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぐる事を(しむべし。もし、人(きたりて、我が命、明日(あすは必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか(たのみ、何事をか(いとなまん。我等が(ける今日(けふの日、(なんぞ、その時節に(ことならん。一日のうちに、飲食(おんじき・便利・睡眠(すいめん言語(ごんご行歩(ぎやうぶ、止む事を(え/ずして、多くの時を(うしなふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益(むやくの事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆいして時を移すのみならず、日を消し、月を(わたりて、一生を送る、(もつと(おろかなり。

 謝霊運(しやれいうんは、法華(ほつけ筆受(ひつじゆなりしかども、心、常に風雲の思を(くわんぜしかば恵遠(ゑをん百蓮(びやくれん(まじりを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか(しむとならば、内に思慮なく、(ほか世事(せいじなくして、(まん人は止み、(しゆせん人は修せよとなり。

注釈

 道人(だうにん

  仏道修行者のこと。

 謝霊運(しやれいうん

  中国の六朝時代の詩人。

 法華(ほつけ筆受(ひつじゆ

  サンスクリット語の法華経を漢文に翻訳する際に筆記する役人。

 恵遠(ゑをん

  東晋の高僧。中国浄土教の開祖としてしられる。

 安喜門院(あんきもんゐん

  後堀河天皇の后で、藤原有子。師教の祖母の姉に当たる。

 百蓮(びやくれん

  恵遠が提唱した念仏修行集団の百蓮社。「時二、遠公(恵遠)諸賢ト同ジク浄土教ヲ修ス。(リテ、百蓮社ト号ス。霊運、嘗テ、社ニ入ランコトヲ求ム。遠公、其ノ心ノ雑ナルヲ以テ、之ヲ止ム」と『仏祖統記』にある。

徒然草 第百七段

現代語訳

 「突然の女の質問を、優雅に答える男は滅多にいない」らしいので、亀山天皇の時代に、女達は男をからかっていた。いたい気な若い男が来るたびに、「ホトトギスの声は、もうお聴きになって?」と質問し、相手の格付けをした。のちに大納言になった何とかという男は、「虫けらのような私の身分では、ホトトギスの美声を聞く境遇にありません」と答えた。堀川の内大臣は、「山城国の岩倉あたりでケキョケキョ鳴いているのを聞いた気がします」と答えた。女達は「内大臣は当たり障りのない答え方で、虫けらのような身分とは、透かした答え方だわ」などと、格付けるのであった。

 いつでも男は、女に馬鹿にされないよう教育を受けなければならない。「関白の九条師教は、ご幼少の頃から皇后陛下に教育されていたので、話す言葉もたいしたものだ」と、人々は褒め称えた。西園寺実雄左大臣は、「平民の女の子に見られるだけで心拍数が上昇するので、お洒落は欠かせない」と言ったそうである。もしもこの世に女がいなかったら、男の衣装や小道具などは、誰も気にしなくなるだろう。

 「これほど男を狂わせる女とは、なんと素敵な存在だろう」と思いがちだが、女の正体は歪んでいる。自分勝手で欲深く、世の中の仕組みを理解していない。メルヘンの世界の住人で、きれい事ばかり言う。そして都合が悪くなると黙る。謙虚なのかと思えば、そうでもなく、聞いてもいないのに下らないことを話し始める。綺麗に化粧をして化けるから、男の洞察力を超越しているのかと思えば、そんなこともなく、化けの皮が剥がれても気がつかない。素直でなく、実は何も考えていないのが女なのだ。そんな女心に惑わされ、「女に良く見られたい」と考えるのは、涙ぐましくもある。だから女に引け目を感じる必要はない。仮に、賢い女がいたとしよう。近付き難さに恋心も芽生えないだろう。恋とは女心に振り回されて、ときめくことを楽しむものなのである。

原文

 「女の物言ひかけたる返事(かへりごと、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども(わかき男達の(まゐらるる(ごとに、「郭公(ほととぎすや聞き給へる」と問ひて心見られけるに、(なにがし大納言(だいなごんとかやは、「数ならぬ身は、え((さうらはず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉(いはくらにて聞きて候ひしやらん」と(おほせられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め(はれけり。

 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺(じやうどじの前関白殿(さきのくわんぱくどのは、幼くて、安喜門院(あんきもんゐんのよく(をし(まゐらせさせ給ひける故に、御詞(おんことばなどのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの左大臣殿は、「あやしの下女(げぢよの身奉るも、いと(づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ(おほせられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん(かうぶりも、いかにもあれ、ひきつくろふ人も(はべらじ。

 かく人に(ぢらるゝ女、如何(いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の(しやうは皆ひがめり。人我(にんが(さう深く、貧欲(とんよく(はなはだしく、物の(ことわりを知らず。たゞ、(まよひの(かたに心も速く移り、(ことば(たくみに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで(はず(がたりに言ひ(だす。深くたばかり飾れる事は、(をとこ智恵(ちゑにもまさりたるかと思えば、その事、(あとより(あらはるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に(したがひてよく思はれん事は、心(かるべし。されば、何かは女の(づかしからん。もし賢女(けんぢよあらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、(まよひを(あるじとしてかれに(したがふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

注釈

 亀山院の御時

  亀山天皇が在位の期間で、一二五九年から一二七四年までの間。

 堀川内大臣殿

  源具守(みなもとのとものり。第九十九段に登場する「堀川相国」の子。

 岩倉(いはくら

  山城国愛宕郡上賀茂を指す。源具守の山荘があった。

 浄土寺(じやうどじの前関白殿(さきのくわんぱくどの

  九条師教(くじょうもろのり。関白。

 安喜門院(あんきもんゐん

  後堀河天皇の后で、藤原有子。師教の祖母の姉に当たる。

 山階(やましなの左大臣殿

  西園寺実雄。左大臣で第八十三段の「洞院左大臣」の祖父に当たる。