現代語訳
ある人が息子を坊さんにさせようと思い、「勉強をして世を理解し、有り難い話の語り部にでもなって、ご飯を食べなさい」と言った。息子は言われたとおり、有り難い話の語り部になるべく、最初に乗馬スクールへ通った。「車や運転手を持つことができない身分で、講演を依頼され、馬で迎えが来た時に、尻が桃のようにフラフラしていたら恥かしい」と思ったからだ。次に「講演の二次会で、酒を勧められた際に、坊主が何の芸もできなかったら、高い金を払っているパトロンも情けない気持ちになるだろう」と思って、カラオケ教室に通った。この二つの芸が熟練の域に達すると、もっと極めたくなり、ますます修行に勤しんだ。そのうちに、有り難い話の勉強をする時間もなくなって、定年を迎えることになった。
この坊さんだけでなく、世の中の人は、だいたいこんなものである。若い頃は様々な分野に精力旺盛で、「立派になって未来を切り開き、芸達者でもありたい」と、輝かしいビジョンを描いている。けれども、理想を掲げるばかりで、実際は目先の事を片付けるのに精一杯になり、時間だけは容赦なく過ぎていく。結局、何もできないまま、気がついた頃には老人になっていたりする。何かの名人にもなれず、思い描いた未来は瓦解し、後悔をしても取り返しようもない年齢だ。衰弱とは、坂道を滑り降りる自転車と同じである。
だから、一生のうちにすべきことを見つけ、よく考え、一番大切だと思うことを決め、他は全部捨ててしまおう。一つに没頭するのだ。一日、一時間の間に、仕事はいくらでも増えてくる。少しでも役立ちそうなものにだけ手を付けて、他は捨てるしかない。大事なことだけ急いでやるに越したことはない。どれもこれもと溜め込めば、八方塞がりになるだけだ。
例えば、オセロをする人が、一手でも有利になるよう、相手の先手を取り、利益の少ない場所は捨て、大きな利益を得るのと同じ事だ。三つのコマを捨て、十のコマを増やすのは簡単なことである。しかし、十のコマを捨てて十一の利益を拾うことは至難の業だ。一コマでも有利な場所に力を注がなくてはならないのだが、十コマまで増えてしまうと惜しく感じて、もっと多く増やせる場所へと切り替えられなくなる。「これも捨てないで、あれも取ろう」などと思っているうちに、あれもこれも無くなってしまうのが世の常だ。
京都の住人が、東山に急用があり、すでに到着していたとしても、西山に行った方が利益があると気がついたら、さっさと門を出て西山に行くべきだ。「折角ここまで来たのだから、用事を済ませ、あれを言っておこう。日取りも決まってないから、西山のことは帰ってから考えよう」と考えるから、一時の面倒が、一生の怠惰となるのだ。しっかり用心すべし。
一つの事を追及しようと思ったら、他が駄目でも悩む必要は無い。他人に馬鹿にされても気にするな。全てを犠牲にしないと、一つの事をやり遂げられないのだ。ある集会で、「ますほの薄・まそほの薄というのがある。渡辺橋に住む聖人が、このことをよく知っている」と言う話題になった。その場にいた登蓮法師が聞いて、雨が降るにも関わらず、「雨合羽や傘はありませんか? 貸して下さい。その薄のことを聞くために渡辺橋の聖人の所へ行ってきます」と言った。「随分せっかちですな。雨が止んでからにすればよいではないか」と、皆で説得したところ、登蓮法師は、「とんでもないことを言いなさるな。人の命は雨上がりを待たない。私が死に、聖人が亡くなったら、薄のことを聞けなくなってしまう」と言ったきり、一目散に飛び出して、薄の話を伝授された。あり得ないぐらいに貴重な話だ。「出前迅速、商売繁盛」と『論語』にも書いてある。この薄の話を知りたいように、ある人の息子も、世を理解することだけを考えねばならなかったのだ。
原文
或 者、子を法師になして、「学問して因果 の理 をも知り、説経 などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿 ・車は持たぬ身の、導師 に請 ぜられん時、馬など迎 へにおこせたらんに、桃尻 にて落ちなんは、心憂 かるべしと思ひけり。次に、仏事の後 、酒など勧 むる事あらんに、法師の無下 に能 なきは、檀那 すさまじく思ふべしとて、早歌 といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境 に入 りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜 みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。
この法師のみにもあらず、世間 の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成 じ、能 をも附 き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、世を長閑 に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成 す事なくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔 ゆれども取り返さるゝ齢 ならねば、走りて坂を下る輪 の如くに衰へ行く。
されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比 べて、第一の事を案じ定めて、その外 は思ひ捨てて、一事 を励むべし。一日の中 、一時の中にも、数多 の事の来 らん中に、少しも益 の勝らん事を営みて、その外 をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方 をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成 るべからず。
例へば、碁 を打つ人、一手 も徒 らにせず、人に先立ちて、小を捨て大に就くが如し。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石に就くことは易 し。十を捨てて、十一に就くことは難し。一つなりとも勝らん方 へこそ就くべきを、十まで成 りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。
京に住む人、急ぎて東山 に用ありて、既に行き着きたりとも、西山 に行きてその益 勝るべき事を思ひ得たらば、門 より帰りて西山へ行くべきなり。「此所まで来着きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時の懈怠 、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。
一事を必ず成 さんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の嘲 りをも恥 づべからず。万事に換へずしては、一 の大事成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、「ますほの薄 、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺 の聖 、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師 、その座に侍 りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑 ・笠 やある。貸し給へ。かの薄 の事習 ひに、渡辺の聖 のがり尋 ね罷 らん」と言ひけるを、「余りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下 の事をも仰 せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間 をも待つものかは。我も死に、聖も失 せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出 でて行きつゝ、習ひ侍 りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難う覚 ゆれ。「敏 き時 は、則 ち功あり」とぞ、論語と云ふ文 にも侍 るなる。この薄 をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁 をぞ思ふべかりける。
注釈
京都の東部から西部一帯の丘陵。
現在の大阪府東区渡辺橋の近くに住む隠遁者。
伝未詳。在家の沙弥で、『登蓮法師集』『登蓮法師恋百首』がある。『詞花集』以下の勅撰集に入集している。