現代語訳
どんなに複雑な心境にあっても、月を見つめていれば心が落ち着く。ある人が「月みたいに感傷的なものはないよ」と言えば、別の人が「露のほうが、もっと味わい深い」と口論したのは興味深い。タイミングさえ合っていれば、どんなことだって素敵に変化していく。
月や花は当然だけど、風みたいに人の心をくすぐるものは、他にないだろう。それから、岩にしみいる水の流れは、いつ見ても輝いている。「沅水や湘水が、ひねもす東のほうに流れ去っていく。都会の生活を恋しく思う私のために、ほんの少しでも流れを止めたりしないで」という詩を見たときは鳥肌が立った。嵆康も「山や沢でピクニックをして、鳥や魚を見ていると、気分が解放される」と言っていたが、澄み切った水と草が生い茂る秘境を意味もなく徘徊すれば、心癒されるのは当然である。
原文
万 のことは、月見るにこそ、慰 むものなれ。ある人の、「月ばかり面白 きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。
月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「沅 ・湘 、日夜、東 に流れ去 る。愁人 のために止まること少時 もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。嵆康 も、「山沢 に遊びて、魚鳥 を見れば、心楽しぶ」と言へり。人遠 く、水草清 き所にさまよひありきたるばかり、心慰 むことはあらじ。
注釈
唐の詩人、
魏の文人。竹林の七賢の一人。