現代語訳
「薄い表紙の巻物は、すぐに壊れるから困る」と誰かが言った際に、頓阿が、「巻物は上下がボロボロになって軸の飾りが落ちると風格が出る」と言ったのが立派で、思わず見上げてしまった。また、全集や図鑑などが同じ体裁でないのは、「みっともない事だ」と、よく言われるが、弘融僧都が「何でも全部の物を揃えるのはアホのすることだ。揃っていない方が慎み深い」と言ったのには感動を覚えた。
「何事も完璧に仕上げるのは、かえって良くない。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、可能性も見出せる。皇居の改築の際も必ず造り残しをする」と誰かも言っていた。昔の偉人が執筆した文献にも文章が脱落した部分が結構ある。
原文
「
羅 の表紙は、疾 く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿 が、「羅 は上下 はづれ、螺鈿 の軸 は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都 が、「物を必ず一具 に調 へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚 えしなり。
「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生 き延 ぶるわざなり。内裏 造らるゝにも、必ず、作り果 てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外 の文にも、章段 の欠 けたる事のみこそ侍れ。
注釈
巻物を巻き終わった際に表になる部分に薄い布を張った表紙。
俗名、二階堂貞宗という。遁世者で兼好法師の友人であった。歌人。
貝の裏側を削って、巻物の軸の両方に填めて飾った軸。
草子
巻物と異なり、紙を重ねて綴じた本。
仁和寺の僧侶。弘舜僧正の弟子。
仏教の世界から見ると、仏書を内典、儒教の書を外典と呼ぶ。
文章の大きなまとまりや段落 。