現代語訳
柳原町に強盗法印という坊さんがいた。しょっちゅう強盗被害に遭っていたので、こんなあだ名を付けられたそうだ。
原文
柳原 の辺 に、強盗 法印と号 する僧ありけり。度々 強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。
注釈
現在の京都市上京区柳原町。
法印
学識、人徳の優れた僧に与えられる最高の称号。
柳原町に強盗法印という坊さんがいた。しょっちゅう強盗被害に遭っていたので、こんなあだ名を付けられたそうだ。
柳原 の辺 に、強盗 法印と号 する僧ありけり。度々 強盗にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。
現在の京都市上京区柳原町。
法印
学識、人徳の優れた僧に与えられる最高の称号。
藤原公世、従二位の兄さんで良覚僧正とか言った人は、大変へそ曲がりだったそうだ。
彼の寺には大きな榎の木があったので、近所の人は「榎木の僧正」と呼んでいた。僧正は、「変なあだ名を付けやがって、ふざけるな」と怒って、その榎の木を伐採した。そして、切り株が残ったので「きりくいの僧正」とあだ名を付けられた。すると僧正はますます逆上して、今度は切り株までも掘りおこした。そして大きな堀ができた。その後、僧正は「堀池の僧正」になった。
公世 の二位 のせうとに、良覚僧正 と聞えしは、極 めて腹あしき人なりけり。
坊 の傍 に、大きなる榎 の木のありければ、人、「榎木僧正 」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐 られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを堀り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池 僧正」とぞ言ひける。
藤原公世。箏の名手。十二位の位だけ有り、役職がなかったので、このように呼ばれた。
比叡山の大僧正で歌人。
ボロボロな竹で編んだ扉の中から、とても若い男の子が出てきた。月明かりではどんな色なのか判別できないが、つやつや光る上着に濃紫の袴を着けている。案内の子供を引き連れて、どこまでも続く田園の小径を稲の葉の露に濡れながらも、かき分けて、とても由緒ありげに歩いている。歩きながら、この世の物とは思えない音色で笛を演奏していた。その音色を「素敵な演奏だ」と聴く人もいないと思い、どこへ行くのか知りたくて尾行することにした。笛を吹く音も止んで山の端にある、お寺の大きな正門の中へ消えていった。駐車場に停めてある車を見ても、ここは田舎だから都会よりも目立つので召使いに尋ねてみると「何とかの宮がいらっしゃる時なので法事でもあるのかもしれません」と答えた。
お堂の方には坊さんたちが集まっている。冷たい夜風に誘われる薫き物の香りが体の芯まで染み込んでいく気分である。母屋からお堂まで続く渡り廊下を行き交うお手伝いの女の子たちの残り香なども誰に見せたりするでもない山里だけど細部まで気が利いている。
みんな自由に茂っている野草たちは置き場に困るほどの夜露に埋もれ、虫が何かを訴えるように啼き、庭を流れる人工の河川の水の音ものどかである。都会よりも流れていく雲が速いような気がして、夜空に月が点滅している。
あやしの竹の
編戸 のうちより、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣 に濃き指貫 、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童 ひとりを具 して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん方 知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹き止みて、山のきはに惣門 のある内に入りぬ。榻 に立てたる車の見ゆるも、都よりは目止 る心地して、下人 に問へば、「しかしかの宮のおはします比にて、御仏事など候ふにや」と言ふ。
御堂 の方に法師ども参りたり。夜寒 の風に誘はれくるそらだきものの匂 ひも、身に沁む心地す。寝殿より御堂の廊 に通ふ女房の追風 用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。
心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋 もれて、虫の音 かごとがましく、遣水 の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来 も速 き心地 して、月の晴れ曇る事定め難し。
貴族の普段着で襟が丸い。着用時は烏帽子をつける。
平絹、綾織り物で仕立て、裾を紐で指し抜いて着用する袴。
貴族邸宅の正門。
邸宅の仏壇を置く場所。
追い風のように、お香を衣類に薫きしめて。
庭に水を運ぶ水路。
春も深まって、ぽかぽかのとろけそうな空の下を散歩していると、品も悪くない家を発見した。庭木も年代物で、花は庭にしおれて散っていた。やはり、覗かないではいられなく不法侵入を試みる。建物の南側は戸締まりがされていて静まりかえっていた。東側の戸が少しだけ開いていて、ちょうど良い具合に覗くことが出来た。その隙間にかかっているレースのカーテンのほころびから覗いてみると、二十歳ぐらいの男前が、くつろいで放心していた。しかし、心が奪われるほど落ち着いた様子で、机の上に本を開いて見ている。
いったい何者だったのか、聞いてみようと思う。
春の暮つかた、のどやかに
艶 なる空に、賎 しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面 の格子 皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾 の破れより見れば、かたち清げなる男 の、年廿 ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に文 をくりひろげて見ゐたり。
いかなる人なりけん、尋 ね聞かまほし。
寝殿造の正面に、細い木材を格子状に組んで作った黒塗りの戸。昼間はつり上げて留め具で固定する。
妻戸
不詳。僧都は層の位で、僧正に次ぐ。
観音開きの扉。
部屋を仕切る簾。
唐橋中将雅清という人の息子に、行雅僧徒という、密教の教理を志す学生の先生をやっていた坊さんがいた。すぐに逆上する病気で、年がら年中のぼせていた。だんだん老化するにつれて、鼻が詰まってきて呼吸困難になった。いろんな治療は一通りやったが、余計にひどくなってきた。ついに目と眉と額がとても腫れてあがって顔に覆い被さったので視界が塞がり、変なお面のようになってしまった。すごく恐ろしい鬼のような顔で、目玉は頭のてっぺん、おでこが鼻に付いている。仕舞いには、寄宿舎の坊さんたちにも顔を見せないようになり、どこかに隠遁していたが、数年後、本当にひどくなって死んでしまった。
世の中には変わった病気もあるものだ。
唐橋中将雅清 といふ人の子に、行雅僧都 とて、教相 の人の師する僧ありけり。気 の上 る病ありて、年のやうやう闌くる程に、鼻の中ふたがりて、息出 で難かりければ、さまざまにつくろひけれど、わづらはしくなりて、目・眉・額 なども腫 れまどひて、うちおほひければ、物も見えず、二 の舞 の面 のやうに見えけるが、たゞ恐ろしく、鬼の顔になりて、目は頂の方につき、額のほど鼻になりなどして、後 は、坊 の内 の人にも見えず籠 りゐて、年久しくありて、なほわづらはしくなりて、死ににけり。
かゝる病もある事にこそありけれ。
源雅清。中将は近衛の中将。
不詳。僧都は層の位で、僧正に次ぐ。
真言密教の教理を掘り下げて追求する学問。
舞楽で舞う際に用いる、細面で腫れぼったい顔のお面。
五月五日、上賀茂神社で競馬を見た時、乗っていた車の前に小市民どもが群がっており、競馬が見えなかった。仕方がないので、それぞれ車からおりて競馬場の鉄柵に近づいてみた。けれども、そこは黒山の人だかりで人々をかき分けて中に入って行けそうになかった。
そんなときに、向こうにあるセンダンの木に坊さんが実っていた。木に登り枝に座って競馬を見ている。枝に抱かれて居眠りもしている。何回も枝から落ちそうになって、そのたびに目を覚ます。これを見て人は坊さんを小馬鹿にしている。「珍しいほど馬鹿ですね。あんな危険なところでボケッと寝ているとは」なんて言っている。その時、思いついたことをそのままに、「我々だっていつ死ぬかわからないんですよ。今死ぬかもしれない。そんなことも知らないで見せ物を見て暮らすなんて、馬鹿馬鹿しいことは世界一です」と言ってやった。そうしたら、前にいる人たちは「いやあ、本当にそうですね。とっても馬鹿馬鹿しくなってきました」なんて言いながら、後ろにいる私を見つめた。「さ、さ、ここに入ってください」と言って、場所を空けてくれたので割り込みしたのであった。
こんな、当たり前のことは、誰も気づかない訳がないが、今日は競馬の日だから思いがけなく身につまされたのであろう。やっぱり、人は木や石じゃないから時には感動したりする。
五月 五日、賀茂 の競 べ馬を見侍りしに、車の前に雑人 立ち隔てて見えざりしかば、おのおの下りて、埒 のきはに寄りたれど、殊 に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。
かかる折に、向ひなる楝 の木に、法師の、登りて、木の股 についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう睡 りて、落ちぬべき時に目を醒 ます事、度々なり。これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれ物かな。かく危 き枝の上にて、安き心ありて睡 るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしまゝに、「我等が生死 の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにこそ候ひけれ。尤も愚かに候ふ」と言ひて、皆、後 を見返りて、「こゝに入らせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れ侍りにき。
かほどの理 、誰 かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当りけるにや。人、木石 にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。
毎年五月初旬、上賀茂神社で行われていた競馬。
鳥取県の砂漠に何とかの入道とかいう人の娘がいた。すごくかわいいと噂がたったので、大勢の男の子がちょっかいを出しにやってきた。しかし、この女の子は、栗ばかり食べていて、全くお米などの穀物を食べなかったから、お父さんは、「こんなに変態な娘は、よそ様にお嫁さんとしてあげられません」と言って嫁ぐのを許さなかった。
因幡国 に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米 の類を食はざりれば、「かゝる異様 の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
現在の鳥取県。
見ゆ
女性が男性に見られることから、女が結婚する。妻になる。御簾の奥に隠れていた女性が男に見られると言うことは、この場合がほとんどである。
ある人が法然上人に「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるのですが、どうしたら、この問題を解決できるでしょうか?」と訪ねたら「目が覚めているときに、念仏を唱えなさい」と答えたそうな。とってもありがたいお言葉である。
また、「死後に天国に行けると思えば、きっと行けるだろうし、行けないと思えば無理だ」と言ったそうな。これも、とってもありがたいお言葉である。
それから、「死後に天国に行けるかどうか心配しながらでも、念仏を唱えていれば、成仏できる」と言ったそうな。これまた、とってもありがたいお言葉である。
或人、
法然 上人 に、「念仏の時、睡 にをかされて、行 を怠 り侍 る事、いかゞして、この障 りを止 め侍らん」と申しければ、「目の醒 めたらんほど、念仏し給へ」と答 へられたりける、いと尊 かりけり。
また、「往生 は、一定 と思へば一定、不定 と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。
また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。
本名は源空、法然房と名乗った。岡山生まれのお坊さん。浄土宗を開いた。
現世での命が終わり、極楽浄土で永遠の生命を得ること。
確実の意味。
一定の反意語。不確実の意味。
人から羨望の眼差しで見てもらうために忙しく、周りが見えなくなり、一息つく暇もなく、死ぬまでバタバタしているのは馬鹿馬鹿しい。
金目の物がたくさんあれば、失う物を守ることで精一杯になる。強盗や悪党を呼び寄せ、宗教団体のお布施にたかられる媒介にもなる。黄金の柱で夜空に輝く北斗七星を支えられるぐらいの成金になっても、死んでしまった後には、誰の役にも立たないばかりか、相続で骨肉の争いが勃発するのが目に見えている。流行の最先端を歩もうとする人向けに、目の保養をさせて楽しませるような物も虚しい。運転手付の黒塗りの高級車や、プラチナの爪にダイヤモンドを飾ったアクセサリーなどは、賢い人ならば「下品な成金の持ち物」で「心が腐っている証拠だ」と、冷ややかな目で黙殺するに違いない。金塊は山に埋め、ダイヤモンドはドブ川に投げ捨てるのがよく似合う。物質的裕福さに目がくらむ人は、とっても知能指数が低い人なのだ。
時代に埋もれない名誉を、未来永劫に残すことは理想的なことかも知れない。しかし、社会的に地位が高い人だとしても、イコール立派な人だとは言えない。欲にまみれた俗人でも、生まれた家や、タイミングさえ合えば、自動的に身分だけは偉くなり、偉そうな事を言いはじめる。通常、人格者は、自ら進んで低い身分に甘んじ、目立たないまま死ぬことが多い。意味もなく高い役職や身分に拘るのも、物質的裕福さを求める事の次に馬鹿馬鹿しいことである。
「頭脳明晰で綺麗なハートを持っていた」という伝説だけは、未来に残って欲しいと思うかも知れない。しかし、考え直してみれば「自分の事が伝説になって欲しい」と思うのは、名誉を愛し、人からどう思われるかを気にしているだけだ。絶賛してくれる人も、馬鹿にする人も、すぐに死ぬ。「昔々あるところに、こんなに偉い人がいました」と話す伝説の語り部も、やはりすぐに死んでしまう。誰かに恥じ、自分を知ってもらいたいと願うことは無意味でしかない。そもそも、人から絶賛されることは、妬みの原因になる。死後、伝説だけが残ってもクソの足しにもならない。従って「伝説になりたい」と願うのも、物質的裕福さや、高い役職や身分に拘る事の次に馬鹿馬鹿しいことなのであった。
それでも、あえて知恵を追求し、賢さを求める人のために告ぐ。老子は言った。「知恵は巧妙な嘘を生むものである。才能とは煩悩が増幅した最終形だ。人から聞いた事を暗記するのは、本当の知恵ではない。では、知恵とはいったい何であろうか。そんな事は誰も知らない」と。荘子は言った。「善悪の区別とはいったい何であろうか。何を善と呼び、何を悪と呼べばいいのだろうか? そんな事は誰も知らない」と。本当の超人は知恵もなく、人徳もなく、功労もなく、名声もない。誰も超人を知らず、誰も超人の伝説を語ることはない。それは、真の超人が能力を隠し馬鹿なふりをしているからではない。最初から、賢いとか、馬鹿だとか、得をするとか、失ってしまうとか、そんなことは「どうでもいい」という境地に達しているから誰も気がつかないのだ。
迷える子羊が、名誉、利益を欲しがる事を考えてみると、だいたいこの程度の事だ。全ては幻であり、話題にする事でもなく、願う事でもない。
名利 に使はれて、閑 かなる暇 なく、一生を苦しむるこそ、愚 かなれ。
財 多ければ、身を守るに貧 し。害を賈ひ、累 ひを招く媒 なり。身の後 には、金 をして北斗 を支ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉 の飾りも、心あらん人は、うたて、愚 かなりとぞ見るべき。金 は山に棄 て、玉は淵 に投ぐべし。利に惑 ふは、すぐれて愚かなる人なり。
埋 もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ。位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生 れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢 を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賎 しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。偏に高き官 ・位を望むも、次に愚かなり。
智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉 も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞 きをよろこぶなり、誉 むる人、毀 る人、共に世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰 をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉 はまた毀 りの本 なり。身の後 の名、残りて、さらに益 なし。これを願ふも、次に愚 かなり。
但し、強ひて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出 でては偽 りあり。才能は煩悩 の増長 せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるかを智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるかを善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰 か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本 より、賢愚 ・得失 の境にをらざればなり。
迷ひの心をもちて名利 の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。
害を賈ひ、
「宝ヲ懐イテ以テ害ヲ買ハズ、表ヲ飾リテ以テ
「身ノ後ニハ、金ヲ
「金ヲ山ニ損テ、珠ヲ淵ニ沈ム」と『文選』にある。
「遺文三十軸、軸々金玉ノ声。
いみじかりし賢人・聖人、みづから
「老子・荘周ハ吾ノ師ナリ。
身の
「我ヲシテ身ノ
智恵
「知慧
可・不可は一条なり
「
まことの人
「至人ハ己レ無シ。神人ハ功無シ。聖人ハ名ナシ」と『老子』にある。
万事は皆非なり
「万事ハ皆非ナリ。燈火ノ涙。一生半バ暮ル。月前ノ情」と『新撰朗詠集』にある。
普段は気兼ねのない関係で、いつも馴れ合っている人が、急に気を遣って、初々しいふりをするのを見て「今さら、そんなよそよそしくしなくても」など、言う人もいるけれど、親しき仲に礼儀があって、デリカシーを持った人に思える。
また、あまり仲良くない人が、その場の雰囲気を壊さないように馴れ馴れしいふりをするのも、気が利いていて良い感じがする。
朝夕、隔てなく
馴 れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにげにしく、よき人かなとぞ覚ゆる。
疎 き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。
思ひつきぬ
心がひかれるの意。