徒然草

徒然草 第百六十三段

現代語訳

 陰陽道で言う、陰暦九月の「太衝」は、「太」の字に点を打つべきか、打たぬべきか、専門家の間で論争になったことがある。盛親入道が言うには、「阿部吉平の直筆占い本の裏に書かれた記録が近衛家に残っています。そこには点が打ってありました」とのことだ。

原文

 太衝(たいしようの「太」の字、点打つ・打たずといふ事、陰陽(おんみやう(ともがら相論(さうろんの事ありけり。盛親(もりちか入道(にふだう申し(はべりしは、「吉平(よしひらが自筆の占文(せんもんの裏に書かれたる御記(ぎよき近衛関白殿(このゑくわんぱくどのにあり。点打ちたるを書きたり」と申しき。

注釈

 太衝(たいしよう

  陰陽道での陰暦九月の呼び方。

 陰陽(おんみやう(ともがら

  陰陽道の仲間達。

 盛親(もりちか入道(にふだう

  伝未詳。「入道」は、中年の隠遁者。

 吉平(よしひら

  安倍晴明の子。陰陽博士。

 近衛関白殿(このゑくわんぱくどの

  近衛家の関白。この話では、第百二段の近衛経忠。

徒然草 第百六十二段

現代語訳

 遍照寺の雑務坊主は、日頃から池の鳥を餌付けして飼い慣らしていた。鳥小屋の中まで餌を撒き、扉を一つ開けておくと、夥しいほどの鳥が誘き寄せられた。その後、自分も鳥小屋に入って鳥を閉じ込めると、捕獲しては殺し、殺しては捕獲した。その悲鳴がただ事では無いので、草むしりをする少年が、大人に言いつけた。村の男達がやって来て、鳥小屋の中に突入すると、大きな雁が翼をバタバタと必死に最後の抵抗をし合っていた。この中に坊主がいて、雁を地面に叩きつけ、首を捻って虐殺していたので、現行犯で逮捕された。判決が下りると、坊主は殺した鳥を首からぶら下げられて、豚箱にぶち込まれた。

 久我基俊が、警視庁長官だった頃の話である。

原文

 遍照寺(へんぜうじ承仕(しようじ法師(ほふし、池の鳥を日来(ひごろ(ひつけて、堂の内まで((きて、戸(ひと(けたれば、数も知らず((こもりける(のち(おのれれも(りて、たて(めて、(とらへつゝ殺しけるよそほひ、おどろおどろしく聞えけるを、草((わらは聞きて、人に告げければ、村の男どもおこりて、入りて見るに、大雁(おほがりどもふためき合へる中に、法師交りて、打ち伏せ、(ぢ殺しければ、この法師を捕へて、所より使庁(しちやう(だしたりけり。殺す所の鳥を(くび(けさせて、禁獄(きんごくせられにけり。

 基俊(もととしの大納言(だいなごん別当(べつたうの時になん(はべりける。

注釈

 遍照寺(へんぜうじ

  京都市右京区嵯峨の広沢の池の西にあった真言宗の寺。

 承仕(しようじ法師(ほふし

  寺院の雑務をする出家者。

 基俊(もととしの大納言(だいなごん

  第九十九段の「御子基俊卿」で、久我基具の次男の基俊。権中納言。

 別当(べつたう

  検非違使庁の長官。

徒然草 第百六十一段

現代語訳

 サクラの花の盛りは、一年中で日照時間が一番短い冬至から百五十日目とも、春分の九日後とも言われているが、立春の七十五日後が、おおよそ適当である。

原文

 花の盛りは、冬至(とうじより百五十日とも、時正(じしやうの後、七日とも言へど、立春より七十五日、大様(おほやう(たがはず。

注釈

 冬至(とうじ

  太陽が一年中で天球の最も南に寄った日。北半球では日照時間が最も短くなる。

 時正(じしやう

  昼と夜の長さが同じ日。秋分、春分の二日後。ここでは春の時正を指す。

 立春

  陰暦で、冬から春に入るはじめの日。鎌倉末期では四月二十日から二十二日頃。

徒然草 第百六十段

現代語訳

 門に額縁を懸けるのを「打つ」と言うのは、よい言い方ではないのだろうか。勘解由小路二品禅門は、「額を懸ける」と言っていた。「祭り見物の桟敷を打つ」と言うのも、討つや、撃つのようで、よくない言い方なのだろうか。「テントの土台を打つ」と言うのは、普通に使う言葉だ。しかし、「桟敷を構える」と言った方が良いのかも知れない。「護摩の火を焚く」と言うのも、「護摩」という言葉に焚くという意味が含まれているので良くない。「修行する」とか「護摩をする」と言うのである。「行法も、清音でギョウホウと言うのは、良くない。ギョウボウと濁音で言うのだ」と、清閑寺僧正が言っていた。普段使う言葉にも、こんな言い方が色々とある。

原文

 (もん(がく(くるを「打つ」と言ふは、よからぬにや。勘解由小路(かでのこうぢの二品禅門(にほんぜんもんは、「額懸くる」とのたまひき。「見物の桟敷(さじき打つ」も、よからぬにや。「平張(ひらばり打つ」などは、常の事なり。「桟敷(さじき(かまふる」など言ふべし。「護摩(ごま(く」と言ふも、わろし。「(しゆする」「護摩(ごまする」など言ふなり。「行法(ぎやうぽふも、法の字を(みて言ふ、わろし。濁りて言ふ」と、清閑寺(せいかんじの僧正(そうじやう仰せられき。常に言ふ事に、かゝる事のみ多し。

注釈

 勘解由小路(かでのこうぢの二品禅門(にほんぜんもん

  藤原経尹。鎌倉中期の書能家。藤原行成の九代目の子孫。「二品」は従二位。「禅門」は髪を落とした在家の沙弥。

 平張(ひらばり

  雨よけ日よけのために柱を立て、その上に張る幕。

 護摩(ごま

  護摩祈祷。密教において護摩壇に護摩を焚き祈祷をすること。

 行法(ぎやうぽふ

  密教において、壇を設け、有縁の本尊を置き、供物を献じて祈り結印すること。

 清閑寺(せいかんじの僧正(そうじやう

  権僧正道我。兼好法師の友人。歌集『権僧正道我』がある。

徒然草 第百五十九段

現代語訳

 「みな結びという組紐は、二本の糸を組んで結び、それを重ねて垂らした姿が蜷という巻き貝に似ているから、そう呼ぶのだ」と、ある人格者が言っていた。しかし、「にな」と言うのは間違いである。

原文

 「みな結びと言ふは、糸を結び(かさねたるが、(みなといふ貝に似たれば言ふ」と、(あるやんごとなき人(おほせられき。「にな」といふは(あやまりなり。

注釈

 みな結び

  装飾に使う組紐の結び方。

 (みな

  蜷貝(みながい。巻き貝の一種か。

徒然草 第百五十八段

現代語訳

 「盃の底に残ったお酒を捨てるのはどうしてか知っているか?」と、ある人が訊ねた。「凝当と申しますから、底に溜まっている酒を捨てるという意味でしょうか」と答えた。すると「それは違う。魚道と言って、魚が生まれた川に帰るように、口をつけた部分を洗い流すことだ」と教えてくれた。

原文

 「(さかづきの底を(つる事は、いかゞ心(たる」と、或人の尋ねさせ給ひしに、「凝当(ぎようたうと申し(はべれば、底に(りたるを捨つるにや(さうらふらん」と申し侍りしかば、「さにはあらず。魚道(ぎよたうなり。流れを残して、口の附きたる所を滌ぐなり」とぞ(おほせられし。

注釈

 凝当(ぎようたう

  「当」は底の意味で「凝」は凝り固まる。一カ所に集まって溜まっていること。

 魚道(ぎよたう

  「魚道ハ、残盃ヲ器ニ(こぼスナリ。余瀝ヲ以テ、杯痕ヲ洗フ。之ヲ、魚ノ旧道ヲ過グルニ(たとフ。故ニ、魚道ト云フナリ。魚ハ、大海ニ遊泳スト(いへどモ、旧道ヲ忘レザルモノナリ」と『下学集』にある。つまり、盃に残った酒を捨てずに、自分の口が付いた部分を洗い清めること。

徒然草 第百五十七段

現代語訳

 筆を手に取れば自然と何かを書きはじめ、楽器を手にすれば音を出したくなる。盃を持てば酒のことを考えてしまい、サイコロを転がしていると「入ります」という気分になってくる。心はいつも物に触れると躍り出す。だから冗談でもイケナイ遊びに手を出してはならない。

 ほんの少しでも、お経の一節を見ていると、何となく前後の文も目に入ってくる。そして思いがけず長年の(あやまちを改心することもあるものだ。もしも、今、この経本を紐解(ひもとかなかったら、改心しようと思わなかっただろう。触れることのおかげである。信じる心が全く無くとも、仏の前で数珠を手に、経本を取って、ムニャムニャしていれば自然と良い結果が訪れる。浮つく心のまま、縄の腰掛けに陣取って座禅を組めば、気付かぬうちに解脱(げだつもしよう。

 現象と心は、別々の関係ではないのだ。外見だけでも、それらしくしていれば、必ず心の内面まで伝わってくる。だからハッタリだとバカにしてはならない。むしろ、(あおいで尊敬しなさい。

原文

 筆を(れば物(かれ、楽器を(れば(を立てんと思ふ。盃を取れば酒を思ひ、(さいを取れば((たん事を思ふ。心は、必ず、事に(れて(きたる。仮にも、不善の(たはぶれをなすべからず。

 あからさまに聖教(しやうげうの一句を見れば、何となく、前後の(もんも見ゆ。卒爾(そつじにして多年の(を改むる事もあり。仮に、今、この(ふみを披げざらましかば、この事を知らんや。これ(すなはち、(るゝ所の(やくなり。心更に起らずとも、仏前にありて、数珠(ずずを取り、(きやうを取らば、(おこたるうちにも善業(ぜんこふ(おのづか(しゆせられ、散乱(さんらんの心ながらも縄床(じようしやうに座せば、(おぼえずして禅定(ぜんちやう(るべし。

 ((もとより二つならず。外相(げさうもし(そむかざれば、内証(ないしよう必ず(じゆくす。(ひて不信を言ふべからず。(あふぎてこれを(たふとむべし。

徒然草 第百五十六段

現代語訳

 大臣昇進のお披露目は、しかるべき会場を用意して開催するのが通例である。頼長左大臣は東三条殿で行った。近衛天皇の皇居だが、会場に申請されたので、天皇は他へ避難した。親しい間柄でなくても、皇室の女性の住まいを借り上げるのが、古来の習わしである。

原文

 大臣(だいじん大饗(だいきやうは、さるべき所を申し請けて(おこなふ、常の事なり。宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどのは、東三条殿(とうさんでうどのにて行はる。内裏にてありけるを、申されけるによりて、他所(たしよ行幸(ぎやうがうありけり。させる事の(せなけれども、女院(にようゐん御所(ごしよなど(り申す、故実(こしつなりとぞ。

注釈

 大臣(だいじん大饗(だいきやう

  大臣に任命された人が開催する、披露宴。

 宇治左大臣殿(うぢのさだいじんどの

  藤原頼長。左大臣。保元の乱に参加し、白河殿の戦いで流れ矢にあたり死ぬ。

 東三条殿(とうさんでうどの

  二条大路の南、町口小径の西にあった邸宅。

 行幸(ぎやうがう

  天皇がお出かけすること。

徒然草 第百五十五段

現代語訳

 一番の処世術はタイミングを掴むことである。順序を誤れば、反対され、誤解を与え、失敗に終わる。そのタイミングを知っておくべきだ。ただし、病気や出産、死になると、タイミングなど無く、都合が悪くても逃れられない。人は、この世に産み落とされ、死ぬまで変化して生き移ろう。人生の一大事は、運命の大河が氾濫し、流れて止まないのと同じなのだ。少しも留まることなく未来へと真っ直ぐ流れる。だから、俗世間の事でも成し遂げると決めたなら、順序を待っている場合ではない。つまらない心配に、決断を中止してはならない。

 春が終わって夏になり、夏が終わって秋になるのではない。春は早くから夏の空気を作り出し、夏には秋の空気が混ざっている。秋にはだんだん寒くなり、冬の十月には小春の天気があって、草が青み、梅の花も蕾む。枯葉が落ちてから芽が息吹くのでもない。地面から芽生える力に押し出され、耐えられず枝が落ちるのである。新しい命が地中で膨らむから、いっせいに枝葉が落ちるのだ。人が年老い、病気になり、死んでいく移ろいは、この自然のスピードよりも速い。季節の移ろいには順序がある。しかし、死の瞬間は順序を待ってくれない。死は未来から向かって来るだけでなく、過去からも追いかけてくるのだ。人は誰でも自分が死ぬ事を知っている。その割には、それほど切迫していないようだ。しかし、忘れた頃にやってくるのが死の瞬間。遙か遠くまで続く浅瀬が、潮で満ちてしまい、消えて磯になるのと似ている。

原文

 世に(したがはん人は、先づ、機嫌(きげんを知るべし。(ついで(しき事は、人の耳にも(さかひ、心にも違ひて、その事(らず。さやうの折節(をりふしを心(べきなり。(ただし、(やまひを受け、子(み、死ぬる事のみ、機嫌(きげんをはからず、(ついで(しとて(む事なし。(しやう(ぢゆう((めつの移り変る、(まことの大事は、(たけき河の(みなぎり流るゝが如し。(しばしも(とどこほらず、(ただちに(おこなひゆくものなり。されば、真俗(しんぞくにつけて、必ず(はた(げんと思はん事は、機嫌(きげんを言ふべからず。とかくのもよひなく、足を((とどむまじきなり。

 春暮れて(のち、夏になり、夏(てて、秋の(るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春(こはるの天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて(ぐむにはあらず、(したより(きざしつはるに(へずして落つるなり。(むかふる気、下に(まうけたる(ゆゑに、待ちとる(ついで(はなはだ速し。(しよう・老・病・死の移り(きたる事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご(ついでを待たず。死は、前よりしも(きたらず。かねて(うしろ(せまれり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、(おぼえずして(きたる。(おき干潟(ひかた(はるかなれども、(いそより(しほ(つるが如し。

徒然草 第百五十四段

現代語訳

 この日野資朝という人が、東寺の門で雨宿りをしていた。乞食でごった返しており、彼等の手足はねじ曲がり、反り返り、体中が変形していた。それを見て、「あちこちと珍しく変わった生き物だ。よく観察してみる価値がある」と、つぶらな瞳で観察したが、遂に飽きた。そして、見るのもうんざりし、不機嫌になった。「曲がっているより、普通の真っ直ぐな人間の方が良い」と思った。帰宅してから、大好きだった盆栽を見て「自然に逆らってクネクネ曲がっている木を見て喜ぶのは、あの乞食を見て喜ぶのと同じ事だ」と気がつき、一気に興ざめしたので、鉢に植えた盆栽を全部掘り起こして捨ててしまった。

 わかるような気もする。

原文

 この人、東寺(とうじの門に雨宿(あまやどりせられたりけるに、かたは者どもの集りゐたるが、手も足も(ぢ歪み、うち反りて、いづくも不具(ふぐ異様(ことやうなるを見て、とりどりに(たぐひなき曲物(くせものなり、(もつとも愛するに(れりと思ひて、目守り給ひけるほどに、やがてその(きよう尽きて、見にくゝ、いぶせく(おぼえければ、たゞ素直に(めづららしからぬ物には如かずと思ひて、帰りて後、この間、植木(うゑきを好みて、異様(ことやう曲折(きよくせつあるを求めて、目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく(おぼえければ、(はち(ゑられける木ども、皆(り捨てられにけり。

 さもありぬべき事なり。

注釈

 この人

  第百五十二段第百五十三段に登場した日野資朝。

 東寺(とうじ

  京都市下京区九条町にある古義真言宗東寺派の大本山。