現代語訳
その物に寄生し、それを捕食し、結果的に食い尽くしてしまう物は、佃煮にするほどある。身体にはシラミが湧く。家にはネズミが同居する。国家には反逆者がいる。小市民には財産がある。権力者には義理がある。僧侶には仏法があるのであった。
原文
その物に付きて、その物をつひやし
損 ふ物、数を知らずあり。身に蝨あり。家に鼠 あり。国に賊あり。小人 に財 あり。君子に仁義 あり。僧に法あり。
その物に寄生し、それを捕食し、結果的に食い尽くしてしまう物は、佃煮にするほどある。身体にはシラミが湧く。家にはネズミが同居する。国家には反逆者がいる。小市民には財産がある。権力者には義理がある。僧侶には仏法があるのであった。
その物に付きて、その物をつひやし
損 ふ物、数を知らずあり。身に蝨あり。家に鼠 あり。国に賊あり。小人 に財 あり。君子に仁義 あり。僧に法あり。
六日ごとに訪れる赤舌日という日がある。陰陽道の占いの世界では、取るに足りない事である。昔の人は、こんな事を気にせずに暮らしていた。最近になって、誰が言い出したのかは知らないが、不吉な日だと言う事になって、忌むようになった。「この日に始めた事は、中途半端で終わり、言った事、行った事は、座礁し、手に入れた物は、紛失し、立てた計画は、失敗に終わる」と言うのは、馬鹿げたことだ。敢えて大安吉日を選んで始めた事でも、行く末を見てみれば、赤舌日に始めた事と同じ確率でうまくいってない。
解説すれば、世界は不安定で、全ての物事は、終わりに向かって緩やかなカーブを描いている。そこにある物が、永遠に同じ形で存在することは不可能である。成功を目指しても、最終的には失敗し、目的が達成できないまま、欲望だけが膨れあがるのが世の常だ。人の心とは、常に矛盾していて説明出来るはずもなく、物質は、いつか壊れて無くなる事を思えば、幻と一緒である。永遠など無いのだ。このシステムを理解していないから「吉日の悪い行いは、必ず罰が当たり、悪日の良い行いは、必ず利益がある」などと、寝言を言うのである。物事の良い悪いは、心の問題で、日柄とは関係ない。
赤舌日 といふ事、陰陽道 には沙汰 なき事なり。昔の人、これを忌 まず。この比 、何者の言 ひ出 でて忌 み始 めけるにか、この日ある事、末 とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得 たりし物は失 ひつ、企 てたりし事成らずといふ、愚 かなり。吉日 を撰 びてなしたるわざの末 とほらぬを数 へて見んも、また等 しかるべし。
その故は、無常変易 の境 、ありと見るものも存ぜず。始めある事も終 りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定 なり。物皆幻化 なり。何事か暫くも住する。この理 を知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行 ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。
六日ごとに訪れる不吉な日。
中国から伝来した方術、占い。
変わりやすく、常に変化する状態のこと。
人の心は素直でないから、嘘偽りにまみれている。しかし、生まれつき心が素直な人がいないとも言い切れない。心が腐っている人は、他人の長所を嗅ぎつけ、妬みの対象にする。もっと心が腐って発酵している人は、優れた人を見つけると、ここぞとばかりに毒づく。「欲張りだから小さな利益には目もくれず、嘘をついて人から崇め奉られている」と。バカだから優れた人の志も理解できない訳で、こんな悪態をつくのだが、この手のバカは死んでも治らない。人を欺いて小銭を巻き上げるだけで、例え頭を打っても賢くなる事はない。
「狂った人の真似」と言って国道を走れば、そのまま狂人になる。「悪党の真似」と言って人を殺せば、ただの悪党だ。良い馬は、良い馬の真似をして駿馬になる。聖人を真似れば聖人の仲間入りが出来る。冗談でも賢人の道を進めば、もはや賢人と呼んでも過言ではない。
人の心すなほならねば、
偽 りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て羨 むは、尋常 なり。至 りて愚 かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎 む。「大きなる利 を得 んがために、少しきの利 を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と謗 る。己 れが心に違 へるによりてこの嘲 りをなすにて知りぬ、この人は、下愚 の性 移るべからず、偽 りて小利をも辞すべからず、仮 りにも賢を学ぶべからず。
狂人の真似 とて大路 を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似 とて人を殺さば、悪人なり。驥 を学ぶは驥の類 ひ、舜 を学ぶは舜の徒 なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
生まれつき最低の人間。「子曰ク。唯、上智ト下愚トハ移ラズ」と『論語』にある。
一日に千里を走る駿馬。「驥ヲ
中国古代の聖帝。「鶏鳴ニシテ起キ、