現代語訳
月が円を描くのは一瞬である。この欠けること光の如し。気にしない人は、一晩でこれ程までに変化する月の姿に気がつかないだろう。病気もまた満月と同じである。今の病状が続くのではない、死の瞬間が近づいてくるのだ。しかし、まだ病気の進行が遅く死にそうもない頃は、「こんな日がいつまでも続けばいい」と思いながら暮らしている。そして、元気なうちに多くのことを成し遂げて、落ち着いてから死に向かい合おうと考えていたりする。そうしているうちに、病気が悪化し臨終の間際で、何も成し遂げていないことに気がつく。死ぬのだから、何を言っても仕方ない。今までの堕落を後悔して、「もし一命を取り留めることができたら、昼夜を惜しまず、あれもこれも成し遂げよう」と反省するのだが、結局は危篤になり、取り乱しながら死ぬのである。世に生きる人は、大抵がこんなものだ。人はいつでも死を心に思わなければならない。
やるべきことを成し遂げてから、静かな気持ちで死に向かい合おうと思えば、いつまでも願望が尽きない。一度しかない使い捨ての人生で、いったい何を成し遂げるのか。願望はすべて妄想である。「何かを成し遂げたい」と思ったら、妄想に取り憑かれているだけだと思い直して、全てを中止しなさい。人生を捨てて死に向かい合えば、煩わしさや、ノルマもなくなり、心身に平穏が訪れる。
原文
望月 の円 かなる事は、暫 くも住 せず、やがて欠けぬ。心止めぬ人は、一夜 の中 にさまで変る様の見えぬにやあらん。病 の重 るも、住する隙 なくして、死期 既に近し。されども、未だ病急 ならず、死に赴かざる程は、常住 平生 の念に習ひて、生 の中に多くの事を成 じて後、閑かに道を修 せんと思ふ程に、病を受けて死門に臨 む時、所願一事 も成 せず。言ふかひなくて、年月 の懈怠 を悔 いて、この度 、若し立ち直りて命を全 くせば、夜 を日 に継ぎて、この事、かの事、怠 らず成 じてんと願ひを起 すらめど、やがて重 りぬれば、我にもあらず取り乱して果 てぬ。この類のみこそあらめ。この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。
所願を成 じて後、暇 ありて道に向はんとせば、所願尽くべからず。如幻 の生 の中 に、何事をかなさん。すべて、所願皆妄想 なり。所願心に来たらば、妄信迷乱 すと知りて、一事をもなすべからず。直に万事を放下 して道に向ふ時、障りなく、所作 なくて、心身 永く閑かなり。