徒然草

徒然草 第六十三段

現代語訳

 後七日の儀式の実行委員長である導師が、近衛兵を配備して厳重に警備するのは、いつだったか、儀式の最中、強盗に襲撃されたからである。「一年の計は元旦にあり」と言うぐらい、大切な儀式だが、軍隊に囲まれて開催されれば、軍事国家のようになる。

原文

 後七日(ごしちにち阿闍梨(あざり、武者を(あつむる事、いつとかや、盗人(ぬすびとにあひにけるより、宿直人(とのゐびととて、かくことことしくなりにけり。一年(ひととせ(さうは、この修中(しゆちゆうのありさまにこそ見ゆなれば、(つはものを用ゐん事、(おだやかならぬことなり。

注釈

 後七日(ごしちにち

  一月八日から一週間、国家安泰、五穀豊穣を願って行われる仏事。

 阿闍梨(あざり

  衆僧を率いる導師。ここでは「後七日」のリーダーの事。

 武者

  僧侶を警備する武士。

 盗人(ぬすびと

  『四季物語』に、一一二七年のこととある。

 宿直人(とのゐびと

  警備番のこと。

徒然草 第六十二段

現代語訳

 悦子内親王が、小さなお嬢ちゃんだった頃、父上の隠居先を訪ねる人に「ことづて」と言って、渡した歌。

   「こ」は二本「ひ」は牛の角「し」を曲げて「く」にして繋ぐ 君のことだよ

 この歌は、「恋しく」思う歌なのである。

原文

 延政門院(えんせいもんゐん、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、

   ふたつ文字、牛の(つの文字、(ぐな文字、(ゆがみ文字とぞ君は覚ゆる

 恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

注釈

 延政門院(えんせいもんゐん

  後嵯峨上皇の皇女、悦子内親王。この話は悦子内親王が六歳から十四歳の話である。

 院

  父、後嵯峨上皇の住む仙洞御所、二条富小路殿。

 ふたつ文字

  平仮名の「こ」の字。

 牛の角文字

  平仮名の「い」の字。「ひ」の字では無いらしい。

 直ぐな文字

  まっすぐな文字。平仮名の「し」の字。

 歪み文字

  平仮名の「く」の字。

 君は覚ゆる

  「お父様のことを恋しく思います」と詠んでいる。

徒然草 第六十一段

現代語訳

 天皇の正妻や二号、愛人が出産する際に、炊飯器を転げ落とす儀式は必須ではない。後産が長引かないようにする、単なるまじないなのだ。安産であれば必要ない。

 元は庶民の風習であり、何の根拠もない。大原の里から炊飯器を取り寄せるのだが、これは「大原」と「大腹」の駄洒落である。宝物殿に安置してある古いタブローに、貧乏人の出産時に、炊飯器を転がしている様子が残っている。

原文

 御産(ごさんの時、(こしき落す事は、(さだまれる事にあらず。御胞衣(えなとゞこほる時のまじなひなり。とゞこほらせ給はねば、この事なし。

 下ざまより事起りて、させる本説(ほんせちなし。大原(おほはらの里の(こしきを召すなり。古き宝蔵(ほうぞうの絵に、(いやしき人の子産みたる所に、甑落したるを書きたり。

注釈

 御産(ごさん

  宮中の高貴な方が、皇太子、皇女を出産すること。

 (こしき

  瓦製の米を炊く道具。

 胞衣(えな

  胎児を包んでいる膜や胎盤。出産後に下りてくることから後産とも呼ぶ。

 大原(おほはら

  京都市左京区大原。「大原」と「大腹」をかけている。

 宝蔵(ほうぞう

  宝物をしまう蔵。

徒然草 第六十段

現代語訳

 真乗院に盛親僧都という天才がいた。里芋が大好きで大量に食べていた。説法集会の時でも大鉢に山の如く積み上げて、膝の近くに置いて食べながら本を読んでいた。疾病すれば、一二週間入院して思い通りの良い芋を選別し、普段よりも大量に食べ、どんな大病も完治させた。また、誰にも芋をやらず、いつも独り占めした。貧乏を窮めていたが、師匠が死んで寺と二百貫の財産を相続した。その後、百貫で寺を売り飛ばし、三百貫もの大金を手にした。その金を芋代と決めて、京都銀行に貯金した。十貫ずつ金を引き出しては、芋を買い、満足するまで食べ続けた。他に散財する物もなく全て芋代に化けた。「三百貫の大金を、全て芋に使うとは類い希なる仏教人だ」と人々に称えられ、殿堂入りした。

 この僧都は、ある坊さんを見て「しろうるり」とあだ名を付けた。誰かに「しろうるりとは、どんな物ですか?」と問われると「私も何だか知りません。もし、そんな物があったなら、きっとこの坊さんの顔にそっくりな物でしょう」と答えたそうだ。

 この僧都は、男前で、絶倫で、大食漢で、達筆でもあり、学才が半端でなく、演説させれば最高だった。仁和寺系列ではナンバーワンの僧侶だったが、世間を小馬鹿にしている節があり、いわゆる曲者であった。勝手気ままに生き、ルールなども守らない。もてなしの宴でも、自分の前にお膳が来ると、たとえ配膳中であってもすぐに平らげ、帰りたくなれば一人だけ立ち上がり退室した。寺の食事も、他の僧のように規則正しく食べたりせず、腹が減ったら、夜中、明け方、構わず食べた。欠伸をすれば、昼でも部屋に施錠して寝てしまう。どんなに大切な用事があっても、人の言いなりになって目覚めることはなかった。寝過ぎて目が冴えると、夜中でも夢遊状態のまま鼻歌交じりで徘徊する。かなりの変態であったが、誰からも嫌われることなく世間から許容されていた。まさに、超人のなせる技である。

原文

 真乗院(しんじようゐんに、盛親僧都(じやうしんそうづとて、やんごとなき智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く(ひけり。談義(だんぎの座にても、大きなる鉢にうづたかく(りて、膝元(ひざもと(きつゝ、食ひながら、文をも読みけり。(わづらふ事あるには、七日(なぬか二七日(ふたなぬかなど、療治(れうぢとて(こも(て、思ふやうに、よき芋頭(いもがしら(えらびて、ことに多く食ひて、(よろづ(やまひ(いやしけり。人に食はする事なし。たゞひとりのみぞ食ひける。極めて(まづしかりけるに、師匠(ししやう、死にさまに、(ぜに二百貫と(ぼうひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万(ひきを芋頭の(あしと定めて、京なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、芋頭を(ともしからず召しけるほどに、また、他用に用ゐることなくて、その(あし皆に成りにけり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく(はかららひける、まことに有り難き道心者(だうしんじやなり」とぞ、人申しける。

 この僧都、或法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは何物ぞ」と人の問ひければ、「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。

 この僧都、みめよく、力強く、大食(たいしよくにて、能書(のうじよ学匠(がくしやう辯舌(べんぜつ、人にすぐれて、(しゆう法燈(ほふとうなれば、寺中(じちゆうにも重く思はれたりけれども、世を(かろく思ひたる曲者(くせものにて、万自由にして、大方、人に従ふといふ事なし。出仕(しゆつしして饗膳(きやうぜんなどにつく時も、皆人の前(ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行けり。(とき非時(ひじも、人に(ひと定めて食はず。我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、(ねぶたければ、昼もかけ(こもりて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目(めぬれば、幾夜も(ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常(よのつねならぬさまなれども、人に(いとはれず、(よろづ許されけり。徳の至れりけるにや。

注釈

 真乗院(しんじようゐん

  仁和寺系列の院家(門跡寺院に属する由緒ある寺)の一つ。

 盛親僧都(じやうしんそうづ

  『後宇多院御灌頂記(ごうだいんごかんじょうき』に「権小僧都 盛親」とある。僧都は層の位で、僧正に次ぐ。

 芋頭(いもがしら

  里芋。親芋。

 談義(だんぎ

  教典、仏書を講義する集まり。

 しろうるり

  「しろ」は白のことで、「うるり」は不明。

 饗膳(きやうぜん

  法事が終わって出される食事。

 (とき非時(ひじ

  時間が決まった朝食と午後の食事。

徒然草 第五十九段

現代語訳

 悟りを開くのであれば、気がかりで捨てられない日常の雑多な用事を途中で辞めて、全部そのまま捨てなさい。「あと少しで定年だから」とか「そうだ、あれをまだやっていない」とか「このままじゃ馬鹿にされたままだ。汚名返上して将来に目処を立てよう」とか「果報は寝て待て。慌てるべからず」などと考えているうちに、他の用事も積み重なり、スケジュールがパンパンになる。そんな一生には、悟り決意をする日が来るはずもない。世間の家庭を覗いてみると、少し利口ぶった人は、だいたいこんな感じで日々を暮らし、死んでしまう。

 隣が火事で逃げる人が「ちょっと待ってください」などと言うものか。死にたくなかったら、醜態をさらしてでも、貴重品を捨てて逃げるしかない。命が人の都合を待ってくれるだろうか? 儚い命が閉店する瞬間は、水害、火災より迅速に攻めてくる。逃れられない事だから、臨終に「死にそうな親や、首のすわりの悪い子や、師匠への恩、人から受ける優しさを捨てられそうもない」と言ってみたところで、捨てる羽目になる。

原文

 大事(だいじを思ひ立たん人は、去り難く、心にかゝらん事の本意(ほい(げずして、さながら捨つべきなり。「しばし。この事果てて」、「同じくは、かの事沙汰(さたしおきて」、「しかじかの事、人の(あざけりやあらん。行末(ゆくすゑ難なくしたゝめまうけて」、「年来(としごろもあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物騒がしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の(くる限りもなく、思ひ立つ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心あるきはは、皆、このあらましにてぞ一期(いちご(ぐめる。

 近き火などに(ぐる人は、「しばし」とや言ふ。身を助けんとすれば、(はぢをも顧みず、(たからをも捨てて(のがれ去るぞかし。命は人を待つものかは。無常の(きたる事は、水火の(むるよりも(すみかに、(のがれ難きものを、その時、老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨て難しとて捨てざらんや。

注釈

 大事(だいじ

  出家して悟りを開くこと。生きるに当たって一番大切なこと。

 無常

  永遠の事象が無いこと。人に死が訪れること。

徒然草 第五十八段

現代語訳

 「仏の道の修行をしようという心構えがあるのならば、住む場所は関係ないと思う。家族の住む家に住み、他人とつき合っていても、死んだ後の世界のことを願う気持ちに支障があるでしょうか?」と言うのは、極楽往生を理解していない人の意見である。本当に現世をチンケな世界だと思い、絶対に生死を超越してやろうと思うのなら、何が面白くて、朝から晩まで社会の歯車になって、家族計画に気合いを入れるのだろうか。心は周りの雰囲気に移ろうものだから、余計な雑音がない場所でないと修行などできっこない。

 仏道修行への気合いは、到底昔の人に及ばないから、山林に籠もっても、餓えを凌いで嵐を防ぐ何かがなければ生きていくこともできないわけで、一見、俗世にまみれていると、見方によっては見えないこともない。けれども「それでは、世を捨てた意味もない。そんなことなら、どうして世を捨てたのだろうか?」などと言うのは、メチャクチャな話だ。やはり、一度は俗世間を捨てて、仏の道に足を踏み入れ、厭世生活をしているのだから、たとえ欲があると言っても、権力者の強欲さとは比較できないほどせこい。紙で作った布団や、麻で作った衣装、お椀一杯の主食に雑草の吸い物、こんな欲求は世間ではどれぐらいの出費になるだろうか? だから、欲しい物は簡単に手に入り、欲求もすぐに満たされる。また、恥ずかしい身なりをしているので、世間に関わると言っても、修行の妨げになることからは遠ざかり、修行にとってプラスになることにしか近寄ることもない。

 人間として生まれてきたからには、何が何でも世間を捨てて山籠もり生活を営むことが理想である。節操もなく世の中の快楽をむさぼることに忙しく、究極の悟りを思わないとすれば、そこらのブタと何ら変わることがない。

原文

 「道心(だうしんあらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世(のちのよを願はんに(かたかるべきかは」と言ふは、さらに、後世知らぬ人なり。げには、この世をはかなみ、必ず、生死(しやうじ(でんと思はんに、何の(きようありてか、朝夕君に仕へ、家を顧みる営みのいさましからん。心は(えんにひかれて移るものなれば、(しづかならでは、道は(ぎやうじ難し。

 その(うつはもの、昔の人に及ばず、山林に(りても、(うゑを助け、(あらしを防くよすがなくてはあられぬわざなれば、おのづから、世を(むさぼるに似たる事も、たよりにふれば、などかなからん。さればとて、「(そむけるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし」など言はんは、無下の事なり。さすがに、一度(ひとたび、道に(りて世を(いとはん人、たとひ望ありとも、勢ある人の貪欲(とんよく多きに似るべからず。紙の(ふすま、麻の衣、一(はつのまうけ、(あかざ(あつもの、いくばくか人の(つひえをなさん。求むる所は得やすく、その心はやく足りぬべし。かたちに(づる所もあれば、さはいへど、悪には(うとく、善には近づく事のみぞ多き。

 人と生れたらんしるしには、いかにもして世を(のがれんことこそ、あらまほしけれ。(ひとへに(むさぼる事をつとめて、菩提(ぼだいに趣かざらんは、(よろづ畜類(ちくるいに変る所あるまじくや。

注釈

 道心(だうしん

  求道心。仏の道を進み、悟りを開く覚悟。

 後世(のちのよ

  死後に生まれ変わる極楽浄土。

 紙の(ふすま

  紙で作った粗末な夜具。

 (はつ

  僧の食事を入れる粗末な食器。

 菩提(ぼだい

  悟りの世界。

徒然草 第五十七段

現代語訳

 誰かが短歌のことを話し出して、取り上げた短歌がつまらなかったら、白けてしまう。しっかり短歌を読み解ける人ならば、そんな短歌は「良い歌だ」と勘違いして取り上げたりはしない。

 どんなことででも、よく分かりもしない世界の持論をこねくり回しているのを聞くと、気の毒な気がするし、良い気がしない。

原文

 人の語り(でたる歌物語の、歌のわろきこそ、本意(ほいなけれ。少しその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。

 すべて、いとも知らぬ道の物語したる、かたはらいたく、聞きにくし。

注釈

 歌物語

  短歌にまつわる話。

徒然草 第五十六段

現代語訳

 長らく会わず久しぶりの人が、こちらに有無を言わせず、自分の近況報告だけを矢継ぎ早に話し出したとしたら気にくわない。遠慮のいらない関係でも、久しぶりに会えば、親しき仲にも礼儀ありだ。品格の無い人は、ちょっとお出かけしただけでも、「今日のできごと」などと、呼吸している暇があるのか心配になってしまうぐらい、嬉々として話すものである。人格者であれば、大勢の中で一人に向かって話しても、周りの人まで聞き入るであろう。人格者で無い人は、目立ちたい根性を丸出しにして、座の中に割り込み、作り話をいかにも見たように脚色する。つられて一同、ゲラゲラ騒ぐのはやかましくて困る。高尚な話をしても、全く興味を示さず、反対に下品な話を始めて笑い転げるのを見れば、おおよそ知能指数が判定できる。

 勉強家が学問の事を議論している時に、突然、人の器量の善し悪しを、自分と比べて馬鹿にしていたら、それは取り返しようのない馬鹿である。

原文

 久しく(へだたりて(ひたる人の、我が方にありつる事、数々に残りなく語り続くるこそ、あいなけれ。隔てなく馴れぬる人も、程経て見るは、(づかしからぬかは。つぎざまの人は、あからさまに立ち(でても、今日(けふありつる事とて、(いき(ぎあへず語り興ずるぞかし。よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、(たれともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。をかしき事を言ひてもいたく興ぜぬと、興なき事を言ひてもよく笑ふにぞ、(しなのほど(はかられぬべき。

 人の身ざまのよし・あし、(ざえある人はその事など定め合へるに、(おのが身をひきかけて言ひ(でたる、いとわびし。

注釈

 つぎざまの人

  教養や品格の劣る人。

徒然草 第五十五段

現代語訳

 住まいの建築は、夏を考えて造りなさい。冬は、住もうと思えばどこにでも住める。猛暑の欠陥住宅は我慢ならない。

 庭に深い川を流すのは、涼しそうではない。浅く流れているほうが、遥かに涼しく感じる。小さい物を鑑賞する時は、吊すと影ができる窓よりも引き戸の方が明るくて良い。部屋の天井を高くすると冬は寒く照明も暗くなる。「新築の際には、必要ない箇所を造っておけば、目の保養になるし、いざという時に役に立つ事があるかも知れない」と、ある建築士が言っていた。

原文

 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き(ころわろき住居(すまひは、堪へ難き事なり。

 深き水は、涼しげなし。浅くて流れたる、(はるかに涼し。細かなる物を見るに、遣戸(やりどは、(しとみ(よりも(あかし。天井の高きは、冬寒く、(ともしび(くらし。造作(ざうさくは、用なき所を作りたる、見るも面白く、(よろづの用にも立ちてよしとぞ、人の定め合ひ侍りし。

注釈

 遣戸(やりど

  左右に開ける扉。襖に似ている。

 (しとみ

  扉。受けに上げて留め金で吊すと、そのまま日よけになる。

徒然草 第五十四段

現代語訳

 しつこく仁和寺の話。仁和寺の住職のお宅に、とても可愛い男児がいた。どうにか誘惑して、この幼児と一緒に遊びたいと思う坊主達もいた。彼等は、芸人かぶれの坊主を丸め込んで仲間にした。オシャレな弁当箱を特注して、汚れないように箱にしまい、仁和寺から南一キロにある三つコブの丘の分かり易い場所に埋めて、紅葉を振りかけ、さり気ないようにしておいた。それから寺へ戻り、幼児をそそのかして連れ出した。

 幼児と遊ぶことがあまりにも嬉しく、あちこちと連れ回した。丘に登り苔むす地面に皆で座って「とても疲れた」とか「誰か、紅葉で焚き火して、酒の燗をしてくれないか」とか「火遁の術を修行した坊さんよ、試しに呪文を唱えてくれないか」などと言う。すると超能力者役の坊さんが、弁当箱を埋めた木の根っこに向かい数珠をスリスリして、物々しく両手で印を結んだ。演技をしながら紅葉をかき払うと、もぬけの殻だった。「場所が違ったか」と、掘らない場所が無いほど山を荒らしたが、とうとう見つからなかった。埋めているところを誰かに見つけられて、仁和寺に戻った頃には盗まれてしまったのだろう。坊さんたちは、その場を取り繕う言葉も失って、年甲斐もなく口喧嘩をし、最後は逆上しながら帰って行った。

 必要以上に小細工すると、結果はこうなるという教訓である。

原文

 御室(おむろにいみじき(ちごのありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと(たくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子(わりごやうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情(ふぜいの物にしたゝめ入れて、(ならびの岡の便(びんよき所に(うづみ置きて、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそゝのかし出でにけり。

 うれしと思ひて、こゝ・かしこ遊び廻りて、ありつる(こけのむしろに並み(て、「いたうこそごうしにたれ」、「あはれ、紅葉を(かん人もがな」、「(げんあらん僧たち、祈り(こころみられよ」など言ひしろひて、(うづみつる木の下に向きて、数珠(ずずおし(り、印ことことしく結び(でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の(たがひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。埋みける人を見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。法師ども、(こと(なくて、聞きにくゝいさかひ、腹立(はらだちて帰りにけり。

 あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。

注釈

 御室(おむろ

  仁和寺の通称。ここでは、歴代の住職である法親王のいた御所を指す。旧立石電機株式会社、現オムロン株式会社の社名も、この地に由来する。

 破子(わりご

  白木で作ったお弁当箱。

 箱風情(ふぜいの物

  箱のような形の物に入れて、お弁当箱が汚れないようにした。

 印

  印相。仏や菩薩の力を指の形で表す。