おりにかなう助け

徒然草 第百二十三段

現代語訳

 無駄な時間を過ごすのは、馬鹿者とか勘違い人間と言うに値する。国のため、経営者のためと、やりたくない事をやる羽目になる時は結構ある。その結果として、自分の時間は情けないほど少なくなる。よく考えてみれば、人として生きていくために必要な事と言えば、一つ目は、食べ物、二つ目は、衣服、三つ目に住居ぐらいである。世間で大切と思われている事は、この三つ以外クソと同じだ。餓死せず、凍死せず、雨風しのいで、静かに過ごせるならそれで良いではないか。しかし、人間は誰でも病気になる。病に冒されると苦しくて仕方がない。そこで医療も忘れるわけにはいかない。衣食住に薬を加えて、四つのことがままならないのを貧乏という。四つが何とかなれば裕福という。四つ以外の物欲を満たすのを強欲という。この四つ、爪に火を灯して生きていけば、誰だって「満たされない」などと思うだろうか?

原文

 無益(むやくのことをなして時を移すを、(おろかなる人とも、僻事(ひがことする人とも言ふべし。国のため、君のために、(むことを得ずして為すべき事多し。その余りの(いとま(いくばくならず。思ふべし、人の身に止むことを(ずして(いとなむ所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に(る所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。(ゑず、寒からず、風雨に(をかされずして、(しづかに過すを(たのしびとす。たゞし、人皆病あり。病に(をかされぬれば、その愁忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むを(おごりとす。四つの事倹約ならば、誰の人か(らずとせん。

徒然草 第百十七段

現代語訳

 友達にするにふさわしくない者は、七種類ある。一つ目は、身分が高く住む世界が違う人。二つ目は、青二才。三つ目は、病気をせず丈夫な人。四つ目は、飲んだくれ。五つ目は、血の気が多く戦闘的な人。六つ目は、嘘つき。七つ目は、欲張り。

 良い友達には、三種類ある。まずは、物をくれる友達。次は、ドクター。最後に、賢い友達。

原文

 友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身(つよき人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める(つはもの。六つには、虚言(そらごとする人。七つには、欲深き人。

 よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師(くすし。三つには、智恵ある人。

徒然草 第百十二段

現代語訳

 明日、遠い場所へ旅立とうとしている人に、腰を据えなければ出来ないことを、誰が言いつけるだろうか。突然の緊急事態の対処に追われている人や、不幸に嘆き悲しむしかない人は、自分のことで精一杯で、他人の不幸事や祝い事を見舞うこともないだろう。見舞わないからと言って「薄情な奴だ」と恨む人もいない。得てして、老人や寝たきりの人、ましてや世捨てのアナーキストは、これと同じである。

 世間の儀式は、どんなことでも不義理にはできない。世間体もあるからと、知らないふりをするわけにも訳にいかず、「これだけはやっておこう」と言っているうちに、やることが増えるだけで、体にも負担がかかり、心に余裕が無くなり、一生を雑務や義理立てに使い果たし無意味な人生の幕を閉じることになる。既に日暮れでも道のりは遠い。人生は思い通りに行かず、既に破綻していたりする。もう、いざという時が過ぎてしまったら、全てを捨てる良い機会だ。仁義を守ることなく、礼儀を考える必要もない。世捨てのやけっぱちの神髄を知らない人から「狂っている」と言われようとも「変態」と呼ばれようとも「血が通っていない」となじられようとも、言いたいように言わせておけばよい。万が一、褒められることがあっても、もはや聞く耳さえなくなっている。

原文

 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心(しづかになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。(にはかの大事をも(いとなみ、(せちに歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の(うれへ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、(いはんや世をも(のがれたらん人、また、これに同じかるべし。

 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の(もだし難きに(したがひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の(いとまもなく、一生は、雑事(ざふじの小節にさへられて、(むなしく暮れなん。日暮れ、(みち遠し。吾が(しやう既に蹉蛇(さだたり。諸縁を放下(はうげすべき時なり。信をも(まぼらじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。(そしるとも(くるしまじ。(むとも聞き入れじ。

注釈

 蹉蛇(さだ

  二字とも「つまづく」という意味で、思い通りに物事が進まないこと。

徒然草 第百一段

現代語訳

 ある人が、大臣の任命式を取り仕切った際に、天皇の直々の任命書を持たないまま壇上に上がってしまった。失礼極まりないと分かりつつも、取りに戻るわけにもいかず放心していると、康綱係長が目立たない女子職員にお願いし、この任命書を持たせて内緒で手渡した。とても気が利く男であった。

原文

 或人(あるひと、任大臣の節会(せちゑ内辨(ないべん(つとめられけるに、内記(ないきの持ちたる宣宣命(せんみよう(らずして、堂上(たうしやうせられにけり。極まりなき失礼(しちらいなれでも、立ち帰り(るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位(ろくゐの外記(げき康綱(やすつな衣被(きぬかづきの女房をかたらひて、かの宣命を(たせて、忍びやかに(たてまつらせけり。いみじかりけり。

注釈

 任大臣の節会(せちゑ

  天皇が大臣を任命する儀式のこと。

 内辨(ないべん

  内裏の紫宸殿、承明門の中にいて、雑務を取り仕切る役人。

 内記(ないき

  中務省で、詔勅、宣命を作る役人。

 宣命(せんみよう

   天皇の命令を和国文で記した書類。

 六位(ろくゐの外記(げき康綱(やすつな

  中原康綱。外記は太政官に属す役人のこと。

 衣被(きぬかづきの女房

  衣被きの姿をした宮中に仕える高位の女官のこと。

徒然草 第百段

現代語訳

 久我の太政大臣が、皇居の関係者以外立ち入り禁止の間で水を飲もうとしたら、女官が焼き物のカップを持ってきた。太政大臣は「柄杓を持ってきなさい」と言って、それで飲んだ。

原文

 久我相国(こがのしやうこくは、殿上(てんじやうにて水を召しけるに、主殿司(とのもづかさ土器(かはらけ(たてまつりければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

注釈

 久我相国(こがのしやうこく

  久我通光(くがみちみつ。太政大臣。歌人として多くの勅撰和歌集に入集。

 殿上(てんじやう

  清涼殿の殿上の間。公家や殿上人だけが伺候できる。

 大理(だいり

  検非違使庁の長官のこと。

 主殿司(とのもづかさ

  主殿司に属し雑務を受け持つ女官。

 土器(かはらけ

  素焼きの器や杯のこと。

 まがり

  不詳。酒や水を飲む器と思われる。

徒然草 第九十八段

現代語訳

 『一言芳談』という、坊さんの名言集を読んでいたら感動したので、ここに紹介しよう。

 一つ。やろうか、やめようか迷っていることは、通常やらない方が良い。

 一つ。死んだ後、幸せになろうと思う人は、糠味噌樽一つさえ持つ必要は無い。経本やご本尊についても高級品を使うのは悪いことだ。

 一つ。世捨てのアナーキストは、何も無い状態でもサバイバルが出来なくてはならない。

 一つ。王子は乞食に、知識人は白痴に、金持ちは清貧に、天才は馬鹿に成りきるべきである。

 一つ。仏の道を追求すると言うことは、たいした事ではない。ただ単に暇人になり、放心していればよい。

 他にも良い言葉があったが忘れてしまった。

原文

 (たふときひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談(いちごんはうだんとかや(づけたる草子を((はべりしに、心に合ひて覚えし事ども。

 一 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。

 一 後世(ごせを思はん者は、糂汰瓶(じんたがめ一つも(つまじきことなり。持経(ぢきやう本尊(ほんぞんに至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。

 一 遁世(とんぜう者は、なきにことかけぬやうを(はからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。

 一 上臈(じやうらふ下臈(げらふに成り、智者は愚者に成り、徳人(とくにんは貧に(り、能ある人は無能に成るべきなり。

 一 仏道を(ねがふといふは、(べちの事なし。(いとまある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。

 この外もありし事ども、(おぼえず。

注釈

 一言芳談(いちごんはうだん

  浄土宗の僧侶たちの法語。百六十条を収録した語録集。

 糂汰瓶(じんたがめ

  漬け物樽のこと。

 上臈(じやうらふ下臈(げらふ

  身分の高い人、低い人。

徒然草 第九十七段

現代語訳

 その物に寄生し、それを捕食し、結果的に食い尽くしてしまう物は、佃煮にするほどある。身体にはシラミが湧く。家にはネズミが同居する。国家には反逆者がいる。小市民には財産がある。権力者には義理がある。僧侶には仏法があるのであった。

原文

 その物に付きて、その物をつひやし(そこふ物、数を知らずあり。身に蝨あり。家に(ねずみあり。国に賊あり。小人(せうじん(たからあり。君子に仁義(じんぎあり。僧に法あり。

徒然草 第九十六段

現代語訳

 メナモミという草がある。マムシに噛み付かれた人が、この草を揉んで患部にすり込めば一発で治るという。実物を見て知っておくと、いざという時に役立つ。

原文

 めなもみといふ草あり。くちばみに(されたる人、かの草を(みて付けぬれば、(すなは(ゆとなん。見(りて(くべし。

注釈

 めなもみ

  やぶたばこ。

 くちばみ

  マムシのこと。

徒然草 第九十三段

現代語訳

 「牛を売る人がいた。牛を買おうとした人が、明日代金を払って引き取ります、と言った。牛はその夜、未明に息を引き取った。牛を買おうとした人はラッキーで、牛を売ろうとした人は残念だった」と誰かが話した。

 近くで聞いていた人が「牛のオーナーは、一見、損をしたように思えるが、実は大きな利益を得ている。何故なら、命ある者は、死を実感できない点において、この牛と同じだ。人間も同じである。思わぬ事で牛は死に、オーナーは生き残った。命が続く一日は、莫大な財産よりも貴重で、それに比べれば、牛の代金など、ガチョウの羽より軽い。莫大な財産と同等の命拾いをして、牛の代金を失っただけだから、損をしたなどとは言えない」と語った。すると周りの一同は「そんな屁理屈は、牛の持ち主に限った事では無いだろう」と、軽蔑の笑みさえ浮かべた。

 その屁理屈さんは続けて「死を怖がるのなら、命を慈しめ。今、ここに命がある事を喜べば、毎日は薔薇色だろう。この喜びを知らない馬鹿者は、財や欲にまみれ、命の尊さを忘れて、危険を犯してまで金に溺れる。いつまで経っても満たされないだろう。生きている間に命の尊さを感じず、死の直前で怖がるのは、命を大切にしていない証拠である。人が皆、軽薄に生きているのは、死を恐れていないからだ。死を恐れていないのではなく、死が刻々と近づく事を忘れていると言っても過言ではない。もし、生死の事など、どうでも良い人がいたら、その人は悟りを開いたと言えるだろう」と、まことしやかに論ずれば、人々は、より一層馬鹿にして笑った。

原文

 「牛を売る者あり。買ふ人、明日、その(あたひをやりて、(うし(らんといふ。夜の(に牛死ぬ。(はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と(かたる人あり。

 これを聞きて、かたへなる者の(はく、「牛の(ぬし、まことに損ありといへども、また、大きなる利あり。その故は、(しやうあるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに(ぬし(ぞんぜり。一日の命、万金(ばんきんよりも(おもし。牛の(あたひ鵝毛(がもうよりも軽し。万金(ばんきん(て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と言ふに、皆人(あざけりて、「その(ことわりは、牛の主に限るべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は。牛の主に限るべからず」と言ふ。

 また(はく、「されば、人、死を(にくまば、(しようを愛すべし。存命(ぞんめいの喜び、日々に楽しまざらんや。(おろかなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく(ほか(たのしびを(もとめ、この(たからを忘れて、(あやく他の(たからを貪るには、志満つ事なし。行ける(あひだ、生を楽しまずして、死に(のぞみて死を(おそれば、この(ことわりあるべからず。人皆生を(たのしまざるは、死を恐れざる故なり。死を(おそれざるにはあらず、死の近き事を(わするゝなり。もしまた、生死(しやうじ(さうにあづからずといはば、(まこと(ことわり(たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ(あざける。

徒然草 第九十一段

現代語訳

 六日ごとに訪れる赤舌日という日がある。陰陽道の占いの世界では、取るに足りない事である。昔の人は、こんな事を気にせずに暮らしていた。最近になって、誰が言い出したのかは知らないが、不吉な日だと言う事になって、忌むようになった。「この日に始めた事は、中途半端で終わり、言った事、行った事は、座礁し、手に入れた物は、紛失し、立てた計画は、失敗に終わる」と言うのは、馬鹿げたことだ。敢えて大安吉日を選んで始めた事でも、行く末を見てみれば、赤舌日に始めた事と同じ確率でうまくいってない。

 解説すれば、世界は不安定で、全ての物事は、終わりに向かって緩やかなカーブを描いている。そこにある物が、永遠に同じ形で存在することは不可能である。成功を目指しても、最終的には失敗し、目的が達成できないまま、欲望だけが膨れあがるのが世の常だ。人の心とは、常に矛盾していて説明出来るはずもなく、物質は、いつか壊れて無くなる事を思えば、幻と一緒である。永遠など無いのだ。このシステムを理解していないから「吉日の悪い行いは、必ず罰が当たり、悪日の良い行いは、必ず利益がある」などと、寝言を言うのである。物事の良い悪いは、心の問題で、日柄とは関係ない。

原文

 赤舌日(しやくぜつにちといふ事、陰陽道(おんやうだうには沙汰(さたなき事なり。昔の人、これを(まず。この(ころ、何者の((でて((はじめけるにか、この日ある事、(すゑとほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、(たりし物は(うしなひつ、(くはたてたりし事成らずといふ、(おろかなり。吉日(きちにち(えらびてなしたるわざの(すゑとほらぬを(かぞへて見んも、また(ひとしかるべし。

 その故は、無常変易(へんやく(さかひ、ありと見るものも存ぜず。始めある事も(をはりなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定(ふぢやうなり。物皆幻化(げんけなり。何事か暫くも住する。この(ことわりを知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を(おこなふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。

注釈

 赤舌日(しやくぜつにち

  六日ごとに訪れる不吉な日。

 陰陽道(おんやうだう

  中国から伝来した方術、占い。

 変易(へんやく

  変わりやすく、常に変化する状態のこと。