現代語訳
メナモミという草がある。マムシに噛み付かれた人が、この草を揉んで患部にすり込めば一発で治るという。実物を見て知っておくと、いざという時に役立つ。
原文
めなもみといふ草あり。くちばみに
螫 されたる人、かの草を揉 みて付けぬれば、即 ち癒 ゆとなん。見知 りて置 くべし。
注釈
めなもみ
やぶたばこ。
くちばみ
マムシのこと。
メナモミという草がある。マムシに噛み付かれた人が、この草を揉んで患部にすり込めば一発で治るという。実物を見て知っておくと、いざという時に役立つ。
めなもみといふ草あり。くちばみに
螫 されたる人、かの草を揉 みて付けぬれば、即 ち癒 ゆとなん。見知 りて置 くべし。
めなもみ
やぶたばこ。
くちばみ
マムシのこと。
「箱に紐をくくってフタを付ける場合、どちら側を綴じればよいのでしょうか」と、ある専門家に聞いてみたところ、「右側と左側、諸説ありますが、どちらでも問題ありません。箱をレターケースとして使う場合は右側、道具入れにする場合は左側にする事が多いようです」と教えてくれた。
「箱のくりかたに
緒 を付 くる事、いづかたに付 け侍 るべきぞ」と、ある有職 の人に尋ね申し侍りしかば、「軸 に付け、表紙に付くる事、両説なれば、いづれも難 なし。文 の箱は、多くは右に付く。手箱には、軸 に付くるも常 の事なり」と仰 せられき。
公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。
常磐井の太政大臣が、役所勤めをしていた頃、皇帝の勅令を持った武士が、大臣に接見した。その際に馬から下りたので、大臣はその後「先ほどの武士は、皇帝の勅令を持ちながら馬から下りやがった。あんな馬鹿たれを中央官庁で働かせるわけにはいかん」と言って、即座に解雇した。
勅令は馬に乗ったまま両手で高く上げて見せるのであって、馬から下りたら失礼なのだ。
常磐井相国 、出仕し給ひけるに、勅書 を持ちたる北面 あひ奉 りて、馬より下 りたりけるを、相国 、後 に、「北面 某 は、勅書を持 ちながら下馬 し侍 りし者なり。かほどの者、いかでか、君に仕 うまつり候ふべき」と申されければ、北面を放 たれにけり。
勅書を、馬の上ながら、捧 げて見せ奉るべし、下 るべからずとぞ。
西園寺実氏。「相国」は、太政大臣のこと。
勅令を書いた文章。「陣中ニハ、
「牛を売る人がいた。牛を買おうとした人が、明日代金を払って引き取ります、と言った。牛はその夜、未明に息を引き取った。牛を買おうとした人はラッキーで、牛を売ろうとした人は残念だった」と誰かが話した。
近くで聞いていた人が「牛のオーナーは、一見、損をしたように思えるが、実は大きな利益を得ている。何故なら、命ある者は、死を実感できない点において、この牛と同じだ。人間も同じである。思わぬ事で牛は死に、オーナーは生き残った。命が続く一日は、莫大な財産よりも貴重で、それに比べれば、牛の代金など、ガチョウの羽より軽い。莫大な財産と同等の命拾いをして、牛の代金を失っただけだから、損をしたなどとは言えない」と語った。すると周りの一同は「そんな屁理屈は、牛の持ち主に限った事では無いだろう」と、軽蔑の笑みさえ浮かべた。
その屁理屈さんは続けて「死を怖がるのなら、命を慈しめ。今、ここに命がある事を喜べば、毎日は薔薇色だろう。この喜びを知らない馬鹿者は、財や欲にまみれ、命の尊さを忘れて、危険を犯してまで金に溺れる。いつまで経っても満たされないだろう。生きている間に命の尊さを感じず、死の直前で怖がるのは、命を大切にしていない証拠である。人が皆、軽薄に生きているのは、死を恐れていないからだ。死を恐れていないのではなく、死が刻々と近づく事を忘れていると言っても過言ではない。もし、生死の事など、どうでも良い人がいたら、その人は悟りを開いたと言えるだろう」と、まことしやかに論ずれば、人々は、より一層馬鹿にして笑った。
「牛を売る者あり。買ふ人、明日、その
値 をやりて、牛 を取 らんといふ。夜の間 に牛死ぬ。買 はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語 る人あり。
これを聞きて、かたへなる者の云 はく、「牛の主 、まことに損ありといへども、また、大きなる利あり。その故は、生 あるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主 は存 ぜり。一日の命、万金 よりも重 し。牛の値 、鵝毛 よりも軽し。万金 を得 て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず」と言ふに、皆人嘲 りて、「その理 は、牛の主に限るべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は。牛の主に限るべからず」と言ふ。
また云 はく、「されば、人、死を憎 まば、生 を愛すべし。存命 の喜び、日々に楽しまざらんや。愚 かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外 の楽 しびを求 め、この財 を忘れて、危 く他の財 を貪るには、志満つ事なし。行ける間 、生を楽しまずして、死に臨 みて死を恐 れば、この理 あるべからず。人皆生を楽 しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐 れざるにはあらず、死の近き事を忘 るゝなり。もしまた、生死 の相 にあづからずといはば、実 の理 を得 たりといふべし」と言ふに、人、いよいよ嘲 る。
或人が、弓の稽古で、二本の矢をセットして的に対峙した。すると師匠が「素人が二本の矢を持つんじゃない。次の矢があるからと、一本目の矢に気合いが入らなくなるじゃねえか。いつでも、一本の矢が的中するように精神統一をせんか」と指導した。師匠の手前、わざと最初の一本を無駄遣いする人もいないだろう。しかし、無意識に怠け精神は目を覚ます。師匠はその事を知っているのだ。この戒めは、何事にも同様である。
悟りの道を歩む者は、夜には翌朝の修行を思い、朝には夜の修行を想像する。同じ事を繰り返し、「次はしっかり修行しよう」と思い直したりもする。そんな体たらくでは、この一瞬の中に、己の怠けの精神が目覚めていることを自覚しないだろう。この瞬間を自主的に生きるのは、何と難しい事であろうか。
或 人、弓射 る事を習 ふに、諸矢 をたばさみて的 に向 ふ。師の云 はく、「初心 の人、二つの矢を持 つ事なかれ。後 の矢を頼 みて、始 めの矢に等閑 の心あり。毎度、たゞ、得失 なく、この一矢 に定むべしと思へ」と云ふ。わづかに二つの矢、師の前にて一 つをおろかにせんと思はんや。懈怠 の心、みづから知 らずといへども、師これを知 る。この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕 には朝 あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を思ひて、重 ねてねんごろに修 せんことを期 す。況 んや、一刹那 の中において、懈怠 の心ある事を知らんや。何ぞ、たゞ今の一念において、直 ちにする事の甚 だ難 き。
いい加減な気持ち。
怠けの精神。
六日ごとに訪れる赤舌日という日がある。陰陽道の占いの世界では、取るに足りない事である。昔の人は、こんな事を気にせずに暮らしていた。最近になって、誰が言い出したのかは知らないが、不吉な日だと言う事になって、忌むようになった。「この日に始めた事は、中途半端で終わり、言った事、行った事は、座礁し、手に入れた物は、紛失し、立てた計画は、失敗に終わる」と言うのは、馬鹿げたことだ。敢えて大安吉日を選んで始めた事でも、行く末を見てみれば、赤舌日に始めた事と同じ確率でうまくいってない。
解説すれば、世界は不安定で、全ての物事は、終わりに向かって緩やかなカーブを描いている。そこにある物が、永遠に同じ形で存在することは不可能である。成功を目指しても、最終的には失敗し、目的が達成できないまま、欲望だけが膨れあがるのが世の常だ。人の心とは、常に矛盾していて説明出来るはずもなく、物質は、いつか壊れて無くなる事を思えば、幻と一緒である。永遠など無いのだ。このシステムを理解していないから「吉日の悪い行いは、必ず罰が当たり、悪日の良い行いは、必ず利益がある」などと、寝言を言うのである。物事の良い悪いは、心の問題で、日柄とは関係ない。
赤舌日 といふ事、陰陽道 には沙汰 なき事なり。昔の人、これを忌 まず。この比 、何者の言 ひ出 でて忌 み始 めけるにか、この日ある事、末 とほらずと言ひて、その日言ひたりしこと、したりしことかなはず、得 たりし物は失 ひつ、企 てたりし事成らずといふ、愚 かなり。吉日 を撰 びてなしたるわざの末 とほらぬを数 へて見んも、また等 しかるべし。
その故は、無常変易 の境 、ありと見るものも存ぜず。始めある事も終 りなし。志は遂げず。望みは絶えず。人の心不定 なり。物皆幻化 なり。何事か暫くも住する。この理 を知らざるなり。「吉日に悪をなすに、必ず凶なり。悪日に善を行 ふに、必ず吉なり」と言へり。吉凶は、人によりて、日によらず。
六日ごとに訪れる不吉な日。
中国から伝来した方術、占い。
変わりやすく、常に変化する状態のこと。
大納言法印の召使いだった乙鶴丸は、やすら殿という人と仲が良かった。いつも遊びに出かけるので、法印が、乙鶴丸が帰宅した時に「どこをほっつき歩いているのだ」と尋問した。「やすら殿のお宅へ遊びに行っていました」と答えるので、法印は「やすら殿は、毛が生えているのか? それとも坊主か?」と再尋問した。乙鶴丸は、袖をスリスリしながら「さあ、どうでしょう。頭を拝見したことが無いもので」と答えた。
なぜ、頭だけが見えないのか、謎である。
大納言法印 の召 し使 ひし乙鶴丸 、やすら殿といふ者を知りて、常に行き通 ひしに、或時 出 でて帰り来たるを、法印 、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿 のがり罷 りて候 ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男 か法師か」とまた問はれて、袖 掻 き合せて、「いかゞ候ふらん。頭 をば見候はず」と答へ申しき。
などか、頭ばかりの見えざりけん。
大納言の息子で、出家し僧侶の最高位に達した者。乙鶴丸、やすら殿と共に詳細未詳。
「山奥には猫又という肉食の怪獣がいて、人を食べるらしい」と、誰かが言えば「この近所でも、猫が猫又に進化して、人を襲ったらしい」と、言う者もいた。油小路にある行願寺の近くに住む何とか
実は、愛犬ポチが暗闇の中、ご主人様の帰りが嬉しくて尻尾を振り振り抱きついたそうだ。
「奥山に、
猫 またといふものありて、人を食 ふなる」と人の言ひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の経上 りて、猫またに成りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏 とかや、連歌しける法師の、行願寺 の辺 にありけるが聞きて、独り歩 かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて夜更 くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川 の端 にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚 のほどを食はんとす。肝心 も失 せて、防かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転 び入 りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より抱 き起 したれば、連歌の賭物取りて、扇 ・小箱など懐 に持ちたりけるも、水に入 りぬ。希有 にして助かりたるさまにて、這 ふ這ふ家に入 りにけり。
飼ひける犬の、暗 けれど、主 を知 りて、飛び付きたりけるとぞ。
古くから伝え聞いている怪獣。「
浄土宗・時宗において、僧侶の法名に付けた称号。この僧侶は隠遁者であることを示唆している。
行円が建てた寺。油小路の東にあったが、現在は竹屋町に移設された。
或る者が、「これが書の達人として誉れ高い、小野道風が書き写した『和漢朗詠集』です」と言って秘蔵していた。別の者が、「あなた様のお宅に代々伝わる品物ですから、根拠が出鱈目だとインネンを付けるつもりは毛頭ないのでございますが、藤原公任が撰集した歌を、その時代に他界している小野道風が書き写しているので、矛盾していてインチキ臭いのですが」と尋ねた。すると、「お目が高い! だからこそ類い希なる珍品なのでございます」と答え、今までよりも大切に秘蔵したという。
或者 、小野道風 の書ける和漢朗詠集 とて持ちたりけるを、ある人「御相伝 、浮ける事には侍 らじなれども四条大納言撰 ばれたものを、道風 書かん事、時代や違 ひ侍 らん。覚束 なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍 りけれ」とて、いよいよ秘蔵 しけり。
平安中期の書家。藤原佐理、藤原行成らと三蹟と呼ばれた。藤原公任が生まれた年に没す。
藤原公任が選んだ、和漢の詩歌のアンソロジー。
四条大納言
藤原公任。平安中期の歌人。
労働者に酒を飲ませる際には、細心の注意をはらわなくてはならない。
宇治に住んでいたある男は、京都に住んでいる具覚房と言う、ちょっとは名の知れた世捨て人と義兄弟の関係だった。なので、よく酒盛りをして親睦を深めた。いつもの様に、馬をやって具覚房を迎えに行かせた。具覚房は「この先、道のりは長い。まずは一杯やりなはれ」と言って、馬を引く男に酒を飲ませた。男は出された酒を次々と、だらだら垂らしながら飲みまくった。
太くて長い刀を腰からぶら下げ、勇敢に歩く男の姿を見て、具覚房は「何とも頼もしい事だ」と、心強く思いながら連れ歩いた。伏見の山道まで進むと、奈良法師が武装した兵隊を連れて歩いていた。泥酔状態の男は、何を血迷ったのか「おいこら、待て。日の暮れた山道を歩く怪しい狼藉者め」と言って、刀を抜いた。すると相手も、刀を抜き、矢を向けて防衛追撃の体勢に入った。具覚房は、咄嗟に危険を察知し、揉み手をしながら「どうかご無礼お許しください。この男は酒に酔って前後不覚なのです。私が頭を下げます。この通りです」と、命乞いをしたので、兵士達は冷笑して去っていった。
出鼻を挫かれた男は「何を言っているのだ、あんたは。俺は酔っちゃいねぇ。狼藉者を成敗して名を轟かす予定が狂ったじゃないか。抜いた刀のやり所に困ったものよ」と逆上して、ブンブンと刀を振り回しながら、具覚房を斬ってしまった。
そして男は、「山賊が出た」と怒鳴った。「何事が起きたのか」と、飛び出してきた野次馬達に向かって、男は「俺が山賊だ」と叫んで走りまわり、刀を振り回し、無差別殺傷に撃ってでた。迎え撃つ村人は大勢で取り囲んで押さえ込み、男を縛り上げた。血まみれになった馬だけが宇治の大通りを疾駆したので、具覚房を迎えにやらせた男は狼狽した。大男達を現場に急行させると、クチナシの花に埋もれて具覚房が唸っていたので病院に担ぎ込んだ。かなり危ない命拾いだったが、腰の傷が深く、車いす生活を余儀なくされた。
下部 に酒飲まする事は、心すべきことなり。
宇治 に住み侍 りけるをのこ、京に、具覚房 とて、なまめきたる遁世 の僧を、こじうとなりければ、常に申し睦 びけり。或時 、迎 へに馬を遣 したりければ、「遥 かなるほどなり。口づきのをのこに、先づ一度 せさせよ」とて、酒を出 だしたれば、さし受けさし受け、よゝと飲みぬ。
太刀 うち佩 きてかひがひしげなれば、頼 もしく覚えて、召し具 して行くほどに、木幡 のほどにて奈良 法師 の、兵士 あまた具 して逢ひたるに、この男立ち向かひて、「日暮れにたる山中 に、怪 しきぞ。止 まり候へ」と言ひて、太刀を引 き抜 きければ、人も皆、太刀抜 き、矢はげなどしけるを、具覚房、手を摺 りて、「現 し心なく酔 ひたる者に候ふ。まげて許 し給はらん」と言いければ、おのおの嘲 りてりて過ぎぬ。
この男、具覚房 にあひて、「御房 は口惜 しき事し給ひつるものかな。己 れ酔 ひたる事侍 らず。高名 仕 らんとするを、抜ける太刀 空 しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬 りに斬り落としつ。
さて、「山だちあり」とのゝしりければ、里人おこりて出 であへば、「我こそ山だちよ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬 り廻 りけるを、あまたして手負 ほせ、打ち伏 せて縛 りけり。馬は血つきて、宇治大路 の家に走り入りたり。あさましくて、をのこどもあまた走 らかしたれば、具覚房 はくちなし原にによひ伏したるを、求め出 でて、舁 きもて来 つ。辛 き命生 きたれど、腰斬 り損ぜられて、かたはに成りにけり。
雑用のために使われる召使い。
京都府南部にある都市。
未詳。「房」は出家した人への敬称。
興福寺、東大寺の僧侶の総称。
山だち
街道にいる強盗。追いはぎ。
宇治中心の大通りのこと。