つれづれぐさ(上)

徒然草 第八十六段

現代語訳

 惟継(これつぐの中納言は、自然派の多才な詩人だった。お経漬けの仏道修行をする為に、三井寺の寺法師だった円伊僧正と同棲していた。文保の時代、三井寺が延暦寺の僧侶に放火されて焼け落ちた時、惟継は、この法師に「三井寺の法師であったあなたの事を寺法師と呼んでおりましたが、寺も無くなったので、今からはただの法師と呼びましょう」と言ったそうだ。とても気の利いた慰め方だ。

原文

 惟継(これつぐの中納言(ちゆうなごんは、風月(ふげつ(さい(める人なり。一生精進(いつしやうしやうじんにて読経(どきやううちして、(てら法師(ほふし円伊僧正(ゑんいそうじやう同宿(どうじゆくして(はべりけるに、文保(ぶんぽうに三井寺焼かれし時、坊主(ぼうずにあひて、「御坊(ごぼうをば(てら法師(ほふしとこそ申しつれど、(てらはなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句(しうくなりけり。

注釈

 惟継(これつぐの中納言(ちゆうなごん

  平惟継。任権中納言で歌人。

 (てら

  「寺」とは滋賀県大津市にある、天台宗寺門、長等山園城寺(三井寺)のこと。

 円伊僧正(ゑんいそうじやう

  天台宗の権僧正で歌人。

 文保(ぶんぽう

  文保三年に、比叡山延暦寺の僧侶によって三井寺が焼き落とされた。

徒然草 第八十五段

現代語訳

 人の心は素直でないから、嘘偽りにまみれている。しかし、生まれつき心が素直な人がいないとも言い切れない。心が腐っている人は、他人の長所を嗅ぎつけ、妬みの対象にする。もっと心が腐って発酵している人は、優れた人を見つけると、ここぞとばかりに毒づく。「欲張りだから小さな利益には目もくれず、嘘をついて人から崇め奉られている」と。バカだから優れた人の志も理解できない訳で、こんな悪態をつくのだが、この手のバカは死んでも治らない。人を欺いて小銭を巻き上げるだけで、例え頭を打っても賢くなる事はない。

 「狂った人の真似」と言って国道を走れば、そのまま狂人になる。「悪党の真似」と言って人を殺せば、ただの悪党だ。良い馬は、良い馬の真似をして駿馬になる。聖人を真似れば聖人の仲間入りが出来る。冗談でも賢人の道を進めば、もはや賢人と呼んでも過言ではない。

原文

 人の心すなほならねば、(いつはりなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て(うらやむは、尋常(よのつねなり。(いたりて(おろかなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを(にくむ。「大きなる((んがために、少しきの(を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と(そしる。(おのれが心に(たがへるによりてこの(あざけりをなすにて知りぬ、この人は、下愚(かぐ(せい移るべからず、(いつはりて小利をも辞すべからず、(かりりにも賢を学ぶべからず。

 狂人の真似(まねとて大路(おほちを走らば、即ち狂人なり。悪人の真似(まねとて人を殺さば、悪人なり。(を学ぶは驥の(たぐひ、(しゆんを学ぶは舜の(ともがらなり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

注釈

 下愚(かぐ(せい移るべからず

  生まれつき最低の人間。「子曰ク。唯、上智ト下愚トハ移ラズ」と『論語』にある。

 (

  一日に千里を走る駿馬。「驥ヲ(こひねがフ馬ハ、亦、驥の馬ナリ。顔ヲ睎フ人ハ、亦、顔ノ徒ナリ」と『揚子法言』にある。

 (しゆん

  中国古代の聖帝。「鶏鳴ニシテ起キ、(々トシテ善ヲ為ス者ハ、舜ノ徒ナリ」と『孟子』にある。

徒然草 第八十四段

現代語訳

 三蔵法師は、インドに到着した際に、メイド・イン・チャイナの扇子を見てはホームシックになり、病気で寝込むと中華料理を所望したそうだ。その話を聞いて「あれ程の偉人なのに、異国では甘ったれていたのだな」と誰かが漏らした。それを聞いた弘融僧都が「心優しいお茶目な三蔵法師だ」と言ったのは、坊主臭くなく、むしろ深みがあるように思えた。

原文

 法顕三蔵(ほつけんさんざうの、天竺(でんぢくに渡りて、故郷の(あふぎを見ては(かなしび、病に(しては漢の(じきを願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都(こうゆうそうづ、「(いう(なさけありける三蔵(さんざうかな」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか。

注釈

 法顕三蔵(ほつけんさんざう

  中国東晋時代の高僧。同志とインドに渡り、遺跡を巡り、梵語を学び、帰国後、執筆活動を行った。

 天竺(でんぢく

  インドのこと。

 弘融僧都(こうゆうそうづ

  仁和寺の僧侶。弘舜僧正の弟子。

徒然草 第八十三段

現代語訳

 竹林入道、西園寺公衡は、最高長官へと出世するのに、何の問題も無くトントン拍子で進んだのだが「長官になっても、何ら変わったことも無いだろうから大臣で止めておこう」と言って出家した。洞院左大臣、藤原実泰も、これに感動して長官出世の望みを持たなかった。

 「頂上に登りつめた龍は、ジェットコースターの如く急降下するしかあるまい。後は悔いだけが残る」と言う。太陽は黄昏に向かい、満月は欠け、旬の物は腐るのみ。森羅万象、先が見えている物事は破綻が近い証拠である。

原文

 竹林院入道(ちくりんゐんのにふだう左大臣殿、太政大臣(だいじやうだいじん(あがり給はんに、何の滞りかおはせんなれども、珍しげなし。一上(いちのかみにて(みなん」とて、出家し給ひにけり。洞院(とうゐんの左大臣殿、この事を甘心(かんじんし給ひて、相国(しやうこくの望みおはせざりけり。

 「亢竜(こうりうよう(くいあり」とかやいふこと(はべるなり。月満ちては(け、物盛りにしては衰ふ。(よろづの事、(さき(まりたるは、破れに近き道なり。

注釈

 竹林院入道(ちくりんゐんのにふだう左大臣殿

  西園寺公衡(きんひら。左大臣になり三ヶ月で辞退した。竹林院と号する。法名、静勝(じょうしょう

 太政大臣(だいじやうだいじん

  左大臣の別名。大政官僚の任務を統括する。

 洞院(とうゐんの左大臣殿

  藤原実泰。左大臣になり、一年で辞任する。

 相国(しやうこく

  太政大臣を唐制で呼んだ名前。

 亢竜(こうりうよう(くい

  登りつめた竜は下るしか無い。そこには悔いしかない。「亢竜、悔有リ」と『易経』にある。

 月満ちては(け、物盛りにしては衰ふ

  「語ニ曰ク。日中スレバ則チ移リ、月満ツレバ則チ虧ケ、物盛ンナレバ則チ衰フ。天地ノ常数ナリ」と『史記』にある。

徒然草 第八十二段

現代語訳

 「薄い表紙の巻物は、すぐに壊れるから困る」と誰かが言った際に、頓阿が、「巻物は上下がボロボロになって軸の飾りが落ちると風格が出る」と言ったのが立派で、思わず見上げてしまった。また、全集や図鑑などが同じ体裁でないのは、「みっともない事だ」と、よく言われるが、弘融僧都が「何でも全部の物を揃えるのはアホのすることだ。揃っていない方が慎み深い」と言ったのには感動を覚えた。

 「何事も完璧に仕上げるのは、かえって良くない。手を付けていない部分を有りの儘にしておく方が、面白く、可能性も見出せる。皇居の改築の際も必ず造り残しをする」と誰かも言っていた。昔の偉人が執筆した文献にも文章が脱落した部分が結構ある。

原文

 「(うすものの表紙は、(とくく損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿(とんあが、「(うすもの上下(かみしもはづれ、螺鈿(らでん(ぢくは貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都(こうゆうそうづが、「物を必ず一具(いちぐ調(ととのへんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく(おぼえしなり。

 「すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、((ぶるわざなり。内裏(だいり造らるゝにも、必ず、作り(てぬ所を残す事なり」と、或人申し侍りしなり。先賢の作れる内外(ないげの文にも、章段(しやうだん(けたる事のみこそ侍れ。

注釈

 (うすものの表紙

  巻物を巻き終わった際に表になる部分に薄い布を張った表紙。

 頓阿(とんあ

  俗名、二階堂貞宗という。遁世者で兼好法師の友人であった。歌人。

 螺鈿(らでん(ぢく

  貝の裏側を削って、巻物の軸の両方に填めて飾った軸。

 草子

  巻物と異なり、紙を重ねて綴じた本。

 弘融僧都(こうゆうそうづ

  仁和寺の僧侶。弘舜僧正の弟子。

 内外(ないげ

  仏教の世界から見ると、仏書を内典、儒教の書を外典と呼ぶ。

 章段(しやうだん

  文章の大きなまとまりや段落 。

徒然草 第八十一段

現代語訳

 屏風や襖などに、下手くそな絵や文字が書いてあると、みっともないと言うよりも、持ち主の品格が疑われる。

 大体の事において、持ち物から持ち主の品性が察せられる場合が多い。常識を逸した高級品を持っていれば良いという話ではない。壊れないように、無骨に作って変形していたり、変わっているからと余計な部品を付けて、かえって使いづらくなっていたり、コテコテなのを喜んだりするのが良くないのだ。よく使い込んであって、わざとらしくなく、適正価格で作ってあり、その物が自体が良い物であればいい。

原文

 屏風(びやうぶ障子(しやうじなどの、絵も文字もかたくななる筆様して(きたるが、見にくきよりも、宿の(あるじのつたなく(おぼゆるなり。

 大方(おほかた(てる調度にても、心(おとりせらるゝ事はありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、(しななく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし(へ、わづらはしく(このみなせるをいふなり。(ふるめかしきやうにて、いたくことことしからず、(つひえもなくて、物がらのよきがよきなり。

注釈

 障子(しやうじ

  襖や衝立、現代の障子など、部屋を仕切る衝立の類。

徒然草 第八十段

現代語訳

 誰にでも、自分とは縁が無さそうな分野に首を突っ込みたくなる傾向があるようだ。坊主が屯田兵まがいの事をしたり、弓の引き方も知らない武士が、さも仏の道に通じているような顔をして連歌や音楽を嗜む。そんな事は、怠けている自分の本業よりも、より一層バカにされるだろう。

 宗教家に限ったことではない。政治家や公家、上流階級の者まで、取り憑かれたように戦闘的な人が多い。しかし、例え百戦錬磨であっても、その勇気を称える人はいないだろう。なぜなら、ラッキーな事が重なって敵をバタバタと薙ぎ倒している最中は、勇者という言葉さえ出てこない。武器を使い果たし、矢が尽きても、最後まで降参することなく、気持ちよく死んだ後に、初めて勇者の称号が与えられるからだ。生きている人間は、戦闘力を誇ってはならない。戦闘とは、人間のやるべき事ではなく、イーグルやライオンがやる事である。武術の後継者以外、好き好んで特訓しても意味がない。

原文

 人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ(このめる。法師は、(つはものの道を(て、(えびすは、弓ひく(すべ知らず、仏法(ぶつぽふ知りたる気色(きそくし、連歌(れんがし、管絃(くわんげん(たしな(へり。されど、おろかなる(おのれれが道よりは、なほ、人に思ひ(あなづられぬべし。

 法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ殿上人(てんじやうびと(かみざままで、おしなべて、武を(このむ人多かり。百度(ももたび戦ひて百度(ももたび勝つとも、未だ、武勇(ぶようの名を定め難し。その(ゆゑは、運に乗じて敵を(くだく時、勇者にあらずといふ人なし。(つはもの(き、矢(きはまりて、つひに敵に(くだらず、死をやすくして後、初めて名を顕はすべき道なり。(けらんほどは、武に(ほこるべからず。人倫(じんりんに遠く、禽獣(きんじうに近き振舞(ふるまひ、その家にあらずは、好みて益なきことなり。

注釈

 (つはもの

  武道、武術のこと。

 (えびす

  関東の武士のこと。

 連歌(れんが

  短歌の五七五と七七の句を交互に作っていく遊び。

 上達部(かんだちめ

  三位以上、参議以上の公卿のこと。

 殿上人(てんじやうびと

  清涼殿、殿上の間に上ることを許された四位、五位の蔵人。

 (かみざま

  下ざまの反意語。上流階級のこと。

 百度(ももたび戦ひて百度(ももたび勝つとも

  戦う度に、全勝しても。「其ノ故ニ、百戦・百勝スルハ、善ノ善ナルモノニ非ルナリ。戦ハズシテ、人ノ兵ヲ屈スルハ、善ノ善ナルモノナリ」と『孫子』にある。

 (つはもの(き、矢(きはまりて

  武器が尽きて、矢が尽きても。「兵尽キ、矢窮リテ、人、尺鉄無キモ、猶、(また徒首奮呼(としゆふんこシ、争ヒテ先登ヲ為ス」と『文選』にある。

 人倫(じんりん

  人類、人間のこと。

徒然草 第七十九段

現代語訳

 何事に関しても素人のふりをしていれば良い。知識人であれば、自分の専門だからと言って得意げな顔で語り出すことはない。中途半端な田舎者に限って、全ての方面において、何でもかんでも知ったかぶりをする。聞けば、こちらが恥ずかしくなるような話しぶりだが、彼等は自分の事を「偉い」と思っているから、余計にたちが悪い。

 自分が詳しい分野の事は、用心して語らず、相手から何か質問されるまでは黙っているに越したことはない。

原文

 何事も(りたゝぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎(かたゐなかよりさし出でたる人こそ、(よろづの道に心(たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に(づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。

 よくわきまへたる道には、必ず口重(くちおもく、(はぬ限りは(はぬこそ、いみじけれ。

注釈

 片田舎(かたゐなか

  京都郊外の田舎のことを指す。

徒然草 第七十八段

現代語訳

 流行の最先端を追いかけ、珍しい物の宣伝をし、有り難がるのも、また嫌なこった。流行が廃れるまで知らない方が格好良い。

 不慣れな人がいる際に、現場の人間には馴染みの作業や物の名前を、知っている者同士が通称で呼び、目配せをして笑い合い、その意味がわからない者を不安な気持ちにさせるのは、世の中の仕組みが分かっていないバカタレがやりそうなことである。

原文

 今様(いまやうの事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。

 いまさらの人などのある時、こゝもとに言ひつけたることぐさ、(ものの名など、心(たるどち、片端言ひ(かはし、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心(ず思はする事、世(れず、よからぬ人の必ずある事なり。

注釈

 今様(いまやう

  今時の。現代風なこと。

徒然草 第七十七段

現代語訳

 世間で当時の人のブームになった事を話題にしたり、知らなくても良いような分際にも関わらず岡目八目に内情を熟知していて、人に喋り散らしたり質問攻めにしたりするのは、頭に来る。特に田舎の坊さんに至っては、世間のゴシップに詳しく、自分の身辺の様に調査して、「なんで、何でお前がそんなことを知っているのだ」と軽蔑されるぐらいの勢いで暴露するようだ。

原文

 世の中に、その(ころ、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内(あない知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほとりなる(ひじり法師(ほふしなどぞ、世の人の上は、我が(ごとく(たづね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。

注釈

 もてあつかひぐさ

  噂になったこと。評判になった話題。