徒然草

徒然草 第百三十三段

現代語訳

 天皇の寝床は東枕である。当然だが、東に向けた顔に朝日を浴びて目覚めると気分がよい。孔子も東枕をした。だから寝床の間取りは東枕か南枕にするのが一般的だ。白河上皇は北枕で眠った。「北枕は縁起が悪く、南向きの伊勢神宮に足を向けて眠るのはいかがな事でしょうか?」と、ある人がケチをつけたそうだ。だが、伊勢神宮の神殿は南東向きで、南ではない。

原文

 (よる御殿(おとどは、東御枕(ひがしみまくらなり。大方(おほかた、東を枕として陽気を(くべき(ゆゑに、孔子も東首(とうしゆし給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院は、北首(ほくしゆ御寝(ぎよしんなりけり。「北は(む事なり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方(おんかた御跡(おんあとにせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拝(えうはいは、(たつみ(むかはせ給ふ。南にはあらず。

注釈

 (よる御殿(おとど

  清涼殿の天皇の寝室。

 東御枕

  「夜御殿ハ、四方ニ妻戸アリ。南ノ大妻戸ハ、一間ナリ。御帳ハ、清涼殿ト同ジク、東枕ナリ」と、『禁秘抄』にある。

 元良親王(もとよしのしんわう

  陽成天皇の第一子。歌人で『元良親王集』がある。

 孔子も東首(とうしゆ

  「(やまひアルニ、君、之ヲ視レバ、東首ニシテ、朝服ヲ加ヘ、紳ヲ(ク」と『論語』にある。

 白河院

  白河上皇のこと。

徒然草 第百三十二段

現代語訳

 鳥羽新街道は鳥羽宮殿が造営された後につけられた呼び方ではない。昔からある名前なのだ。「元良親王が一般参賀で演説した声が透き通るようで、高台の上から鳥羽新街道まで聞こえ届いた」と、鳥羽宮殿が造営される前に記された、重明親王の日記に書いてあったらしい。

原文

 鳥羽(とば作道(つくりみちは、鳥羽殿(とばどの建てられて後の(にはあらず。昔よりの名なり。元良親王(もとよしのしんわう元日(ぐわんにち奏賀(そうがの声、(はなはだ殊勝にして、大極殿(だいこくでんより鳥羽の作道まで聞えけるよし、李部王(りほうわうの記に(はべるとかや。

注釈

 鳥羽(とば作道(つくりみち

  九条の四ツ塚から上鳥羽、下鳥羽への道。

 鳥羽殿(とばどの

  白河天皇が造営した御所。

 元良親王(もとよしのしんわう

  陽成天皇の第一子。歌人で『元良親王集』がある。

 大極殿(だいこくでん

  天皇が下界を見下ろす高台。

 李部王(りほうわう

  醍醐天皇の皇子で、式部卿重明親王。

徒然草 第百三十一段

現代語訳

 貧乏人は、金を貢ぐのを愛情表現だと思い、老いぼれは、肉体労働の役務が社会貢献だと思っている。そう思うのは身の程知らずでしかない。自分の限界を知って、出来ないことはやらないことだ。それが許されないのなら、許さない人の頭が狂っている。身の程知らずにもリミッターを解除したら、自分の頭が狂っている証拠だ。

 貧乏人が見栄を張れば泥棒になるしかなく、老人が土木作業をやり続ければ病気で死ぬのが世の常である。

原文

 
 貧しき者は、(たからをもッて礼とし、老いたる者は、(ちからをもッて礼とす。己が(ぶんを知りて、及ばざる時は(すみかに(むを、智といふべし。(ゆるさざらんは、人の(あやまりなり。分を知らずして(ひて(はげむは、己れが誤りなり。
 貧しくして(ぶんを知らざれば(ぬすみ、力(おとろへて分を知らざれば病を受く。

徒然草 第百三十段

現代語訳

 人間は争うことなく、自分の主張を曲げてでも人の主張を受け入れ、自分を後回しにしてでも他人を優先するのが何よりである。

 世間に数多ある遊び事の中でも勝負事が好きな人は、勝利の悦楽に浸りたいからするのである。自分の能力が相手より優れているのが、たまらなく嬉しいのだ。だから負けた時の虚しさも身に染みるほど知っている。だからといって自ら進んで敗北を選び相手を喜ばせたとしたら、とても虚しい八百長だ。相手に悔しい気持ちをさせて楽しむのは、単なる背徳でしかない。仲間同士の戯れ合い勝負でも、本質は友を罠にはめて自分の知能指数を確認するのだから、かなり無礼である。ケチくさい宴会の与太話から始まって、仕舞いには大喧嘩になることがよくあるではないか。これは全部、戦闘的な心が行き着く終着駅なのだ。

 他人に勝ちたいのなら、脇目も振らず勉強をして知識で勝てば良い。しっかり勉強して世の中の仕組みが理解できれば利口ぶることもなく、仲間と争っても馬鹿馬鹿しいだけだと思うだろう。名誉ある閣僚入りを辞退し、権利収入を放棄する心が働くのは、ひとえに学問のなせる技なのである。

原文

 物に争はず、己れを(げて人に従ひ、我が身を(のちにして、人を先にするには及かず。

 万の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらんためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。されば、負けて興なく覚ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、更に遊びの興なかるべし。人に本意(ほいなく思はせて我が心を(なぐさまん事、徳に(そむけり。睦しき中に(たはぶるゝも、人に計り欺きて、己れが智のまさりたる事を興とす。これまた、礼にあらず。されば、始め興宴(きようえんより起りて、長き恨みを結ぶ(たぐい多し。これみな、(あらそひを(この(しつなり。

 人にまさらん事を思はば、たゞ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。道を学ぶとならば、善に(ほこらず、輩に争ふべからずといふ事を知るべき(ゆゑなり。大きなる職をも辞し、利をも(つるは、たゞ、学問の力なり。

徒然草 第百二十九段

現代語訳

 孔子の一番弟子、顔回は他人に面倒をかけないことをモットーとした。どんな場面でも、人に嫌な思いをさせ、非道い仕打ちを与えてはならず、貧乏人から希望を奪う事は許されない。しかし、子供に嘘をつき、いたぶり、からかって気晴らしをする人がいる。相手が大人なら冗談で済むが、子供心にはトラウマになり、怖さと恥ずかしさで壊れそうになってしまう。いたい気な子供をいたぶって喜ぶのは、真っ当な大人のすることではない。喜怒哀楽はドーナツの穴のように実態がないが、大人になっても心に迷いがあるではないか。

 身体を傷つけるよりも、心を傷つける方がダメージが大きい。多くの病気は、心が駄目になると発症する。外から感染する病気は少ない。ドーピングで発汗しないことがあっても、恥に赤面したり、恐怖にちびりそうになると必ず汗がダラダラと流れ出す。だから、心の作用だとわかるはずだ。楼閣の高所で文字を書いた書道家が、骨の髄まで灰になった例も、なきにしもあらずだ。

原文

 顔回(がんかいは、志、人に労を施さじとなり。すべて、人を(くるしめ、物を(しへたぐる事、(いやしき民の志をも(うばふべからず。また、いときなき子を(すかし、(おどし、言ひ恥かしめて、興ずる事あり。おとなしき人は、まことならねば、事にもあらず思へど、(をさなき心には、身に沁みて、(おそろしく、(づかしく、あさましき思ひ、まことに(せつなるべし。これを(なやまして興ずる事、慈悲(じひの心にあらず。おとなしき人の、喜び、怒り、哀しび、楽しぶも、皆虚妄(こまうなれども、誰か実有(じつう(そう(ちやくせざる。

 身をやぶるよりも、心を(いたましむるは、人を(そこなふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。(ほかより(きたる病は少し。薬を飲みて汗を求むるには、(しるしなきことあれども、一旦(いつたん恥ぢ、恐るゝことあれば、必ず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲(りよううんの額を書きて白頭(はくとうの人と成りし例、なきにあらず。

注釈

 顔回(がんかい

  孔子の一番弟子。目医者ではない。孔門十哲の一人。

徒然草 第百二十八段

現代語訳

 大納言雅房は博学で身分の高い人格者だったので、亀山法皇が「大将にでもさせてやろう」と思っていた矢先のことである。法皇の取り巻きが、「今、とんでもないものを見てしまいました」と報告した。法皇が「何を見たのだ?」と問い詰めると、「雅房の奴が鷹にエサをやるのだと、生きている犬の足を切断しているのを垣根の隙間から覗いてしまったのです」と答えた。法皇は気味悪さに嫌気がさした。そして、雅房の日頃の評判も失墜し、出世コースから弾き出されることになった。これほどの人格者が鷹をペットにしていたのは意外であるが、犬の足の話はデマだったそうだ。冤罪は気の毒であるが、この話を聞いて嫌気がさした法皇のハートは腐っていなかった。

 どんな場合でも、動物を殺したり、いたぶったり、格闘させて喜んでいる輩は人間でなく、畜生がお互いに噛み殺し合っているのと同類だ。生きとし生けるもの全て、鳥や獣、虫けらまでも、よく観察してみると、子を想い、親を慕い、夫婦で寄り添い、嫉妬し合い、逆上し、欲張り、防衛本能が働いている健気な姿は、単純な脳味噌なだけに、人間よりもずっと素直である。そんな動物を、いたぶり殺しても平気だとすれば異常でしかない。

 全ての心ある動物を見て優しい気持ちになれないとしたら、人間ではない。

原文

 雅房(まさふさの大納言は、(ざえ賢く、よき人にて、大将(だいしやうにもなさばやと思しける比、(ゐん近習(きんじふなる人、「たゞ今、あさましき事を((はべりつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿(まさふさのきやう(たかに飼はんとて、生きたる犬の足を(り侍りつるを、中墻(なかがきの穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎く(おぼしめして、日来(ひごろの御気色も(たがひ、昇進もし給はざりけり。さばかりの人、鷹を(たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり。虚言(そらごと不便(ふびんなれども、かゝる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと(たふとき事なり。

 大方、生ける物を殺し、(いため、(たたかはしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害(ちくしやうざんがい(たぐひなり。万の鳥獣、小さき虫までも、心をとめて有様を見るに、子を思ひ、親をなつかしくし、夫婦を伴ひ、(ねたみ、怒り、欲多く、身を愛し、命を惜しめること、偏へに愚痴(ぐちなる(ゆゑに、人よりもまさりて(はなはだし。彼に苦しみを与へ、命を奪はん事、いかでかいたましからざらん。

 すべて、一切の有情(うじやうを見て、慈悲(じひの心なからんは、人倫(じんりんにあらず。

注釈

 雅房(まさふさの大納言

  土御門(源)雅房。

 (ゐん

  亀山法皇のこと。

徒然草 第百二十七段

現代語訳

 直してもどうにもならないものは、ぶっ壊した方がよい。

原文

 (あらためて(やくなき事は、改めぬをよしとするなり。

徒然草 第百二十六段

現代語訳

 「ギャンブルで負け続け、すっかり仕上がって、全財産をぶち込もうとする相手を挑発してはならない。振り出しに戻って、連勝するチャンスが相手にやってきたと察知すべきだ。この瞬間を感じ取るのが伝説のギャンブラーというものである」と、ある人が言っていた。

原文

 「ばくちの、負(きはまりて、残りなく((れんとせんにあひては、打つべからず。((かへり、(つづけて勝つべき時の(いたれると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、(ある者申しき。

徒然草 第百二十五段

現代語訳

 人に先立たれ、中陰最後の法事をした時の話である。ある聖職者を呼ぶと、説法が有り難く、一同、涙を流して感動した。聖職者が帰ると聴衆は、「今日の説法は格別に有り難く、感動しました」と、思うままに話し合った。すると誰かが、「何と言っても、あれ程まで狛犬に似ていらっしゃいましたから」と言うものだから、感動も吹っ飛んでしまい、皆で笑い転げた。こんな坊さんの誉め方があるものか。

 別の話に、「人に酒を飲ますと言って、自ら先に飲み、人に無理矢理飲ませる行為は、諸刃の剣で人を斬るのと似たようなものだ。両側に刃が付いているから、振りかぶると自分の頭を切る羽目になり、相手を斬りつける場合ではなくなる。自分が先に酔って倒れたら、相手は酒を飲む気も失せるだろう」と言う人がいた。剣で人を斬る実験でもした事があるのだろうか? 非常に面白い話であった。

原文

 人におくれて、四十九日の仏事に、(ある(ひじり(しやうじ侍りしに、説法(せつぽふいみじくして、皆人涙を流しけり。導師(だうし帰りて後、聴聞(ちやうもんの人ども、「いつよりも、殊に今日は(たふとく覚え(はべりつる」と感じ合へりし返事(かへりことに、或者の云はく、「何とも(さうらへ、あれほど(から(いぬに似候ひなん上は」と言ひたりしに、あはれも(めて、をかしかりけり。さる、導師の讃めやうやはあるべき。

 また、「人に酒(すすむるとて、(おのれ(づたべて、人に(ひ奉らんとするは、(けんにて人を(らんとするに似たる事なり。二方(ふたかたに刃つきたるものなれば、もたぐる時、先づ我が頭を(る故に、人をばえ斬らぬなり。己れ先づ(ひて(しなば、人はよも(さじ」と申しき。(けんにて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

注釈

 四十九日の仏事

  中陰の最後の日の法事。

 導師(だうし

  法事の際、リーダとなり儀式を取り仕切る僧侶。ここでは(ある(ひじり

徒然草 第百二十四段

現代語訳

 是法法師は浄土宗の僧侶の中でも一目置かれる存在でありながら、学者ぶったりせず、一心不乱に念仏を唱えていて、心が平和だった。理想的な姿である。

原文

 是法(ぜほふ法師は、浄土宗に恥ぢずといへども、学匠(がくしやうを立てず、たゞ、明暮(あけくれ念仏して、安らかに世を過す有様、いとあらまほし。

注釈

 是法(ぜほふ法師

  『徒然草』が執筆された時代の僧で歌人。

 浄土宗

  法然上人(第三十九段参照)を宗祖とする宗教。