徒然草

徒然草 第百十三段

現代語訳

 四十過ぎのおっさんが、恋の泥沼に填って、こっそりと胸に秘めているのなら仕方がない。でも、わざわざ口に出して、男女のアフェアや、他人の噂を喜んで話しているのは嫌らしく、気色が悪い。

 ありがちな聞くに忍びなく見苦しいことと言えば、年寄りが青二才に分け入ってウケ狙いの物語をすること。有象無象の人間が、著名人を友達のように語ること。貧乏人の分際で宴会を好み、客を呼んでリッチなパーティをすること。

原文

 四十(よそぢにも余りぬる人の、色めきたる(かた、おのづから忍びてあらんは、いかゞはせん、(ことに打ち出でて、男・女の事、人の上をも言ひ戯るゝこそ、にげなく、見苦しけれ。

 大方、聞きにくゝ、見苦しき事、老人の、若き人に(まじはりて、興あらんと物言ひゐたる。数ならぬ身にて、世の覚えある人を隔てなきさまに言ひたる。貧しき所に、酒宴好み、客人(まれびと饗応(あるじせんときらめきたる。

徒然草 第百十二段

現代語訳

 明日、遠い場所へ旅立とうとしている人に、腰を据えなければ出来ないことを、誰が言いつけるだろうか。突然の緊急事態の対処に追われている人や、不幸に嘆き悲しむしかない人は、自分のことで精一杯で、他人の不幸事や祝い事を見舞うこともないだろう。見舞わないからと言って「薄情な奴だ」と恨む人もいない。得てして、老人や寝たきりの人、ましてや世捨てのアナーキストは、これと同じである。

 世間の儀式は、どんなことでも不義理にはできない。世間体もあるからと、知らないふりをするわけにも訳にいかず、「これだけはやっておこう」と言っているうちに、やることが増えるだけで、体にも負担がかかり、心に余裕が無くなり、一生を雑務や義理立てに使い果たし無意味な人生の幕を閉じることになる。既に日暮れでも道のりは遠い。人生は思い通りに行かず、既に破綻していたりする。もう、いざという時が過ぎてしまったら、全てを捨てる良い機会だ。仁義を守ることなく、礼儀を考える必要もない。世捨てのやけっぱちの神髄を知らない人から「狂っている」と言われようとも「変態」と呼ばれようとも「血が通っていない」となじられようとも、言いたいように言わせておけばよい。万が一、褒められることがあっても、もはや聞く耳さえなくなっている。

原文

 明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心(しづかになすべからんわざをば、人言ひかけてんや。(にはかの大事をも(いとなみ、(せちに歎く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の(うれへ・喜びをも問はず。問はずとて、などやと恨むる人もなし。されば、年もやうやう闌け、病にもまつはれ、(いはんや世をも(のがれたらん人、また、これに同じかるべし。

 人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の(もだし難きに(したがひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の(いとまもなく、一生は、雑事(ざふじの小節にさへられて、(むなしく暮れなん。日暮れ、(みち遠し。吾が(しやう既に蹉蛇(さだたり。諸縁を放下(はうげすべき時なり。信をも(まぼらじ。礼儀をも思はじ。この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。(そしるとも(くるしまじ。(むとも聞き入れじ。

注釈

 蹉蛇(さだ

  二字とも「つまづく」という意味で、思い通りに物事が進まないこと。

徒然草 第百十一段

現代語訳

 「囲碁、双六を好み、朝から晩まで遊びほうけている人は、強姦、窃盗、殺人、詐欺といった犯罪や、親殺し、恩人殺し、背任、聖職者の傷害といった反逆よりも重い罪を犯している」という、ある聖人の言葉が今でも忘れられず、ありがたく思える。

原文

 「囲碁(ゐご双六(すごろく好みて明かし暮らす人は、四重(しぢゆう五逆(ごぎやくにもまされる悪事とぞ思ふ」と、(あるひじりの申しし事、耳に止まりて、いみじく(おぼ(はべり。

注釈

 双六(すごろく

  十二本の線を引いた盤上で白黒十二個の石を置き、二つのサイコロを振って出た数だけ石を動かす二人でする遊び。

徒然草 第百十段

現代語訳

 双六の名人と呼ばれている人に、その必勝法を聞いてみたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けてはならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をしたら、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、たとえ一マスでも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」と答えた。

 その道を極めた人の言うことであって、研究者や政治家の生業にも通じる。

原文

 双六(すごろく上手(じやうずといひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目(ひとめなりともおそく(くべき手につくべし」と言ふ。

 道を知れる(をしへ、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。

注釈

 双六(すごろく

  十二本の線を引いた盤上で白黒十二個の石を置き、二つのサイコロを振って出た数だけ石を動かす二人でする遊び。

徒然草 第百九段

現代語訳

 木登りの名人と呼ばれている男が、弟子を高い木に登らせて小枝を切り落としていた。弟子が危ない場所にいる時には何も言わず、軒先まで降りてきた時に、「怪我をしないように気をつけて降りて来い」と声をかけた。「こんな高さなら飛び降りても平気ではないか。なぜ今更そのようなことを言うのか?」と問わば、「そこがポイントです。目眩がするくらい危ない枝に立っていれば、怖くて自分で気をつけるでしょう。だから何も言う必要はありません。事故は安全な場所で気が緩んだ時こそ起こるのです」と答えた。

 たいした身分の親父ではないが、教科書に掲載できそうな内容だ。バレーボールのラリーなどでも、難しい球をレシーブした後に、気が緩んで必ず球を落とすらしい。

原文

 高名(かうみやうの木登りといひし(をのこ、人を(おきてて、(たかき木に登せて、(こずゑを切らせしに、いと(あやふく見えしほどは言ふ事もなくて、(るゝ時に、軒長(のきたけばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ(はべりしを、「かばかりになりては、飛び(るとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝危きほどは、己れが恐れ侍れば、申さず。あやまちは、安き所に成りて、必ず(つかまつる事に候ふ」と言ふ。

 あやしき下臈(げらふなれども、聖人の(いましめにかなへり。(まりも、(かたき所を((いだして後、(やすく思へば必ず落つと侍るやらん。

注釈

 あやしき下臈(げらふ

  身分の低い下賤の者。

 (まり

  蹴鞠。数人の者が鞠を蹴り上げ地面に落とさないようにする。

徒然草 第百八段

現代語訳

 一瞬の時間を「勿体ない」と思う人はいない。「一瞬を惜しむことすら意味がないことだ」と悟りきっているからだろうか。それとも単に馬鹿なだけだろうか。馬鹿で、時間を浪費している人のために敢えて言おう。一円玉はアルミニウムだが、積もって山となれば貧乏人を富豪にする。だから商人はケチなのだ。瞬間を感じるのは困難であるが、瞬間の連続の果てには、命の終焉があり、あっという間に訪れる。

 だから修行者は長い単位で月日を惜しんでいる場合ではない。この瞬間が枯れ葉のように飛び去ることを惜しみなさい。もし、死神がやってきて「お前の命は明日終わる。残念だったな」と宣告したら、今日という日が終わるまで、自分が何を求め、何を思うか考えよう。今、生きている今日が、人生最後の日ではないという保証はない。その貴重な一日は、食事、排泄、昼寝、会話、移動と退っ引きならない理由で浪費されるのだ。残ったわずかな時間を、無意味に行動し、無意味に語り、無意味に妄想して、無駄に過ごし、そのまま一日を消し去り、ひと月を貫通し、一生を使い切ったとすれば、それは、阿呆の一生でしかない。

 中国の詩人、謝霊運は、法華経の翻訳を速記するほどの人物だったが、いつでも心の空に雲を浮かべて詩ばかり書いていたから、師匠の恵遠は仲間達と念仏を唱えることを許さなかった。時間を無駄にして浮かれているのなら、何ら死体と変わらない。なぜ瞬間を惜しむのかと言えば、心の迷いを捨て、世間との軋轢がない状況で、何もしたくない人は何もせず、修行したい人は修行を続けるという境地に達するためだ。

原文

 寸陰(しむ人なし。これ、よく知れるか、(おろかなるか。愚かにして(おこたる人のために言はば、一銭(かろしと言へども、これを(かさぬれば、(まづしき人を(める人となす。されば、商人(あきびとの、一銭を(しむ心、(せつなり。刹那(せつな(おぼえずといへども、これを(はこびて(まざれば、命を(ふる((たちまちに至る。

 されば、道人(だうにんは、遠く日月(にちぐわつ(しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぐる事を(しむべし。もし、人(きたりて、我が命、明日(あすは必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか(たのみ、何事をか(いとなまん。我等が(ける今日(けふの日、(なんぞ、その時節に(ことならん。一日のうちに、飲食(おんじき・便利・睡眠(すいめん言語(ごんご行歩(ぎやうぶ、止む事を(え/ずして、多くの時を(うしなふ。その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益(むやくの事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆいして時を移すのみならず、日を消し、月を(わたりて、一生を送る、(もつと(おろかなり。

 謝霊運(しやれいうんは、法華(ほつけ筆受(ひつじゆなりしかども、心、常に風雲の思を(くわんぜしかば恵遠(ゑをん百蓮(びやくれん(まじりを許さざりき。暫くもこれなき時は、死人に同じ。光陰何のためにか(しむとならば、内に思慮なく、(ほか世事(せいじなくして、(まん人は止み、(しゆせん人は修せよとなり。

注釈

 道人(だうにん

  仏道修行者のこと。

 謝霊運(しやれいうん

  中国の六朝時代の詩人。

 法華(ほつけ筆受(ひつじゆ

  サンスクリット語の法華経を漢文に翻訳する際に筆記する役人。

 恵遠(ゑをん

  東晋の高僧。中国浄土教の開祖としてしられる。

 安喜門院(あんきもんゐん

  後堀河天皇の后で、藤原有子。師教の祖母の姉に当たる。

 百蓮(びやくれん

  恵遠が提唱した念仏修行集団の百蓮社。「時二、遠公(恵遠)諸賢ト同ジク浄土教ヲ修ス。(リテ、百蓮社ト号ス。霊運、嘗テ、社ニ入ランコトヲ求ム。遠公、其ノ心ノ雑ナルヲ以テ、之ヲ止ム」と『仏祖統記』にある。

徒然草 第百七段

現代語訳

 「突然の女の質問を、優雅に答える男は滅多にいない」らしいので、亀山天皇の時代に、女達は男をからかっていた。いたい気な若い男が来るたびに、「ホトトギスの声は、もうお聴きになって?」と質問し、相手の格付けをした。のちに大納言になった何とかという男は、「虫けらのような私の身分では、ホトトギスの美声を聞く境遇にありません」と答えた。堀川の内大臣は、「山城国の岩倉あたりでケキョケキョ鳴いているのを聞いた気がします」と答えた。女達は「内大臣は当たり障りのない答え方で、虫けらのような身分とは、透かした答え方だわ」などと、格付けるのであった。

 いつでも男は、女に馬鹿にされないよう教育を受けなければならない。「関白の九条師教は、ご幼少の頃から皇后陛下に教育されていたので、話す言葉もたいしたものだ」と、人々は褒め称えた。西園寺実雄左大臣は、「平民の女の子に見られるだけで心拍数が上昇するので、お洒落は欠かせない」と言ったそうである。もしもこの世に女がいなかったら、男の衣装や小道具などは、誰も気にしなくなるだろう。

 「これほど男を狂わせる女とは、なんと素敵な存在だろう」と思いがちだが、女の正体は歪んでいる。自分勝手で欲深く、世の中の仕組みを理解していない。メルヘンの世界の住人で、きれい事ばかり言う。そして都合が悪くなると黙る。謙虚なのかと思えば、そうでもなく、聞いてもいないのに下らないことを話し始める。綺麗に化粧をして化けるから、男の洞察力を超越しているのかと思えば、そんなこともなく、化けの皮が剥がれても気がつかない。素直でなく、実は何も考えていないのが女なのだ。そんな女心に惑わされ、「女に良く見られたい」と考えるのは、涙ぐましくもある。だから女に引け目を感じる必要はない。仮に、賢い女がいたとしよう。近付き難さに恋心も芽生えないだろう。恋とは女心に振り回されて、ときめくことを楽しむものなのである。

原文

 「女の物言ひかけたる返事(かへりごと、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども(わかき男達の(まゐらるる(ごとに、「郭公(ほととぎすや聞き給へる」と問ひて心見られけるに、(なにがし大納言(だいなごんとかやは、「数ならぬ身は、え((さうらはず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉(いはくらにて聞きて候ひしやらん」と(おほせられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め(はれけり。

 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺(じやうどじの前関白殿(さきのくわんぱくどのは、幼くて、安喜門院(あんきもんゐんのよく(をし(まゐらせさせ給ひける故に、御詞(おんことばなどのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階(やましなの左大臣殿は、「あやしの下女(げぢよの身奉るも、いと(づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ(おほせられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん(かうぶりも、いかにもあれ、ひきつくろふ人も(はべらじ。

 かく人に(ぢらるゝ女、如何(いかばかりいみじきものぞと思ふに、女の(しやうは皆ひがめり。人我(にんが(さう深く、貧欲(とんよく(はなはだしく、物の(ことわりを知らず。たゞ、(まよひの(かたに心も速く移り、(ことば(たくみに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで(はず(がたりに言ひ(だす。深くたばかり飾れる事は、(をとこ智恵(ちゑにもまさりたるかと思えば、その事、(あとより(あらはるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に(したがひてよく思はれん事は、心(かるべし。されば、何かは女の(づかしからん。もし賢女(けんぢよあらば、それもものうとく、すさまじかりなん。たゞ、(まよひを(あるじとしてかれに(したがふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

注釈

 亀山院の御時

  亀山天皇が在位の期間で、一二五九年から一二七四年までの間。

 堀川内大臣殿

  源具守(みなもとのとものり。第九十九段に登場する「堀川相国」の子。

 岩倉(いはくら

  山城国愛宕郡上賀茂を指す。源具守の山荘があった。

 浄土寺(じやうどじの前関白殿(さきのくわんぱくどの

  九条師教(くじょうもろのり。関白。

 安喜門院(あんきもんゐん

  後堀河天皇の后で、藤原有子。師教の祖母の姉に当たる。

 山階(やましなの左大臣殿

  西園寺実雄。左大臣で第八十三段の「洞院左大臣」の祖父に当たる。

徒然草 第百六段

現代語訳

 高野山の証空上人が上京する時、小道で馬に乗った女とすれ違った。女の乗る馬を引く男が手元を狂わせて上人の乗っている馬をドブ川に填めてしまった。

 上人は逆上して「この乱暴者め。仏の弟子には四つの階級がある。出家した男僧より、出家した尼は劣り、在家信者の男はそれにも劣る。在家信者の女に至ってはそれ以下だ。貴様のような在家信者の女ごときが、高僧である私をドブ川に蹴落とすとは死刑に値する」と言ったので、僧侶の階級に興味のない馬引きの男は、「何を言っているんだか、さっぱり分からない」と呟いた。上人はさらに逆上し、「何を抜かすか、このたわけ!」と沸点に達したが、罵倒が過ぎたと我に返り、恥ずかしさに馬を引き返して逃げた。

 こんな口論は滅多に見られるものではない。

原文

 高野(かうや証空上人(しようくうしやうにん、京へ上りけるに、細道(ほそみちにて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、(ひじりの馬を堀へ落してンげり。

 聖、いと腹悪(はらあしくとがめて、「こは希有(けう狼藉(らうぜきかな。四部(しぶの弟子はよな、比丘(びくよりは比丘尼(びくにに劣り、比丘尼より優婆塞(うばそくは劣り、優婆塞より優婆夷(うばいは劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入(けいれさする、未曾有(みぞうう悪行(あくぎやうなり」と言はれければ、口曳きの男、「いかに仰せらるゝやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人(しやうにん、なほいきまきて、「何と言ふぞ、非修非学(ひしゆひがくの男」とあらゝかに言ひて、(きはまりなき放言(はうごんしつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

 (たふとかりけるいさかひなるべし。

注釈

 高野(かうや証空上人(しようくうしやうにん

  高野山の金剛峯寺の上人で、伝未詳。

 四部(しぶの弟子

  仏弟子の四種の区別。

 比丘(びく

  出家して具足戒を受けた男性の僧。

 比丘尼(びくに

  出家して具足戒を受けた女性の僧。

 優婆塞(うばそく

  五戒を受けて仏門に帰した男性の在家信者。

 優婆夷(うばい

  五戒を受けて仏門に帰した女性の在家信者。

徒然草 第百五段

現代語訳

 陽が当たらない北向きの屋根に残雪が凍っている。その下に停車する牛車の取っ手にも霜が降り、きらりきらりと輝く。明け方の月が頼りなさそうに光り、時折雲隠れしている。人目を離れたお堂の廊下で、かなりの身分と思われる男が、女を誘って柵に腰掛け語り合っている。何を話しているのだろうか。話は終わりそうもない。

 女の顔かたちが美しく光り、たまらなく良い香りをばらまいている。聞こえる話し声が時々フェードアウトしていくのが、くすぐったい。

原文

 北の屋蔭に消え残りたる雪の、いたう(こほりたるに、さし(せたる車の(ながえも、霜いたくきらめきて、有明の月、さやかなれども、(くまなくはあらぬに、人(ばなれなる御堂(みだう(らうに、なみなみにはあらずと見ゆる(をとこ、女となげしに(しりかけて、物語するさまこそ、何事かあらん、(きすまじけれ。

 かぶし・かたちなどいとよしと見えて、えもいはぬ(にほひのさと(かをりたるこそ、をかしけれ。けはひなど、はつれつれ聞こえたるも、ゆかし。

注釈

 車の(ながえ

  車に牛をつなぐために長くした二本の棒。

 御堂(みだう

  邸宅の仏壇を置く場所。

徒然草 第百四段

現代語訳

 人里離れた僻地の荒廃した家に、世間から離れて暮らさなければならない境遇の女がいて、退屈に身を任せたまま引き籠もっていた。ある男が、お見舞いをしようと思って、頼りなさそうに月が浮かぶ夜、こっそりと訪問した。犬が世界の終わりを告げるよう吠えるものだから、召使いの女が出てきて「どちら様でしょうか?」と聞く。男は、そのまま案内を受けて中に入った。淋しい様子で、男が「どんな生活をしているのだろう」と思えば胸が苦しくなる。放心したまま崩壊しそうな廊下にしばらく立っていると、若々しさの中に落ち着きのある声がして「こちらにどうぞ」と言うので、小さな引き戸を開けて中に入った。

 しかし、家の中までは荒れ果ててはいなかった。遠慮がちにオレンジ色の炎が奥の方でゆらゆらと揺れている。家具も女性らしく、焚いたばかりではない香が、わざとらしくなく空気と溶け合いノスタルジーを誘った。召使いの女が「門はきちんと閉めて下さい。雨が降るかもしれないから車は門の下に停めて、お供の方々はあちらでお休み下さい」と言う。男の家来が「今日は雨風を凌いで夢を見られそうだ」と内緒話をしても、この家では筒抜けになってしまう。

 そうして、男と女が世間のことなどを色々と話しているうちに、夜空の下で一番鶏が鳴いた。それでも、過ぎた過去や、幻の未来について甲斐甲斐しく話し込んでいると、鶏が晴れ晴れしく鳴くものだから、「そろそろ夜明けだろうか?」と思うのだが、暗闇を急いで帰る必要もないので、しばらくまどろむ。すると、引き戸の隙間から光が差し込んでくる。男が女に気の利いたことでも言って帰ろうとすれば、梢も庭も、辺り一面が青く光っていた。その、つやつやと光る四月の明け方を、今でも想い出してしまうから、男がこの辺りを通り過ぎる時には、大きな桂の木が視界から消えるまで振り返って見つめ続けたそうだ。

原文

 荒れたる宿(やどの、人(なきに、女の憚る事ある比にて、つれづれと(こもり居たるを、或人、とぶらひ(たまはむとて、夕月夜(ゆふづくよのおぼつかなきほどに、(しのびて尋ねおはしたるに、犬のことごとしくとがむれば、下衆(げす女の(でて、「いづくよりぞ」といふに、やがて案内(あないせさせて、(り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで(すぐすらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷(いたじきに、暫し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所(げなる遣戸(やりどよりぞ(り給ひぬる。

 内のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ(にほひいとなつかしう住みなしたり。「(かどよくさしてよ。雨もぞ降る、御車(みくるま(かどの下に、御(ともの人はそこそこに」と言へば、「今宵(こよひぞ安き((べかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。

 さて、このほどの事ども(こまやかに(きこえ給ふに、夜深(よふかき鳥も(きぬ。((かた行末(ゆくすゑかけてまめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深(よふか(いそぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、(ひま白くなれば、(わすれ難き事など言ひて立ち(で給ふに、(こずゑも庭もめづらしく青み渡りたる卯月(うづきばかりの(あけぼの(えんにをかしかりしを(おぼ(でて、(かつらの木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

注釈

 下衆(げす

  召使いの女。

 板敷(いたじき

  板の間。

 遣戸(やりど

  左右に開ける扉。襖に似ている。