現代語訳
公安の長官であった源光忠が、新年の鬼やらいの行事を取り仕切ることになったので、公賢右大臣に進行についてアドバイスを伺ったところ、「だったら又五郎さんに聞いてみなさい」と教えられた。この又五郎というのは、年老いた警備員で、国家行事の警備に勤しんだので色々と詳しかった。
ある時、警視庁長官の近衛経忠が国家行事に参加した際に、自分が跪くための敷物を敷かずに係員を呼びつけたのを、焚き火の世話をしている又五郎が見て「まずは敷物を敷いた方が良いのでは」と、人知れず呟いた。彼もまた、とても気が利く男であった。
原文
尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。
近衛殿著陣し給ひける時、軾を忘れて、外記を召されければ、火たきて候ひけるが、「先づ、軾を召さるべくや候ふらん」と忍びやかに呟きける、いとをかしかりけり。
注釈
尹大納言光忠卿
源光忠。中央政府の風俗を取り締まり、京を警備する弾正台の長官。
追儺の上卿
追儺は、大晦日、宮中で行われた鬼やらいの行事。上卿は、儀式のリーダーで、運営する公家。平たく言うと幹事。
洞院右大臣殿
洞院公賢。右大臣。
又五郎男
伝未詳。男は、男性の従者の事。
衛士
六衛府に所属し、宮中の門番や夜に篝火を焚く警備員。
近衛殿
近衛経忠。近衛家の上首。後に関白。
軾
公事の際、庭の役人が跪く時に使う敷物。畳などを使って作り、半畳ほどの大きさにする。
外記
節会、公事の際の進行係。