現代語訳
人に突撃する牛は角を切り、人に噛みつく馬は耳を切り取って目印にする。その目印をつけないでおいて、人に怪我をさせたら飼い主の罪になる。人に噛み付く犬も飼ってはいけない。これは全て犯罪になる。法律でも禁止されているのだ。
原文
人
觝 く牛をば角 を截 り、人喰 ふ馬をば耳を截 りて、その標 とす。標を附けずして人を傷 らせぬるは、主 の咎 なり。人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。律の禁 なり。
人に突撃する牛は角を切り、人に噛みつく馬は耳を切り取って目印にする。その目印をつけないでおいて、人に怪我をさせたら飼い主の罪になる。人に噛み付く犬も飼ってはいけない。これは全て犯罪になる。法律でも禁止されているのだ。
人
觝 く牛をば角 を截 り、人喰 ふ馬をば耳を截 りて、その標 とす。標を附けずして人を傷 らせぬるは、主 の咎 なり。人喰ふ犬をば養ひ飼ふべからず。これ皆、咎あり。律の禁 なり。
藤原隆親が、鮭トバを天皇の食卓に出したことがある。「このような得体の知れない物を陛下に食べさせるつもりか」と、ケチをつける人がいた。隆親は、「鮭という魚を、差し上げてはならないのであれば問題でもあるが、鮭を乾燥させて何が悪いのだ。鮎も天日干しにして差し上げるではないか」と反論したそうだ。
四条大納言 隆親卿 、乾鮭 と言ふものを供御 に参らせられたりけるを、「かくあやしき物、参 る様 あらじ」と人の申しけるを聞きて、大納言、「鮭といふ魚 、参らぬ事にてあらんにこそあれ、鮭の白乾 し、何条 事かあらん。鮎 の白乾しは参らぬかは」と申されけり。
藤原隆親。権大納言。料理人の家系に生まれる。
鮭の内臓を取り、そのまま乾かしたもの。
「『ふれふれこ雪、たんばのこ雪』という童謡の歌詞がある。米を挽いてふるいにかけた粉が、雪に似ているから、粉雪と言うのだ。『丹波のこ雪』ではなく、『貯まれこ雪』と歌うのが正しいが、間違って『丹波の』と歌っているのだ。その後に『垣根や木の枝に』と続けて歌うのである」と、物知りな人が言っていた。
昔から、こう歌われていたようだ。鳥羽院が幼かった頃、雪が降ると歌っていたと『讃岐典侍日記』にも書いてある。
「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事、
米 搗 き篩 ひたるに似たれば、粉雪 といふ。『たンまれ粉雪』と言ふべきを、誤 りて『たんばの』とは言ふなり。『垣 や木の股 に』と謡 ふべし」と、或 物知り申しき。
昔より言ひける事にや。鳥羽院 幼くおはしまして、雪の降るにかく仰せられける由、讃岐典侍 が日記 に書きたり。
鳥羽天皇。堀河天皇の第一子。
藤原長子。歌人。堀河天皇に仕え典侍になる。堀河天皇の崩御の後、鳥羽天皇に使えた。
讃岐典侍日記。「『降れ降れこゆき』と、いはけなき御けはひにて仰せらるゝ聞こゆる。『こは誰そ。誰か子か』と思う程に、まことにさぞかし。思ふにあさましく、これを主とうち頼み参らせてさぶらはんずるかと、頼もしげなきぞあはれなる」と残している。
左義長は、正月に毬を打った棒を宮中の真言院から神泉苑に持って行き焼くことである。「修行が成功したよ」と囃すのは、神泉苑にある池で弘法大師が雨乞いに成功したことを称えているのだ。
さぎちやうは、正月に打ちたる
毬杖 を、真言院 より神泉苑 へ出して、焼き上ぐるなり。「法成就 の池にこそ」と囃 すは、神泉苑の池をいふなり。
さぎちやう
左義長・三毬杖・三毬打・三及打と当て字で書くが、意味は不明。正月の飾りなどを焼く儀式で「どんと焼き」に近い。
正月に木製バットで毬を打って遊ぶ行事で、それに使う杖。
平安京にあった道場。
平安京にあった庭園。天皇の遊覧、狩猟が催された。
中国に留学した道眼和尚は、仏教聖典を持ち帰った。六波羅の側にあるヤケノという場所に祭壇を造って保管した。特に座禅の集中講義を行ったので、その寺を「ナーランダ」と名付けた。
その上人が、「インドのナーランダの門は北向きだと、大江匡房の説が伝えられている。しかし、玄奘や法顕のルポには書かれていない。その他にも書いてある物を読んだことがない。大江匡房は、何を根拠にしたのだろうか。信用ならん。中国にある西明寺の門は、もちろん北向きだ」と言っていた。
入宋 の沙門 、道眼上人 、一切経 を持来 して、六波羅 のあたり、やけ野といふ所に安置 して、殊 に首楞厳経 を講じて、那蘭陀寺 と号 す。
その聖 の申されしは、那蘭陀寺は、大門北向きなりと、江帥 の説として言ひ伝えたれど、西域伝 ・法顕伝 などにも見えず、更に所見なし。江帥は如何なる才学にてか申されけん、おぼつかなし。唐土 の西明寺 は、北向き勿論 なり」と申しき。
中国に渡った僧。「沙門」は仏門に入った僧のこと。
元から帰国した禅僧。
六波羅探題。京都の守護、近畿地方の政治、軍事を総括した役所。
やけ野
未詳。
別名を『中印度那蘭陀大道場経』といい、禅法の基本と菩提心の取得を説く。
インドにはナーランダと言う、仏陀が悟りを開いた聖地がある。
太宰帥、大江匡房のこと。漢学者、歌人、有識者。権中納言、太宰権帥。
『大唐西域記』『大唐西域伝』『西域記』とも呼ばれ、唐代の記録書。法顕伝は、法顕による旅行記。
唐の都、長安にあった大寺。印度の祇園精舎を真似て造られた。
あるところのサムライ達が、女官の宮殿に神楽を見に行った。後日、その様子を人に話した。「宝剣を、誰彼が持っていた」と話しているのを、女官が聞いて、御簾の中から、「天皇が別宅に行く際には、御座所にある剣を持って行くのだ」と小声で言った。慎みのある教養だ。その女官は長い間、天皇に使えた人であった。
或 所の侍 ども、内侍所 の御神楽 を見て、人に語るとて、「宝剣をばその人ぞ持ち給ひつる」など言ふを聞きて、内 なる女房の中に、「別殿の行幸 には、昼御座 の御剣 にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心にくかりき。その人、古き典侍 なりけるとかや。
女官が伺候する建物。温明殿。
内侍所で毎年十二月に行われる神楽。
宝剣
三種の神器の一つである御剣。
別殿の
天皇が清涼殿から忌み嫌う方角を避けて宮中の他の建物に移動すること。
清涼殿の昼の御座(御座所)に置かれている剣。草薙剣の代わりとしても用いられた。
宮中の女官の役職。天皇の身の回りの世話をする。
宗尊親王の御所で蹴鞠があったが、雨上がりで、庭が乾いていなかった。一同が、「どうしようか」と頭を抱えていると、佐々木何とかという坊主が、大量のおが屑をトラックに積んで持ってきた。庭一面に敷き詰めると、泥濘が気にならなくなった。人々は「こんな時のためにおが屑を用意していたのだから、素晴らしい心がけだ」と感心し合った。
この話を吉田中納言が聞いて、「乾いた砂の用意は無かったのか?」と質問したので、佐々木という坊主の栄光も失墜した。素晴らしい心がけと絶賛されたおが屑も、乾いた砂に比べてみれば、汚らしく、敷き詰められた庭の光景も異様である。屋外イベントの責任者が、乾いた砂の準備をするのは常識なのだ。
鎌倉中書王 にて御鞠 ありけるに、雨降 りて後 、未 だ庭の乾 かざりければ、いかゞせんと沙汰 ありけるに、佐々木 隠岐入道 、鋸 の屑 を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭 に敷 かれて、泥土 の煩 ひなかりけり。「取り溜 めけん用意、有難し」と、人感じ合へりけり。
この事を或者の語り出 でたりしに、吉田中納言 の、「乾き砂子 の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥 かしかりき。いみじと思ひける鋸 の屑 、賤 しく、異様 の事なり。庭の儀 を奉行 する人、乾き砂子を設 くるは、故実 なりとぞ。
後嵯峨天皇の第二皇子。宗尊親王。六代目鎌倉幕府将軍。
蹴鞠のこと。平安時代に流行した、鞠を使った遊び。蹴り上げて、回数を競う。
俗名を政義、法名を真願と名乗った。
藤原定資と思われる。
清涼殿の黒戸御所は、光孝天皇が即位した後、かって一般人だった時の自炊生活を忘れないように、いつでも炊事ができるようにした場所である。薪で煤けていたので、黒戸御所と呼ぶのである。
黒戸 は、小松御門 、位に即かせ給ひて、昔、たゞ人 にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営 ませ給ひける間 なり。御薪 に煤 けたれば、黒戸と言ふとぞ。
清涼殿の北廂から弘徽殿までの西向きの戸。ここを黒戸の御所と呼ぶ。
光孝天皇。仁明天皇の第三皇子。
世間には、理解に苦しむことが多い。何かある度に、「まずは一杯」と、無理に酒を飲ませて喜ぶ風習は、どういう事か理解できない。飲まされる側は、嫌そうにしかめ面をし、人目を見計らって盃の中身を捨てて逃げる予定だ。それを捕まえて引き止め、むやみに飲ませると、育ちの良い人でも、たちまち乱暴者に変身して暴れ出す。健康な人でも、目の前で瀕死の重体になり、前後不覚に倒れる。これが祝いの席だったら大惨事だ。翌日は二日酔いで、食欲が無くなり、うめき声を上げながら寝込む。生きた心地もせず、記憶は断片的に無い。大切な予定も全てキャンセルし、生活にも支障をきたす。こんなに非道い目に遭わせるのは、思いやりが無く、無礼でもある。辛い目に遭わされた本人も、恨みと妬みでいっぱいだろう。もし、これが余所の国の風習で、人づてに聞いたとしたら、異文化の不気味さに驚くに違いない。
他人事だとしても、酔っぱらいは見ていて嫌になる。用心深く、真面目そうな人でも、酔えば、馬鹿のように笑い出し、大声で喋り散らす。カツラを乱し、ネクタイを弛め、靴下を脱いでスネ毛を風にそよがせる。普段の本人からは想像できない醜態だ。女が酔えば、前髪をバサリとかき上げ、恥じらいもなく大口で笑い、男の盃を持つ手にまとわりつく。もっと非道くなると、男に食べ物をくわえさせ、自分もそれを食うのだから、汚らわしい。そして、声が潰れるまで歌い、踊るうちに、ヨボヨボな坊主が呼び出され、黒くて汚らしい肩をはだけて、ヨロヨロと身体をよじって踊る。この見るに堪えない余興を喜ぶ人達が、鬱陶しく憎たらしい。それから、自分がいかに人格者であるか、端から聞きけば失笑も辞さない話を演説し、仕舞いには泣き出す始末である。家来達は罵倒し合い、小競り合いを始め出す。恐ろしさに呆然となる。酔えば恥を晒し、迷惑をかける。挙げ句の果てには、いけないものを取ろうとして窓から落ちたり、車やプラットフォームから転げ落ちて大怪我をする。乗り物に乗らない人は、大通りを千鳥足で歩き、塀や門の下に吐瀉物を撒き散らす。年を取った坊さんがヨレヨレの袈裟を身にまとい、子供に意味不明な話をしてよろめく姿は、悲惨でもある。こんな涙ぐましい行為が死後の世界に役立つのであれば仕方ない。しかし、この世の酒は、事故を招き、財産を奪い、身体を貪るのである。「酒は百薬の長」と言うが、多くの病気は酒が原因だ。また、「酔うと嫌なことを忘れる」と言うが、ただ単に悪酔いしているだけにも見られる。酒は脳味噌を溶かし、気化したアルコールは業火となる。邪悪な心が広がって、法を犯し、死後には地獄に堕ちる。「酒を手にして人に飲ませれば、ミミズやムカデに五百度生まれ変わる」と、仏は説いている。
以上、酒を飲むとろくな事がないのだが、やっぱり酒を捨てるのは、もったいない。月見酒、雪見酒、花見酒。思う存分語り合って盃をやりとりするのは、至高の喜びだ。何もすることがない日に、友が現れ一席を設けるのも楽しみの一つだ。馴れ馴れしくできない人が簾の向こうから、果物と一緒にお酒を優雅に振る舞ってくれたとしたら感激物だ。冬の狭い場所で、火を囲み差し向かいで熱燗をやるのも一興だ。旅先で「何かつまむ物があったら」と言いながら飲むのも、さっぱりしている。無礼講で、「もっと飲みなさい。お酒が減っていませんね」と言ってくれるのは、ありがたい。気になる人が酒好きで飲み明かせるのは、楽しい。
ともあれ、酒飲みに罪はない。ヘベレケに酔っぱらって野営した朝、家主が引き戸を開けると、寝ぼけ眼で飛び起きる。髪を乱したまま、着衣を正す間もなく逃げる。裾をまくった後ろ姿や、細い足のスネ毛など、見ていて楽しく、いかにも酔っぱらいだ。
世には、心
得 ぬ事の多きなり。ともある毎には、まづ、酒を勧 めて、強 ひ飲ませたるを興 とする事、如何なる故とも心得ず。飲む人の、顔いと堪 へ難げに眉 を顰 め、人目を測りて捨てんとし、逃 げんとするを、捉 へて引き止 めて、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽ちに狂人 となりてをこがましく、息災 なる人も、目の前に大事の病者 となりて、前後も知 らず倒 れ伏す。祝 ふべき日などは、あさましかりぬべし。明 くる日まで頭痛 く、物食 はず、によひ臥 し、生 を隔 てたるやうにして、昨日 の事覚 えず、公 ・私 の大事を欠きて、煩 ひとなる。人をしてかゝる目を見する事、慈悲もなく、礼儀にも背 けり。かく辛 き目に逢 ひたらん人、ねたく、口惜 しと思はざらんや。人の国にかゝる習ひあンなりと、これらになき人事 にて伝へ聞きたらんは、あやしく、不思議に覚えぬべし。
人の上にて見たるだに、心憂 し。思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひのゝしり、詞 多く、烏帽子 歪み、紐 外 し、脛 高く掲げて、用意なき気色 、日来の人とも覚えず。女は、額髪 晴 れらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちさゝげてうち笑ひ、盃 持てる手に取り付き、よからぬ人は、肴 取りて、口にさし当て、自らも食ひたる、様 あし。声の限り出 して、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出 されて、黒く穢き身を肩抜ぎて、目も当てられずすぢりたるを、興じ見る人さへうとましく、憎し。或 はまた、我が身いみじき事ども、かたはらいたく言ひ聞かせ、或は酔 ひ泣きし、下 ざまの人は、罵下 り合ひ、争 ひて、あさましく、恐ろし。恥ぢがましく、心憂き事のみありて、果は、許さぬ物ども押し取りて、縁 より落ち、馬・車より落ちて、過しつ。物にも乗らぬ際は、大路 をよろぼひ行きて、築泥・門の下などに向きて、えも言はぬ事どもし散らし、年老い、袈裟 掛けたる法師 の、小童 の肩 を押 へて、聞えぬ事ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし。かゝる事をしても、この世も後 の世も益 あるべきわざならば、いかゞはせん、この世には過ち多く、財 を失ひ、病をまうく。百薬の長 とはいへど、万 の病は酒よりこそ起れ。憂 へ忘るといへど、酔 ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出 でて泣くめる。後の世は、人の智恵を失ひ、善根 を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒 を破りて、地獄に堕つべし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生 が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。
かくうとましと思ふものなれど、おのづから、捨て難き折もあるべし。月の夜、雪の朝 、花の本にても、心長閑 に物語して、盃 出 だしたる、万の興を添ふるわざなり。つれづれなる日、思ひの外 に友の入 り来て、とり行 ひたるも、心慰む。馴れ馴れしからぬあたりの御簾 の中 より、御果物 ・御酒 など、よきやうなる気はひしてさし出 だされたる、いとよし。冬、狭 き所にて、火にて物煎 りなどして、隔 てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。旅の仮屋 、野山などにて、「御肴 何がな」など言ひて、芝の上にて飲みたるも、をかし。いたう痛む人の、強 ひられて少し飲みたるも、いとよし。よき人の、とり分きて、「今ひとつ。上 少し」などのたまはせたるも、うれし。近づかまほしき人の、上戸 にて、ひしひしと馴 れぬる、またうれし。
さは言へど、上戸 は、をかしく、罪許さるゝ者なり。酔 ひくたびれて朝寝 したる所を、主 の引き開 けたるに、惑 ひて、惚れたる顔ながら、細き髻 差し出 だし、物も着あへず抱 き持 ち、ひきしろひて逃 ぐる、掻取 姿の後ろ手、毛生 ひたる細脛 のほど、をかしく、つきづきし。
スズメ狩りに向いている犬をキジ狩りに使うと、再びスズメ狩りに使えなくなると言う。大物を知ってしまうと小物に目もくれなくなるという摂理は、もっともだ。世間には、やることが沢山あるが、仏の道に身をゆだねることよりも心が満たされることはない。これは、一生で一番大切なことである。いったん仏の道に足を踏み入れたら、この道を歩く人は、何もかも捨てることができ、何かを始めることもない。どんな阿呆だとしても、賢いワンちゃんの志に劣ることがあろうか。
小鷹 によき犬、大鷹 に使ひぬれば、小鷹にわろくなるといふ。大に附 き小を捨つる理 、まことにしかなり。人事 多かる中に、道を楽しぶより気味 深きはなし。これ、実 の大事なり。一度、道を聞きて、これに志さん人、いづれのわざか廃 れざらん、何事をか営まん。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らんや。