つれづれぐさ(上)

徒然草 第三十六段

現代語訳

 「随分とないがしろにしてしまったから、きっと怒っているだろうなと、自分の惰性を責めながら、謝罪の言葉も見つけられずに放心していたら、彼女の方から、暇にしている家政婦さんはいませんか? いたら、一人紹介してくださいね、なんて言ってきてくれて、そんなことは誰にでも出来る芸当でもなく、予想外の出来事で、びっくらこいたよ。こういうハートを持った女の人は最高だね」と、ある人が言っていたけど、私も本当にそういう女の子がいればいいと思った。

原文

 「久しくおとづれぬ比、いかばかり恨むらんと、我が怠り思ひ知られて、言葉(ことのはなき心地するに、女の(かたより、『仕丁(じちやうやある。ひとり』など言ひおこせたるこそ、ありがたく、うれしけれ。さる心ざましたる人ぞよき」と人の申し侍りし、さもあるべき事なり。

注釈

 仕丁(じちゃう

  家の仕事をする下部、下僕。

徒然草 第三十五段

現代語訳

 字が下手くそだけど、何の遠慮もなく当然のように手紙を書き殴っている様子は、かえって清々しい。恥ずかしいからと言って、他人に代筆させるなんて厭らしいことだ。

原文

 手のわろき人の、はゞからず、(ふみ書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。

注釈

 手

  手を働かせてすること。筆跡、文字もその一つ。

徒然草 第三十四段

現代語訳

 甲香というのは、法螺貝に似た小さな貝の細い先端に付いている蓋のことだ。

 金沢文庫の入り江にたくさん転がっていて、土着の者が「へなだりと言うんだよ」と言っていた。

原文

 甲香(かひこうは、ほら貝のやうなるが、小さくて、口のほどの細長にさし(でたる貝の(ふたなり。

 武蔵国金沢(むさしのくにかねさわといふ浦にありしを、所の者は、「へなだりと申し(はべる」とぞ言ひし。

注釈

 甲香(かいこう

  お香の材料になる田螺のへた。「甲」は「貝」の当て字。

 武蔵国金沢(むさしのくにかねさわ

  現在の金沢文庫。兼好法師が称名寺を訪ねたことが知られている。

徒然草 第三十三段

現代語訳

皇居を改築する際に、構造計算の専門家に検査してもらったところ「良くできています。全く問題ありません」と太鼓判をもらった。皇帝の引っ越しも間近になった頃、伏見天皇のお母さんが、新築物件を見て「昔の皇居にあった覗き穴は、上が丸くて縁もありませんでした」と、少女時代の記憶を語り出したので、大変なことになった。

新しい覗き穴は、上が木の葉のように尖っていて、しかも縁取られていたので、欠陥住宅ということになり、造り直しになった。

原文

 今の内裏(だいり作り(いだされて、有職(いうそくの人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸(せんかうの日近く成りけるに、玄輝門院(げんきもんゐんの御覧じて、「閑院殿(かんゐんどの櫛形(くしがたの穴は、丸く、(ふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。

これは、(えふ(りて、木にて(ふちをしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

注釈

 今の内裏(だいり

 二条富小路内裏のこと。

 有職(ゆうしょく

 公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。

 遷幸(せんこう

 二条内裏にいた花園天皇が新しい内裏に引っ越しすること。

 玄輝門院(げんきもんゐん

 藤原愔子(ふじわらのいんし。後深草天皇の后、伏見天皇の母。

 閑院殿(かんゐんどの

 臨時に設けた皇居の一つ。

徒然草 第三十二段

現代語訳

 九月二十日頃、ある人のお供で、夜が明けるまで月を眺めて歩いた。その人が、ふと思い出した家があり、インターフォンを押して入っていった。手入れが無く荒廃した庭は、露まみれで、わざとらしくない焚き物の匂いが優しく漂う中で隠遁している様子は、ただ事に思えなかった。

 ある人は手短に訪問を済ませておいとましたけど、自分としては、この状態があまりにも素晴らしく、気になって仕方が無かったので、草葉の陰からしばらく見学させてもらうことにした。ご主人は門の扉を少しだけ開いて、月を見ているようであった。すぐに引き下がって鍵をかけたとしたら、厭な気持ちになったかも知れない。後ろ姿を見届けられていることを、帰っていく人は気がついていないだろう。こういった行為は、ただ、日々の心がけから滲み出るものである。

 その主人は、しばらくして死んでしまったらしい。

原文

 九月(ながつき廿日(はつかの比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事(はべりしに、思し(づる所ありて、案内(あないせさせて、(り給ひぬ。荒れたる庭の(つゆしげきに、わざとならぬ(にほひ、しめやかにうち(かをりて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

 よきほどにて(で給ひぬれど、なほ、事ざまの(いうに覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸(つまどをいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。

 その人、ほどなく(せにけりと聞き侍りし。

注釈

 妻戸(つまど

  観音開きの扉。

 朝夕の心づかひ

  日々の心がけ。

徒然草 第三十一段

現代語訳

 雪が気持ちよさそうに降った朝、人にお願いがあって手紙を書いた。手短に済ませて、雪のことは書かずに投函したら返事が来た。「雪であなたはどんな気分でしょうか? ぐらいのことも書けない、気の利かない奴のお願いなんて聞く耳を持ちません。本当につまらない男だ」と書いてあった。読み返して感動し、鳥肌が立った。

 もう死んだ人だから、こんなことさえも大切な想い出だ。

原文

 雪のおもしろう降りたりし(あした、人のがり言ふべき事ありて、(ふみをやるとて、雪のこと(なにとも言はざりし返事(かへりごとに、「この雪いかゞ見ると一筆(ひとふでのたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の(おほせらるゝ事、聞き入るべきかは。(かへ(がへす口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

 今は(き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

徒然草 第三十段

現代語訳

 人が死んだら、すごく悲しい。

 四十九日の間、山小屋にこもり不便で窮屈な処に大勢が鮨詰め状態で法事を済ませると、急かされる心地がする。その時間の過ぎていく速さは、言葉で表現できない。最終日には、皆が気まずくなって口もきかなくなり、涼しい顔をして荷造りを済ませ、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。帰宅してからが、本当の悲しみに暮れる事も多い。それでも、「今回はとんでもない事になった。不吉だ、嫌なことだ。もう忘れてしまおう」などと言う言葉を聞いてしまえば、こんな馬鹿馬鹿しい世の中で、どうして「不吉」などと言うのだろうと思ってしまう。死んだ人への言葉を慎んで、忘れようとするのは悲しい事だ。人の心は気味が悪い。

 時が過ぎ、全て忘却を決め込むわけでないにしても「去っていった者は、だんだん煩わしくなるものだ」という古詩のように忘れていく。口では「悲しい」とか「淋しい」など、何とでも言える。でも、死んだ時ほど悲しくないはずだ。それでいて、下らない茶話には、げらげら笑い出す。骨壷は、辺鄙なところに埋まっており、遺族は命日になると事務的にお参りをする。ほとんど墓石は、苔生して枯れ葉に抱かれている。夕方の嵐や、夜のお月様だけが、時間を作って、お参りをするというのに。

 死んだ人を懐かしく思う人がいる。しかし、その人もいずれ死ぬ。その子孫などは、昔に死んだ人の話を聞いても面白くも何ともない。そのうち、誰の供養かよくわからない法事が流れ作業で処理され、最終的に墓石は放置される。人の死とは、毎年再生する春の草花を見て、感受性の豊かな人が何となくときめく程度の事であろう。嵐と恋して泣いていた松も、千年の寿命を全うせずに、薪として解体され、古墳は耕され、田んぼになる。死んだ人は、死んだことすら葬られていく。

原文

 人の((あとばかり、悲しきはなし。

 中陰(ちゆういんのほど、山里などに移ろひて、便(びんあしく、(せばき所にあまたあひ(て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。日(かずの速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我(かしこげに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため(むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

 年月(ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に(うとしと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。(から(うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり(まうでつゝ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば(こけむし、木の葉降り(うづみて、(ゆふべの(あらし、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

 思ひ(でて(しのぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々(としどしの春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に(むせびし松も千年(ちとせを待たで(たきぎ(くだかれ、古き(つか(かれて田となりぬ。その(かただになくなりぬるぞ悲しき。

注釈

 中陰(ちゅういん

  葬儀の後、四十九日の間。(次の生命を受ける期間とされる)

 去る者は日々に(うと

  「古墓何(こぼいずレノ代ノ人ゾ。姓ト名トヲ知ラズ。化シテ路傍(ろばうノ土ト(リ、年々春草生ズ」と『白氏文集』にある。

 嵐に(むせびし松も千年(ちとせを待たで(たきぎ(くだかれ

  「古墓(カレテ田ト為リ、松柏(くだカレテ薪ト為ル」と『文選』にある。

徒然草 第二十九段

現代語訳

 静かに瞑想して想い出す。どんな事もノスタルジーだけはどうにもならない。

 人々が寝静まった後、夜が長くて暇だから、どうでもよい物の整理整頓をした。恥ずかしい文章を書いた紙などを破り捨てていると、死んだあの子が、歌や絵を書いて残した紙を発見して、当時の記憶が蘇った。死んだ人はもちろん、長い間会っていない人の手紙などで「この手紙はいつ頃の物で、どんな用事だっただろう?」と考え込んでしまうぐらい古い物を見つけると、熱いものがこみ上げてくる。手紙や絵でなくても、死んだ人が気に入っていた日用品が、何となく今日までここにあるのを見れば、とても切ない。

原文

 静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。

 人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足(ぐそくとりしたゝめ、残し置かじと思ふ反古(ほうごなど((つる中に、(き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見(でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ。このごろある人の(ふみだに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足(ぐそくなども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。

注釈

 人静まりて

  人が眠る時間。現在の午後十時頃。

 反古(ほうご

  「ほご」とも。書き汚した不要の紙。

徒然草 第二十八段

現代語訳

 皇帝が父母の喪に服している一年間より、乾いた北風みたく淋しい気持ちになることは無いだろう。

 喪に服すために籠もる部屋は、床板を下げて、安物のカーテンを垂らし、貧乏くさい布をかぶせる。家具なども手短な物を選ぶ。そこにいる人々が着ているものや、刀や、刀ひもが、普段と違ってモノクロームなのは、物々しく感じる。

原文

 諒闇(りやうあんの年ばかり、あはれなることはあらじ。

 倚廬(いろの御所のさまなど、板敷(いたじきを下げ、(あし御簾(みすを掛けて、布の帽額(もかうあらあらしく、御調度(てうどどもおろそかに、皆人の装束(そうぞく・太刀・平緒(ひらをまで、異様(ことやうなるぞゆゝしき。

注釈

 諒闇(りょうあん

  天皇が両親の喪に服す期間。

 倚廬(いろの御所

  諒闇の際に天皇が十三日間潜伏する場所。

 板敷(いたじき

  板張りの床を他より低くした場所。

 (あし御簾(みす

  竹ではなく葦で造った貧乏くさい簾。

 御調度(ちょうどどもおろそかに

  道具のたぐいが安っぽくて。

徒然草 第二十七段

現代語訳

 新しい皇帝が即位する儀式が行われ、三種の神器の「草薙剣」と「八坂瓊勾玉」と「八咫鏡」が譲渡される瞬間には、強い不安に襲われてしまう。

 皇帝を辞めて新院になる花園上皇が、その春に詠んだ歌。

   誰彼も他人になった春の日は 掃除のなき庭 花の絨毯

 みんな、新しい皇帝につきっきりで、上皇のところに遊びに行く人もいないのだろうが、やっぱり淋しそうだ。こんなときに人は本性を現す。

原文

 御国(みくに(ゆづりの節会(せちゑ行はれて、(けん(内侍所(ないしところ渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

 新院の、おりゐさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。

   殿守(とのもりのとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく

 今の世のこと繁きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かゝる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。

注釈

 御国(みくに(ゆづりの節会(せちゑ

  新しい皇帝の即位に当たって、前の皇帝から位を譲るための儀式と官僚へ賜る宴会のこと。

 (けん(内侍所(ないしところ

  三種の神器。草薙剣(くさなぎのつるぎ八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま八咫鏡(やたのかがみのこと。