つれづれぐさ(上)

徒然草 第七十六段

現代語訳

 社会的に偉い事になっていて、時代の波にも乗っている人のお屋敷に、葬式とか祝い事があり、大勢の人が出入りしている中に聖職者であるはずの宗教家が、玄関のインターフォンを押しているのはやりすぎだと思う。

 どんな理由があるにしても、宗教家は孤独であるべきだ。

原文

 世の(おぼえ花やかなるあたりに、(なげきも喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に、(ひじり法師(ほふし(まじじりて、言ひ(れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。

 さるべき(ゆゑありとも、法師は人にうとくてありなん。

注釈

 (ひじり法師(ほふし

  厳しい戒律を守って生活している隠遁人。世捨て人。

徒然草 第七十五段

現代語訳

 暇で放心している事に耐えられない人は、何を考えているのだろうか? 誰にも邪魔されないで、一人で変な事をしているのが一番いいのだ。

 浮き世に洗脳されると心は下界の汚れでベタベタになり、すぐ迷う。他人と関われば、会話は機嫌を伺うようになり、自分の意志も折れ曲がる。人と戯れ合えば、物の奪い合いを始め、恨み、糠喜びするだけだ。すると、常に情緒不安定になり、被害妄想が膨らみ、損得勘定だけしか出来なくなる。正に迷っている上に酔っぱらっているようなものである。泥酔して堕落し路上で夢を見ているようでもある。忙しそうに走り回るわりには、ボケッとして、大切なことは忘れてしまう。人間とは皆この程度の存在である。

 「仏になりたい」と思わなくても、逐電して静かな場所に籠もり、世の中に関わらず放心していれば、仮寝の宿とは言っても、希望はある。「生き様に悩んだり、人からどう見られているか気にしたり、手に職を付ける為に己を研鑽したり、教典を読み込んで論じる事など、面倒だから全て辞めてしまえ」と中国に伝わる『摩訶止観』に書いてある。

原文

 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ(かたなく、たゞひとりあるのみこそよけれ。

 世に(したがへば、心、(ほか(ちり(うばはれて(まどひ易く、人に(まじれば、言葉、よその聞きに(したがひて、さながら、心にあらず。人に(たはぶれ、物に(あらそひ、一度(ひとだびは恨み、一度は喜ぶ。その事、(さだまれる事なし。分別(ふんべつみだりに起りて、得失止む時なし。(まどひの上に(へり。(ひの(うちに夢をなす。走りて(いそがはしく、ほれて(わすれたる事、人皆かくの如し。

 未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を(しづかにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活(しやうくわつ人事(にんじ・伎能・学問等の諸縁を(めよ」とこそ。摩訶止観(まかしくわんにも(はべれ。

注釈

 得失

  利害や損得のこと。

 摩訶止観(まかしくわん

  中国天台宗の仏論書。天台宗の開祖、智顗が修道の要点を説明したものを、弟子の章安灌頂が書き起こして十巻に編集した。

徒然草 第七十四段

現代語訳

 蟻のように群れをなし、西へ、東へ猛スピード、南へ、北へ超特急。社会的身分の高い人もいる。貧乏人もいる。老人もいる。小僧もいる。出勤する場所があって、帰る家もある。夜に眠くなり、朝に目覚める。この人達は何をしているのだろうか。節操もなく長生きを欲しがり、利益は高利回りだ。もう止まらない。

 養生しながら「何かいいことないか」と、呟きながら果報を待つ。とどの詰まりは、ただ老いぼれて死ぬだけだ。老いぼれて死ぬ瞬間は、あっという間で、思いの刹那が留まる事もない。老いぼれて死ぬのを待っている間に何か楽しい事でもあるのだろうか? 迷える子羊は老いぼれて死ぬのを恐がらない。名前を売る為に忙しく金儲けに溺れて、命の終点が近い事を知らないのだ。それでいてバカだから死ぬのを悲しむ。この世は何も変わらないと勘違いし、運命の大河に流されているのを感じていないからだ。

原文

 (あり(ごとくに集まりて、東西に(いそぎ、南北に(わしる人、高きあり、(いやしきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。(ゆふべ(ねて、(あしたに起く。いとなむ所何事ぞや。(しやう(むさぼり、利を(もとめて、(む時なし。

 身を養ひて、何事をか待つ。(する(ところ、たゞ、(おいと死とにあり。その(きたる事(すみやかにして、念々の間に(とどまらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。(まどへる者は、これを恐れず。名利(みやうり(おぼれて、先途(せんどの近き事を(かへりみねばなり。(おろかなる人は、また、これを悲しぶ。常住(じやうじゆうならんことを思ひて、変化(へんげ(ことわりを知らねばなり。

注釈

 常住(じやうじゆう

  常に同じ状態で有り続けること。

 変化(へんげ

  上記の「常住」の反意語。全てが絶えることなく変化し続けること。

徒然草 第七十三段

現代語訳

 この世の中に語り伝えられている事は、真実そのままに語ってもつまらないからだろうか、多くの話は嘘八百である。

 人は事実よりも大げさに物事を言う傾向がある上に、ましてや、年月を経て、遠く離れた場所の出来事であれば、言いたい放題に語られる。書物などに記録されてしまえば、もはや嘘は真実に書き換えられてしまう。巨匠の伝説は、愚かな人間が、ろくに知らないくせに神のように崇め奉るので、たちが悪い。しかし、その道の達人だったら、そんな架空伝説は信用しない。やはり「百聞は一見にしかず」なのである。

 話している側から嘘のメッキが剥がれているのにも気付かず、口が自動的に出任せを言い出せば、すぐに根も葉もないウソッパチであることがバレる。また話している本人が、はなから「こんな話はウソッパチだろう」と知りながら、人から聞いたまま、鼻をピクピクさせて話せば、それは語り部をやっているだけだから、あながち「嘘つき」呼ばわりする訳にもいかない。だがしかし、もっともらしく話を捏造し、都合が悪い部分は曖昧にしたまま、最終的に話の辻褄を合わせてしまうようなインチキ技は、危険である。お世辞を言われて舞い上がっている者は、それを否定しない。周囲がインチキ話で盛り上がっている時に、一人だけ「嘘ばっかり」とムキになっても気まずくなるだけだから黙って聞いていると、そのうち嘘の証人になどにさせられて、瓢箪から出た駒みたくなってしまう。

 と、文句を書いても、この世はインチキでまみれている。世の中を漂っている何げない事を、ありのままに受け入れてさえいれば、真実を見失わないはずだ。しかし、愚か者は、刺激を喜ぶから適当な事ばかり言っている。信頼できる人なら、いい加減な話をしたりはしない。

 そうは言っても、「神の奇跡や、超人の輝かしい記録までも信じてはいけない」と言うわけではない。世の中にまみれている嘘に染まれば、間抜けである。それを信じる人に「そんなのはインチキだ」と言っても、既に洗脳済みだから仕方ない。どうせ殆どはインチキなのだから、諦めて適当にあしらい、意味もなく信じたりせず、心の中では「こいつはバカじゃないのか?」と思っても、用心の為に黙っていた方が良い。

原文

 世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、(おほくは(みな虚言(そらごとなり。

 あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、まして、年月(としつき過ぎ、(さかひ(へだたりぬれば、言ひたきまゝに語りなして、筆にも書き止めぬれば、やがて定まりぬ。道々の物の上手(じやうずのいみじき事など、かたくななる人の、その道知らぬは、そゞろに、神の如くに言へども、道知れる人は、さらに、信も(おこさず。(おとに聞くと見る時とは、何事も変るものなり。

 かつあらはるゝをも(かへりみず、口に(まかせて言ひ(らすは、やがて、浮きたることと聞ゆ。また、我もまことしからずは思ひながら、人の言ひしまゝに、(はなのほどおごめきて言ふは、その人の虚言(そらごとにはあらず。げにげにしく所々うちおぼめき、よく知らぬよしして、さりながら、つまづま合はせて語る虚言(そらごとは、恐しき事なり。我がため面目(めんぼくあるやうに言はれぬる虚言(そらごとは、人いたくあらがはず。皆人(みなひとの興ずる虚言(そらごとは、ひとり、「さもなかりしものを」と言はんも(せんなくて聞きゐたる程に、証人にさへなされて、いとゞ定まりぬべし。

 とにもかくにも、虚言(そらごと(おほき世なり。たゞ、常にある、(めづららしからぬ事のまゝに心(たらん、(よろづ(たがふべからず。(しもざまの人の物語は、耳驚く事のみあり。よき人は怪しき事を語らず。

 かくは言へど、仏神(ぶつじん奇特(きどく権者(ごんじやの伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これは、世俗の虚言(そらごとをねんごろに信じたるもをこがましく、「よもあらじ」など言ふも(せんなければ、大方は、まことしくあひしらひて、(ひとへに信ぜず、また、疑ひ(あざけるべからずとなり。

注釈

 虚言(そらごと

  嘘、偽り。

 道々の物の上手(じやうず

  それぞれの専門家の巨匠。

 (はなのほどおごめきて

  鼻のあたりをもぞもぞさせながら。「鼻のわたりをおごめきて語りなす」とある『源氏物語』の「箒木」の章に由来する。

 よき人は怪しき事を語らず

  「子ハ、怪力・乱神ヲ語ラズ」と『論語』にある。

 権者(ごんじや

  菩薩が人の姿に化けて下界に現れる姿。

徒然草 第七十二段

現代語訳

 下品に見えてしまうもの。座っている周りに道具がたくさん転がっていること。硯に筆がたくさん陳列されていること。礼拝堂に仏像が多いこと。ガーデニングで石や草花を騒々しくすること。家の中に子供や孫がうようよしていること。人と会うとおしゃべりなこと。自分の自慢をたくさん書いた紙と引き換えに神仏に無理な祈願をすること。

 おおよそ、多くても見苦しくないのは、キャスター付きの本棚に本がたくさんあること。ゴミ箱のゴミ。

原文

 (いやしげなる物、(たるあたりに調度(てうど(おほき。(すずりに筆の多き。持仏堂(ちぶつだう(ほとけの多き。前栽(せんざいに石・草木の多き。家の内に子孫(こうまごの多き。人にあひて(ことばの多き。願文(ぐわんもん作善(さぜん多く書き載せたる。

 多くて見苦しからぬは、文車(ふぐるま(ふみ塵塚(ちりづかの塵。

注釈

 持仏堂(ちぶつだう

  毎日礼拝する仏壇を置く室のこと。

 前栽(せんざい

  庭の植え込みのこと。

 願文(ぐわんもん

  仏に願うことを書いた文。

 文車(ふぐるま

  書物を運ぶための小さい車。

 塵塚(ちりづか

  ゴミを捨てる場所。

徒然草 第七十一段

現代語訳

 名前を聞けば、すぐにでもその人の面影で想像が一杯になるのに、実際に会ってみると記憶の中の顔と同じだったことはない。昔の小説を読んでいると「今だったら、あの家のあの辺の事かしら」などと空想し、「あの人みたいな雰囲気だろう」と妄想してしまうのは、誰もがする事だろうか。

 また、何かにつけて、道ばたで会った人が言ったことや、目に見える現象が、昔から自分の心の中にあるような気がして「いつか、こんな事があったような気がする」と思うのだけど、いつの事だったかは思い出せず、でも、本当にあったかのようにノスタルジーに耽ってしまうのは、私だけの事だろうか。

原文

 名を聞くより、やがて、面影(おもかげ((はからるゝ心地(ここちするを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、昔物語を聞きても、この比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、(たれもかく覚ゆるにや。

 また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ(でねども、まさしくありし心地(ここちのするは、我ばかりかく思ふにや。

徒然草 第七十段

現代語訳

 後醍醐天皇の時代、平安京のコンサートホールで演奏会が開催されたのは、宮中に秘蔵されていた琵琶の名器、玄上が盗難にあった頃だった。名手、菊亭兼季が、もう一つの名器、牧馬を弾くことになった。席に座り手探りでチューニングをしていると、支柱を一本落としてしまった。菊亭は、ポケットに米を練った糊を忍ばせておいたので、修理した。準備が完了して供え物が飾り終わる頃には、よく乾いていて、演奏に差し支えはなかった。

 だが、何か恨みでもあったのだろうか? 観客席から覆面女が乱入して、支柱を取り外して、元に戻して置いたという。

原文

 元応(げんおう清暑堂(せいしよだう御遊(ぎよいうに、玄上(げんじやう(せにし(ころ菊亭大臣(きくていのおとど牧馬(ぼくば(だんじ給ひけるに、座に(つききて、((ぢうを探られたりければ、一つ落ちにけり。御懐(おんふところにそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供(じんぐの参る程によく(て、事故(ことゆゑなかりけり。

 いかなる意趣(いしゆかありけん。物見ける衣被(きぬかづきの、寄りて、放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

注釈

 元応(げんおう

  後醍醐天皇の時代。(一三一九年四月から一三二一年二月)だが、この話は文保二年(一三一八年)の出来事であった。

 清暑堂(せいしよだう

  平城京の大内裏にある神楽が行われる場所。御遊は音楽を奏でること。

 玄上(げんじやう

  宮中に保管されていた琵琶の名器。

 菊亭大臣(きくていのおとど

  藤原かねすえ(かねすえ。太政大臣西園寺兼の息子で菊亭と称した琵琶の名手。

 牧馬(ぼくば

  上記の「玄上」と同じく琵琶の名器。

徒然草 第六十九段

現代語訳

 円教寺の性空上人は、法華教を毎日飽きずに唱えていたので、目と耳と鼻と舌と体と心が冴えてきた。旅先で仮寝の宿に入った時、豆の殻を燃やして豆を煮ているグツグツという音を「昔は一心同体の親友だった豆の殻が、どうしたことか恨めしく豆の僕を煮ている。豆の殻は、僕らを辛い目に遭わせる非道い奴だ」と言う声に聞こえたそうだ。一方、豆の殻がパチパチ鳴る音は「自ら進んでこんなことをするものか。焼かれて熱くて仕方がないのに、どうすることも出来ない。だから、そんなに怒らないでくださいな」と言う声に聞こえたらしい。

原文

 書写(しよしや上人(しやうにんは、法華(ほつけ読誦(どくづの功(つもりて、六根(ろくこん(じやうにかなへる人なりけり。旅の仮屋(かりやに立ち入られけるに、豆の(から(きて豆を煮ける音のつぶつぶと(るを聞き給ひければ、「(うとからぬ(おのれれらしも、(うらめしく、我をば煮て、(から(を見するものかな」と言ひけり。(かるゝ豆殻(まめがらのばらばらと((おとは、「我が心よりすることかは。(かるゝはいかばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

注釈

 書写(しよしや上人(しやうにん

  性空上人。姫路市に書写山円教寺を開いた高僧。

 六根(ろくこん

  人間の持つ六つの器官。すなわち、眼、耳、鼻、舌、体、心。

徒然草 第六十八段

現代語訳

九州に、何とかと言う兵隊の元締めがいた。彼は、「大根を万病の薬である」と信じて疑わず、毎朝二本ずつ焼いて食べることを長年の習慣にしてきた。

ある日、警備の留守を見計らうように敵が館を襲撃し、彼を包囲してしまった。すると、どうしたことか、見知らぬ兵士が二人あらわれて、捨て身の体勢で戦い、敵を撃退してくれた。とても不思議に思って「お見かけしないお顔ですが、このように戦って頂きまして、一体どちらさんですか?」と尋ねると「あなたがいつも信じて疑わず毎朝、食べていた大根でございます」とだけ答えて去っていった。

どんなことでも深く信じてさえいれば、こんなラッキーなことがあるのかも知れない。

原文

 筑紫(つくしに、なにがしの押領使(あふりやうしなどいふやうなる(もののありけるが、土大根(つちおほね(よろづにいみじき薬とて、朝ごとに(ふたつづゝ(やききて食ひける事、年(ひさしくなりぬ。

(ある時、(たち(うちに人もなかりける(ひまをはかりて、(かたき襲ひ来りて、(かこ(めけるに、(たち(うち(つはもの二人(で来て、命を(しまず戦ひて、皆((かへしてンげり。いと不思議(ふしぎに覚えて、「日比こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく(たたかひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来(としごろ(たのみて、朝な朝な(めししつる土大根(つちおほねらに(さうらう」と言ひて、(せにけり。

(ふかく信を(いたしぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。

注釈

 筑紫(つくし

 ここでは九州全体を指す。

 押領使(あふりやうし

 地方での暴動を鎮圧するために、兵隊を率いる役職。

 土大根(つちおほね

 大根のこと。

徒然草 第六十七段

現代語訳

賀茂別雷神社の境内にある岩本社と橋本社は、それぞれ在原業平、藤原実方を祀っているが、参拝する人たちはいつでもちぐはぐになっている。ある年、参拝した際に年を召された神社の職員が横切ったので呼び止めて聞いてみた。「実方は、手を清める水の上に影が映ったという話もありますので、水に近い橋本社の方でしょう。また、慈円僧正が、

月を愛し花を見つめて放心していた昔々の風流人は 今はここに祀られている在原業平

と歌っているので、業平は岩本社の方に祀れていると聞いていますが、私などよりあなたの方がよくご存じでしょう」と、大変親切に教えてくださり、とても好感が持てた。

今出川院の中宮、嬉子に仕えた近衛という名の女官は、勅撰和歌集に数多くの歌が入選しているが、若かりし頃は、常に百首の短歌を詠み、この二つの神社の清めの水で清書して奉納したそうだ。当時は「天才」と呼ばれ、今でも人々がそらんじる歌が多い。漢詩や、その序文に至るまで、良い文章を書く人であった。

原文

 賀茂(かもの岩本・橋本は、業平(なりひら・実方なり。人の常に言ひ粉へ(はべれば、一年(ひととせ参りたりしに、老いたる宮司(みやつかさの過ぎしを呼び(とどめて、尋ね侍りしに、「実方は、御手洗(みたらしに影の(うつりける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚(よしみづのくわしやうの、

月をめで花を(ながめしいにしへのやさしき人はこゝにありはら

(み給ひけるは、岩本の(やしろとこそ承り(き侍れど、己れらよりは、なかなか、御存知(ごぞんちなどもこそ(そうらはめ」と、いとやうやうしく言ひたりしこそ、いみじく(おぼえしか。

今出川院近衛(いまでがわのいんのこのえとて、(しふどもにあまた(りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を(みて、かの二つの(やしろ御前(みまへの水にて書きて、手向(たむけられけり。まことにやんごとなき(ほまれありて、人の口にある歌多し。作文(さくもん詩序(しじよなど、いみじく書く人なり。

注釈

 賀茂(かもの岩本・橋本

 京都市上京区上加茂町にあるに付属する二つの摂社。

 業平(なりひら

 在原業平。平安時代初期の歌人。

 実方(さねかた

 藤原実方。平安時代中期の歌人。

 宮司(みやつかさ

 神官のこと。

 御手洗(みたらし

 神社を参拝する際に、手を清める水。

 吉水和尚(よしみづのくわしやう

 慈円僧正。前後四度、天台座主で歌人。

 月をめで花を(ながめしいにしへのやさしき人はこゝにありはら

 「月を愛でて、花を観賞した、遙か昔の風流人は、ここに祀られている在原業平」の意味。「ありはら」は「在原業平」と「ここにあり」に懸かっている。

 今出川院近衛(いまでがわのいんのこのえ

 今出川院(亀山天皇)の中宮、嬉子に仕えた、近衛という女官。鷹司伊平の娘で歌人。

 百首

 合計百首となる題詠。

 作文(さくもん詩序(しじよ

 漢詩を作ることと、漢詩に付ける序の文章