徒然草

徒然草 第三十三段

現代語訳

皇居を改築する際に、構造計算の専門家に検査してもらったところ「良くできています。全く問題ありません」と太鼓判をもらった。皇帝の引っ越しも間近になった頃、伏見天皇のお母さんが、新築物件を見て「昔の皇居にあった覗き穴は、上が丸くて縁もありませんでした」と、少女時代の記憶を語り出したので、大変なことになった。

新しい覗き穴は、上が木の葉のように尖っていて、しかも縁取られていたので、欠陥住宅ということになり、造り直しになった。

原文

 今の内裏(だいり作り(いだされて、有職(いうそくの人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸(せんかうの日近く成りけるに、玄輝門院(げんきもんゐんの御覧じて、「閑院殿(かんゐんどの櫛形(くしがたの穴は、丸く、(ふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。

これは、(えふ(りて、木にて(ふちをしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

注釈

 今の内裏(だいり

 二条富小路内裏のこと。

 有職(ゆうしょく

 公家の儀式等の知識と、それに詳しい者。

 遷幸(せんこう

 二条内裏にいた花園天皇が新しい内裏に引っ越しすること。

 玄輝門院(げんきもんゐん

 藤原愔子(ふじわらのいんし。後深草天皇の后、伏見天皇の母。

 閑院殿(かんゐんどの

 臨時に設けた皇居の一つ。

徒然草 第三十二段

現代語訳

 九月二十日頃、ある人のお供で、夜が明けるまで月を眺めて歩いた。その人が、ふと思い出した家があり、インターフォンを押して入っていった。手入れが無く荒廃した庭は、露まみれで、わざとらしくない焚き物の匂いが優しく漂う中で隠遁している様子は、ただ事に思えなかった。

 ある人は手短に訪問を済ませておいとましたけど、自分としては、この状態があまりにも素晴らしく、気になって仕方が無かったので、草葉の陰からしばらく見学させてもらうことにした。ご主人は門の扉を少しだけ開いて、月を見ているようであった。すぐに引き下がって鍵をかけたとしたら、厭な気持ちになったかも知れない。後ろ姿を見届けられていることを、帰っていく人は気がついていないだろう。こういった行為は、ただ、日々の心がけから滲み出るものである。

 その主人は、しばらくして死んでしまったらしい。

原文

 九月(ながつき廿日(はつかの比、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事(はべりしに、思し(づる所ありて、案内(あないせさせて、(り給ひぬ。荒れたる庭の(つゆしげきに、わざとならぬ(にほひ、しめやかにうち(かをりて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。

 よきほどにて(で給ひぬれど、なほ、事ざまの(いうに覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸(つまどをいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。

 その人、ほどなく(せにけりと聞き侍りし。

注釈

 妻戸(つまど

  観音開きの扉。

 朝夕の心づかひ

  日々の心がけ。

徒然草 第三十一段

現代語訳

 雪が気持ちよさそうに降った朝、人にお願いがあって手紙を書いた。手短に済ませて、雪のことは書かずに投函したら返事が来た。「雪であなたはどんな気分でしょうか? ぐらいのことも書けない、気の利かない奴のお願いなんて聞く耳を持ちません。本当につまらない男だ」と書いてあった。読み返して感動し、鳥肌が立った。

 もう死んだ人だから、こんなことさえも大切な想い出だ。

原文

 雪のおもしろう降りたりし(あした、人のがり言ふべき事ありて、(ふみをやるとて、雪のこと(なにとも言はざりし返事(かへりごとに、「この雪いかゞ見ると一筆(ひとふでのたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の(おほせらるゝ事、聞き入るべきかは。(かへ(がへす口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。

 今は(き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

徒然草 第三十段

現代語訳

 人が死んだら、すごく悲しい。

 四十九日の間、山小屋にこもり不便で窮屈な処に大勢が鮨詰め状態で法事を済ませると、急かされる心地がする。その時間の過ぎていく速さは、言葉で表現できない。最終日には、皆が気まずくなって口もきかなくなり、涼しい顔をして荷造りを済ませ、蜘蛛の子を散らすように帰っていく。帰宅してからが、本当の悲しみに暮れる事も多い。それでも、「今回はとんでもない事になった。不吉だ、嫌なことだ。もう忘れてしまおう」などと言う言葉を聞いてしまえば、こんな馬鹿馬鹿しい世の中で、どうして「不吉」などと言うのだろうと思ってしまう。死んだ人への言葉を慎んで、忘れようとするのは悲しい事だ。人の心は気味が悪い。

 時が過ぎ、全て忘却を決め込むわけでないにしても「去っていった者は、だんだん煩わしくなるものだ」という古詩のように忘れていく。口では「悲しい」とか「淋しい」など、何とでも言える。でも、死んだ時ほど悲しくないはずだ。それでいて、下らない茶話には、げらげら笑い出す。骨壷は、辺鄙なところに埋まっており、遺族は命日になると事務的にお参りをする。ほとんど墓石は、苔生して枯れ葉に抱かれている。夕方の嵐や、夜のお月様だけが、時間を作って、お参りをするというのに。

 死んだ人を懐かしく思う人がいる。しかし、その人もいずれ死ぬ。その子孫などは、昔に死んだ人の話を聞いても面白くも何ともない。そのうち、誰の供養かよくわからない法事が流れ作業で処理され、最終的に墓石は放置される。人の死とは、毎年再生する春の草花を見て、感受性の豊かな人が何となくときめく程度の事であろう。嵐と恋して泣いていた松も、千年の寿命を全うせずに、薪として解体され、古墳は耕され、田んぼになる。死んだ人は、死んだことすら葬られていく。

原文

 人の((あとばかり、悲しきはなし。

 中陰(ちゆういんのほど、山里などに移ろひて、便(びんあしく、(せばき所にあまたあひ(て、後のわざども営み合へる、心あわたゝし。日(かずの速く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我(かしこげに物ひきしたゝめ、ちりぢりに行きあかれぬ。もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため(むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。

 年月(ても、つゆ忘るゝにはあらねど、去る者は日々に(うとしと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。(から(うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり(まうでつゝ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば(こけむし、木の葉降り(うづみて、(ゆふべの(あらし、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。

 思ひ(でて(しのぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々(としどしの春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐に(むせびし松も千年(ちとせを待たで(たきぎ(くだかれ、古き(つか(かれて田となりぬ。その(かただになくなりぬるぞ悲しき。

注釈

 中陰(ちゅういん

  葬儀の後、四十九日の間。(次の生命を受ける期間とされる)

 去る者は日々に(うと

  「古墓何(こぼいずレノ代ノ人ゾ。姓ト名トヲ知ラズ。化シテ路傍(ろばうノ土ト(リ、年々春草生ズ」と『白氏文集』にある。

 嵐に(むせびし松も千年(ちとせを待たで(たきぎ(くだかれ

  「古墓(カレテ田ト為リ、松柏(くだカレテ薪ト為ル」と『文選』にある。

徒然草 第二十九段

現代語訳

 静かに瞑想して想い出す。どんな事もノスタルジーだけはどうにもならない。

 人々が寝静まった後、夜が長くて暇だから、どうでもよい物の整理整頓をした。恥ずかしい文章を書いた紙などを破り捨てていると、死んだあの子が、歌や絵を書いて残した紙を発見して、当時の記憶が蘇った。死んだ人はもちろん、長い間会っていない人の手紙などで「この手紙はいつ頃の物で、どんな用事だっただろう?」と考え込んでしまうぐらい古い物を見つけると、熱いものがこみ上げてくる。手紙や絵でなくても、死んだ人が気に入っていた日用品が、何となく今日までここにあるのを見れば、とても切ない。

原文

 静かに思へば、万に、過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。

 人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足(ぐそくとりしたゝめ、残し置かじと思ふ反古(ほうごなど((つる中に、(き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見(でたるこそ、たゞ、その折の心地すれ。このごろある人の(ふみだに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなるぞかし。手馴れし具足(ぐそくなども、心もなくて、変らず、久しき、いとかなし。

注釈

 人静まりて

  人が眠る時間。現在の午後十時頃。

 反古(ほうご

  「ほご」とも。書き汚した不要の紙。

徒然草 第二十八段

現代語訳

 皇帝が父母の喪に服している一年間より、乾いた北風みたく淋しい気持ちになることは無いだろう。

 喪に服すために籠もる部屋は、床板を下げて、安物のカーテンを垂らし、貧乏くさい布をかぶせる。家具なども手短な物を選ぶ。そこにいる人々が着ているものや、刀や、刀ひもが、普段と違ってモノクロームなのは、物々しく感じる。

原文

 諒闇(りやうあんの年ばかり、あはれなることはあらじ。

 倚廬(いろの御所のさまなど、板敷(いたじきを下げ、(あし御簾(みすを掛けて、布の帽額(もかうあらあらしく、御調度(てうどどもおろそかに、皆人の装束(そうぞく・太刀・平緒(ひらをまで、異様(ことやうなるぞゆゝしき。

注釈

 諒闇(りょうあん

  天皇が両親の喪に服す期間。

 倚廬(いろの御所

  諒闇の際に天皇が十三日間潜伏する場所。

 板敷(いたじき

  板張りの床を他より低くした場所。

 (あし御簾(みす

  竹ではなく葦で造った貧乏くさい簾。

 御調度(ちょうどどもおろそかに

  道具のたぐいが安っぽくて。

徒然草 第二十七段

現代語訳

 新しい皇帝が即位する儀式が行われ、三種の神器の「草薙剣」と「八坂瓊勾玉」と「八咫鏡」が譲渡される瞬間には、強い不安に襲われてしまう。

 皇帝を辞めて新院になる花園上皇が、その春に詠んだ歌。

   誰彼も他人になった春の日は 掃除のなき庭 花の絨毯

 みんな、新しい皇帝につきっきりで、上皇のところに遊びに行く人もいないのだろうが、やっぱり淋しそうだ。こんなときに人は本性を現す。

原文

 御国(みくに(ゆづりの節会(せちゑ行はれて、(けん(内侍所(ないしところ渡し奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ。

 新院の、おりゐさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや。

   殿守(とのもりのとものみやつこよそにして掃はぬ庭に花ぞ散りしく

 今の世のこと繁きにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かゝる折にぞ、人の心もあらはれぬべき。

注釈

 御国(みくに(ゆづりの節会(せちゑ

  新しい皇帝の即位に当たって、前の皇帝から位を譲るための儀式と官僚へ賜る宴会のこと。

 (けん(内侍所(ないしところ

  三種の神器。草薙剣(くさなぎのつるぎ八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま八咫鏡(やたのかがみのこと。

徒然草 第二十六段

現代語訳

 恋の花片が風の吹き去る前に、ひらひらと散っていく。懐かしい初恋の一ページをめくれば、ドキドキして聞いた言葉の一つ一つが、今になっても忘れられない。サヨナラだけが人生だけど、人の心移りは、死に別れより淋しいものだ。

 だから、白い糸を見ると「黄ばんでしまう」と悲しんで、一本道を見れば、別れ道を連想して絶望する人もいたのだろう。昔、歌人が百首づつ、堀川天皇に進呈した和歌に、

   恋人の垣根はいつか荒れ果てて野草の中ですみれ咲くだけ

 という歌があった。

 好きだった人を思い出し、荒廃した景色を見ながら放心する姿が目に浮かぶ。

原文

 風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きし(ことの葉ごとに忘れぬものから、我が世の(ほかになりゆくならひこそ、(き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。

 されば、白き(いと(まんことを(かなしび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川院(ほりかはのゐんの百首の歌の中に、

   昔見し(いも墻根(かきねは荒れにけり((ばなまじりの(すみれのみして

 さびしきけしき、さる事侍りけん。

注釈

 堀川院(ほりかはのゐんの百首の歌

  堀河天皇の時代に、十六人の廷官が、題を決めて、一人百首、合計千六百首を詠んで進呈した歌。

徒然草 第二十五段

現代語訳

 気ままに流れる飛鳥川は、昨日まで深かった場所が、翌日には浅瀬になっている。人の生きる世界も永遠に今の状態で続くことはない。時は過ぎ、始まりは終わりになり、喜びや悲しみも過ぎ去る。繁華街も整地されて原野となり、古民家の住人も過去に住んだ人とは違う。昔から咲いているのは、桃やスモモの木だけだ。彼らはコミュニケーション能力を持たないから、昔日の繁栄を語り継ぐ術を持たない。だから、見たこともない太古の大遺跡は、あぶくと一緒だ。

 京極殿や法成寺の廃墟を見ると、施工主の願いが叶わず、都市計画の跡形さえないので、心に淋しい風を立てる。藤原道長がデベロッパーとなり、土地を転がし、複合施設を建設してピカピカに磨き上げた。当時は「自分の肉親だけが天皇を食い物にして、いつまでもこんな日が続きますように」と願っていただけに、どんな世界になろうとも、ここまでメチャクチャになるとは想像さえしなかっただろう。寺院の門や、本殿は最近まで残っていたが、花園天皇の時代に南の門が火災にあった。本殿も地震で倒壊し、復旧計画は無い。阿弥陀堂だけは現存しており、五メートル弱の仏像が九体並び「我関せず」と他人事のように安置されている。達筆な藤原行成が書いた額縁や、源兼行が書いた扉の文字が鮮やかに残っている光景は、異様なほど虚しい。仏道修行をする建物もまだ残っているが、そのうち燃えて無くなるだろう。このような伝説さえなく、建物の基礎だけある場所などは、知る人もなく、いかなる物か謎だけが残る。

 この例からも、自分の死後、見ることが不可能な世界のことを思って、何かを計画するのは、森羅万象、無駄であり意味がない。

原文

 飛鳥川(あすかがは淵瀬(ふちせ、常ならぬ世にしあれば、時移り、事去り、楽しび、悲しび行きかひて、はなやかなりしあたりも人住まぬ野らとなり、変らぬ住家は人改まりぬ。桃李(たうりもの言はねば、(たれとともにか昔を語らん。まして、見ぬ古のやんごとなかりけん跡のみぞ、いとはかなき。

 京極殿(きやうごくどの法成寺(ほふじやうじなど見るこそ、志(とどまり、事変じにけるさまはあはれなれ。御堂殿(みだうどのの作り磨かせ給ひて、庄園(しやうゑん多く寄せられ、我が御族(おんぞうのみ、御門(みかど御後見(おんうしろみ、世の固めにて、行末までとおぼしおきし時、いかならん世にも、かばかりあせ果てんとはおぼしてんや。大門(だいもん金堂(こんだうなど近くまでありしかど、正和(しやうわ(ころ、南門は焼けぬ。金堂は、その後、倒れ伏したるまゝにて、とり立つるわざもなし。無量寿院(むりやうじゆゐんばかりぞ、その形とて残りたる。丈六(ぢやうろくの仏九体、いと(たふとくて並びおはします。行成(かうぜいの大納言の額、兼行(かねゆきが書ける(とびら、なほ鮮かに見ゆるぞあはれなる。法華(ほつけだうなども、未だ侍るめり。これもまた、いつまでかあらん。かばかりの名残だになき所々は、おのづから、あやしき(いしづゑばかり残るもあれど、さだかに知れる人もなし。

 されば、万に、見ざらん世までを思ひ(おきてんこそ、はかなかるべけれ。

注釈

 飛鳥川(あすかがわ

  奈良県高市群明日香村を流れる川。流れや流域が季節によって変わるため無常の象徴とされた。「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬となる」という歌から「飛鳥川の淵瀬」は「常ならぬ」の序詞になった。

 桃李(とうり

  『和漢朗詠集』に「桃李(ものいハズ、春(いくばくカ暮レヌル。煙霞(えんか(あと無シ。昔(たれ(ンジ」とある。

 京極殿(きょうごくどの

  藤原道長の邸宅。土御門弟(つちみかどていとも。土御門の南、京極の西にあったが全焼した。

 法成寺(ほうじょうじ

  道長が京極殿の東、鴨川近くに建設した大寺。

 御堂殿(みだうどの

  藤原道長(注釈4参照)のこと。法成寺の阿弥陀堂(無量寿院、注釈9参照)を京極御堂と呼んだため。

 御門(みかど御後見(おんうしろみ

  天皇の政治における後見役。

 大門(だいもん

  寺院の総門。法成寺には東西南北に門があった。

 金堂(こんどう

  伽藍の中心にある、本尊をまつる仏殿。

 正和(しょうわ(ころ

  花園天皇の時代。千三百十二年から千三百十七年の頃。

 無量寿院(むりょうじゅいん

  法成寺の阿弥陀堂の名前。

 行成(こうぜいの大納言

  藤原行成。平安時代中期の廷臣。多芸多才で名を馳せる。三蹟の一人。

 兼行(かねゆき

  源兼行。能書家。

 法華(ほっけどう

  天台宗で法華三昧の行を行う仏堂のこと。法華三昧堂の略。

徒然草 第二十四段

現代語訳

 神に仕える斎宮が選定され、伊勢神宮に籠もる前に嵯峨野で身を清めている姿は世界一、優美であるに違いない。「お経」とか「仏様」という忌み言葉を使わず「染めた紙」とか「中子」などと呼び、縁起を担いでいるのは面白い。

 どこでも神社というのは、素通りできないほど神がかっている。古びた森の姿が、ただ事ではない様子を呈しているところに、周りに塀を作って、榊の葉に白い布が掛けられている姿は、オーラを感じずにはいられない。そんな神社の中でも特におすすめスポットは、伊勢神宮、二つの賀茂神社、奈良の春日大社社、京都の平野神社、大阪の住吉大社、奈良県桜井市三輪町の大神神社、京都市の貴船神社、同じく吉田神社、大原野神社、松尾神社、梅宮神社、などである。

原文

 斎宮(さいわうの、野宮(ののみやにおはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えしか。「(きやう」「(ほとけ」など忌みて、「なかご」「染紙(そめがみ」など言ふなるもをかし。

 すべて、神の(やしろこそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきもたゞならぬに、玉垣(たまがきしわたして、榊木(さかき木綿(ゆふ(けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日(かすが・平野・住吉・三輪・貴布禰(きぶね・吉田・大原野(おおはらの松尾(まつのを梅宮(うめのみや

注釈

 斎宮(さいわう

  天皇の即位の際に皇室から選定され、伊勢神宮に奉仕する未婚の姫、女王。

 野宮(ののみや

  斎宮に選ばれた姫、女王が身を清めるための建物。京都、嵯峨野にあった。

 「(きやう」「(ほとけ」など忌みて、「なかご」「染紙(そめがみ」など言ふ

  『延喜式』には「(およソ、忌詞(いみことば、内七言、仏ハ中子(なかごト称シ、経ハ染紙(そめがみト称シ、塔ハ阿良良岐(あららぎト称シ、僧ハ髪長(かみながト称シ、尼ハ女髪長ト称シ、(いもひ片膳(かたしきト称す」とある。

 玉垣(たまがき

  神社の周囲を巡る塀のこと。

 木綿(ゆふ

  (こうぞの皮を剥いで作った生地。榊の枝に掛けて奉納に使われる。

 伊勢・賀茂・春日(かすが・平野・住吉・三輪・貴布禰(きぶね・吉田・大原野(おおはらの松尾(まつのを梅宮(うめのみや

  伊勢市の伊勢神宮。京都市の賀茂別雷神社、賀茂御祖神社。奈良市の春日大社。京都市の平野神社。大阪市の住吉大社。奈良県の大神神社。京都市の貴船神社。京都市の吉田神社。京都市の大原野神社。京都市の松尾神社。京都市の梅宮神社。