徒然草

徒然草 第二十三段

現代語訳

 「やんぬるかな。世も末です」と、人は言うけれど、昔から受け継がれている宮中の行事は、浮世離れしていて、クラクラするほど煌びやかだ。

 板張りを「露台」と呼んだり、天皇がおやつを食べる間を「朝餉」と言ったり、「なんとか殿」とか「かんとか門」などと曰くありげに名付けられていると、特別な感じがする。建て売り住宅によくありそうな小窓、板の間、扉ななども、皇居では眩しく輝いている。警備員が「夜勤の者、それぞれの受け持ちに灯りをつけなさい」と言えば、敬虔な気持ちにさえなってしまう。ましてや、天皇のベッドメイキングの際に「間接照明を早く灯せ」などと言うのは、格別である。隊長が司令部から指示を出す際は当たり前だが、実行部隊が神妙な顔をして、それらしく振る舞っているのも面白い。眠れないほど寒い夜なのに、あちこちで居眠りをしている人がいるのも、気になる。そう言えば「女官が温明殿に天皇が来たことを知らせる鈴の音は優雅に響き渡る」と、藤原公孝が言っていた。

原文

 衰へたる末の世とはいへど、なほ、九重(ここのへの神さびたる有様こそ、世づかず、めでたきものなれ。

 露台(ろだい朝餉(あさがれひ何殿(なにどの・何門などは、いみじとも聞ゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀(こじとみ小板敷(こいたじき高遣戸(たかやりどなども、めでたくこそ聞こゆれ。「陣に((まうけせよ」と言ふこそいみじけれ。夜御殿(よるのおとどのをば、「かいともしとうよ」など言ふ、まためでたし。上卿(しようけいの、陣にて事行へるさまはさらなり、諸司の下人(しもびとどもの、したり顔に馴れたるも、をかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝ・かしこに(ねぶり居たるこそをかしけれ。「内侍所(ないしどころ御鈴(みすずの音は、めでたく、(いうなるものなり」とぞ、徳大寺太政大臣(とくだいじのおほきおとど(おほせられける。

注釈

 九重(ここのえの神

  皇居の門は九重に厳戒することによる。

 露台(ろだい

  紫宸殿と仁寿殿の間にある板張り。

 朝餉(あさがれひ

  清涼殿の天皇がおやつを食べる間。

 何殿(なにどの・何門

  皇居にある建物や門をまとめて言っている。

 小蔀(こじとみ

  跳ね上げるタイプの窓。

 小板敷(こいたじき

  廊下、板の間。

 高遣戸(たかやりど

  左右に開く扉。

 夜御殿(よるのおとど

  清涼殿の天皇の寝室。ここでは、そこに準備する灯りのこと。

 上卿(しょうけい

  儀式のリーダーで、運営する公家。平たく言うと幹事。

 諸司

  宮中の諸役所の下級役人。

 内侍所(ないしどころ御鈴(みすずの音

  三種の神器の一つである「神鏡」が置かれている温明殿(うんめいでんに天皇が参拝したことを知らせる女官の鈴の音。

 徳大寺太政大臣(とくだいじのおおきおとど

  藤原公孝(きんたかのこと。

徒然草 第二十二段

現代語訳

 何を考えるにしても、古き良き時代への憧れは募るばかりだ。最先端の流行は見窄(みすぼらしく、野暮ったい。たんす職人の名工がつくった道具なども、伝統的なほうが存在感がある。

 昔に書かれた手紙は、たとえチリ紙交換に出す物でも素晴らしい。日常生活で使う言葉なども、退化してしまったみたいだ。昔は「車を発車させてください」とか「電気をつけてください」と言っていたのに、最近では「発車!」とか「点灯!」などと言っている。照明係に「立ち上がり整列して灯りをともせ」と言えばよいものを「立ち上がって明るくしろ」と言うようになったり、世界平和を祈る儀式の特設会場に作った「大会委員本部席」を「本部」と略すようになったのは「誠に遺憾である」と頑固で古風な老人が言っていた。

原文

 何事も、古き世のみぞ(したはしき。今様(いまようは、無下(むげにいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の(たくみの造れる、うつくしき器物(うつはも、古代の姿こそをかしと見ゆれ。

 (ふみ(ことばなどぞ、昔の反古(ほうごどもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かゝげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮(とのもれう人数(にんじゆだて」と言ふべきを、「たちあかし、しろくせよ」と言ひ、最勝講(さいしようこう御聴聞所(みちやうもんじよなるをば「御講(ごこう(」とこそ言ふを、「講廬(かうろ」と言ふ。(くちをしとぞ、古き人は(おほせられし。

注釈

 今様(いまよう

  現代の流行。現代風。

 木の道の(たくみ

  指物師。

 反故(ほうご

  「ほご」とも。書き汚した不要の紙。

 主殿寮(とのもりょう

  宮中にて庶務を扱う人が待機している場所。

 最勝講(さいしょうこう

  東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺の四大寺からトップクラスの僧侶を呼び寄せて、宮中で天下太平を祈る仏事。

 御聴聞所(みちょうもんじょ

  「最勝講」が行われる場所。

 御講(ごこう(

  「(いお」は臨時のテントの事だと思われる。用例が他にないため不明。ここでは、臨時の御座所のことか。

徒然草 第二十一段

現代語訳

 どんなに複雑な心境にあっても、月を見つめていれば心が落ち着く。ある人が「月みたいに感傷的なものはないよ」と言えば、別の人が「露のほうが、もっと味わい深い」と口論したのは興味深い。タイミングさえ合っていれば、どんなことだって素敵に変化していく。

 月や花は当然だけど、風みたいに人の心をくすぐるものは、他にないだろう。それから、岩にしみいる水の流れは、いつ見ても輝いている。「沅水や湘水が、ひねもす東のほうに流れ去っていく。都会の生活を恋しく思う私のために、ほんの少しでも流れを止めたりしないで」という詩を見たときは鳥肌が立った。嵆康も「山や沢でピクニックをして、鳥や魚を見ていると、気分が解放される」と言っていたが、澄み切った水と草が生い茂る秘境を意味もなく徘徊すれば、心癒されるのは当然である。

原文

 (よろづのことは、月見るにこそ、(なぐさむものなれ。ある人の、「月ばかり面白(おもしろきものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。折にふれば、何かはあはれならざらん。

 月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。「(げん(しやう、日夜、(ひんがしに流れ(る。愁人(しうじんのために止まること少時(しばらくもせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。嵆康(けいかうも、「山沢(さんたくに遊びて、魚鳥(ぎよてうを見れば、心楽しぶ」と言へり。人(とほく、水草(きよき所にさまよひありきたるばかり、心(なぐさむことはあらじ。

注釈

 (げん(しやう

  唐の詩人、戴淑倫(たいしゅくりんの「湘南即事」の転結の二句を引用している。起承の句は「廬橘花開キテ楓葉衰フ。門ヲ出デテ何レノ処ニカ京師ヲ望マン」沅・湘はともに杭州にある川の名前。

 嵆康(けいこう

  魏の文人。竹林の七賢の一人。

徒然草 第二十段

現代語訳

 名もなき路上のアナーキストが「生きているのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった僕でも、空を見て放心していると日々の移ろいに名残惜しいなんて思っちゃいます」と言っていたのは、そうだと思った。

原文

 (なにがしとかやいひし世捨人(よすてびとの、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残(なごりのみぞ(しき」と(ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

注釈

 空の名残(なごり

  空から舞ってきて心に残る事象。「嵐のみ時々窓におとづれて明けぬる空の名残をぞ思う」『山家集』より。

徒然草 第十九段

現代語訳

 巡る季節に心が奪われてしまう。

 「心が浮き立つのは秋が一番」と、誰でも言いそうで、そんな気もするが、心が空いっぱいに広がるのは春の瞬間だ。鳥の鳴き声は春めいて、ぽかぽかの太陽を浴びた花畑が発芽すれば、だんだん春も本番になる。霞のベールで包まれていた花々の蕾が少しずつ開きかけた刹那の雨風に花びらは彗星のように散っていく。桜が毒々しく青葉を広げる頃まで、様々なことにふわふわして切ない。「橘の花の香りは昔のことを思い出す」という短歌もあったが、やはり梅の香の方が、記憶をフラッシュバックさせ、恋しく切ない気持ちにさせる。山吹の花が青春時代のように咲き乱れ、藤の花がゆらゆらと消えそうに咲いているのを見ると、記憶を忘却すること自体もったいなく感じる。

 「釈尊の誕生日の頃、それから葵祭りの頃、若葉の梢が涼しそうに茂っている頃になると、世界との関係を思って人恋しくなり心臓が破裂しそうだ」と誰かが言っていたが、本当にそうだと思う。端午の節句に菖蒲の花を屋根から下げる頃、田植えをする頃、クイナが戸を叩くように鳴き叫んだりして、心細くさせないものは何一つとしてない。六月、荒ら屋に夕顔の花が白く見え隠れする陰で、蚊取り線香の煙がゆらゆら揺れているのは、郷愁を誘う。六月の最後の日に水辺で神様に汚れた世間を掃除してもらう儀式は、不思議で面白い。

 七夕祭りもゴージャスだ。だんだんと夜が寒くなる頃、雁が北の空から鳴きながら渡ってくる頃、萩の葉が赤く染まる頃、最初の稲を刈って天日干しにしたりして、心奪われることが一遍に過ぎ去っていくのは、秋の季節に多い。大地を切り裂く秋風の翌朝は、これも不思議な気分がする。このまま書き続ければ『源氏物語』や『枕草子』に書き尽くされた事の二番煎じになるだけだが「同じことを二回書いてはいけない」という掟はないのだから筆にまかせる。思ったことを言わないで我慢すれば、お腹がふくれて窒息してしまうに違いないからだ。筆が自動的に動いているだけで、ちっぽけな自慰のようなものであって、丸めてゴミ箱に捨ててしまうようなものだから、これは自分専用なのである。

 ところで、冬の枯れ果てた風景だって、秋の景色に劣ることもない。池の水面にもみじの葉が敷きつめられ、霜柱が真っ白に生えている朝、庭に水を運ぶ水路から湯気が出ているのを見るとわくわくした気分になる。年が暮れてしまって、誰もが忙しそうにしている頃は、特別に煌びやかである。殺風景なものの象徴として、誰もが見向きもしない冬のお月様は、冷たく澄みわたった二十日過ぎの夜空で淋しそうに光っている。宮中での懺悔や断罪、墓参りの貢ぎ物が出発する姿は、心から頭が下がる。宮中の儀式が次から次へとあり、新春の準備もしなくてはいけないのは、大変そうだ。大晦日に鬼やらいをし、すぐに一般参賀が続くのも面白い。大晦日の夜、暗闇をライトアップして、朝まで他人の家の門を叩いて走り回り、何がしたいのかわからないけど、「ガー、ピー」と騒ぎ立て、蠅のように飛び回っている人たちも、夜明け前には疲れ果てて大人しくなり、年が去っていく淋しさを思わせる。精霊が降臨する夜だから鎮魂をするということも、もう都会では皆無だが、関東の田舎で続いているのだから感激だ。

 こうして、元旦の夜明けは、見た目に普段の朝と変わりないが、状況がいつもと違うので特別な心地がする。表通りの様子も松の木を立てて、きらきらと嬉しそうに笑っているから、格別である。

原文

 折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に墻根(かきねの草萌えいづる頃より、やや春深く霞みわたりて、花もやうやうけしきだつ程こそあれ、折しも、雨風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘(はなたちばなは名にこそ負へれ、なほ、梅の(にほひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、(ふぢのおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

 「灌仏(くわんぶつの比、祭の比、若葉の、(こずゑ涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月(さつき菖蒲(あやめふく比、早苗(さなへとる(ころ水鶏(くひなの叩くなど、心ぼそからぬかは。六月(みなづき(ころ、あやしき家に夕顔(ゆうがほの白く見えて、蚊遣火(かやりびふすぶるも、あはれなり。六月祓(みなづきばらへ、またをかし。

 七夕(たなばた祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒(よさむになるほど、(かり鳴きてくる比、萩の下葉(したば色づくほど、早稲田(わさだ((すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分(のわき(あしたこそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語(げんじのものがたり枕草子(まくらざうしなどにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ(り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

 さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。(みぎはの草に紅葉の散り止まりて、(しもいと白うおける(あした遣水(やりみずより(けぶりの立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余り空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名(おぶつみやう荷前(のさき使(つかひ立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事(くじども繋く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるゝさまぞ、いみじきや。追儺(ついなより四方拝(しはうはいに続くこそ面白(おもしろけれ。晦日(つごもりの夜、いたう(くらきに、松どもともして、夜半(よなか過ぐるまで、人の、(かど叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を(そらに惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残(なごりも心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて(たま祭るわざは、このごろ都にはなきを、(あづまのかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路(おほちのさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。

注釈

 花橘(はなたちばな

  五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする『古今集』(橘の花は昔を思い出させるものとして有名だが)『伊勢物語』の六十段にこの歌にまつわる話がある。

 灌仏(かんぶつ

  陰暦四月八日の釈尊の誕生日に、釈尊のイコンに聖水をかける行事。

 祭

  賀茂神社の葵祭で当時は四月中旬の酉の日に行われた。

 六月祓(みなづきばらえ

  六月の晦日に水辺で行われるお祓いのこと。

 七夕(たなばた

  七夕の夜に牽牛と織女の星が再会を祭り、芸事の上達を祈願した。

 枕草子

  平安時代中期の女流作家、清少納言が記した随筆。

 御仏名(おぶつみょう

  仏名会(ぶつみゃうえの略で十二月二十九日から三日間、清涼殿で懺悔、滅罪する儀式。

 荷前(のさき

  諸国からの貢ぎ物を十陵八墓に備えるために、勅使が出発すること。

 追儺(ついな

  大晦日、宮中で行われた鬼やらいの行事。

 四方拝(しほうはい

  元旦の明け方、天皇が一般参賀をして下々の健康と作物の豊作を祈ること。

徒然草 第十八段

現代語訳

 人は、無くても良い物を持ったりせず、欲張るのをやめて、貴金属も持たず、「他人が羨むようになりたい」などと考えないのが一番偉い。今日まで人格者が高額納税者になったなどという話は、お伽噺でしか聞いたことがない。

 昔、中国に許由さんという人がいた。その人は身の回りの所持品がなかったから、水は手で(すくって飲んでいた。それを見た人が、柄杓を買い与え、木の枝にかけておくという余計なお世話を焼いた。すると、柄杓は風に吹かれてカラカラと音を立てるので、許由さんは「うるせぇ」とおっしゃって、投げ捨ててしまった。そうして、また手で掬って水を飲んでいたそうな。きっと許由さんは、せいせいした気持ちだったに違いない。また、孫晨さんという人は、クソ寒い冬の季節にも、お布団がなかったので、納豆みたいに藁にくるまって寝て、朝が来ると藁を片づけたという。

 昔々の中国人は、こんなことが伝説に値すると思ったから本に書いたのだろう。この近所に住んでいる人なら、こんな話は素通りして語り伝えたりはしない。

原文

 人は、(おのれれをつゞまやかにし、(おごりを退けて、(たからを持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の(めるは(まれなり。

 唐土(もろこし許由(きよいうといひける人は、さらに、身にしたがへる(たくはへもなくて、水をも手して(ささげて飲みけるを見て、なりひさこといふ物を人の得させたりければ、ある時、木の枝に懸けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしかましとて捨てつ。また、手に(むすびてぞ水も飲みける。いかばかり、心のうち涼しかりけん。孫晨(そんしんは、冬の月に衾なくて、(わら一束(ひとつかありけるを、夕べにはこれに(し、(あしたには(をさめけり。

 唐土(もろこしの人は、これをいみじと思へばこそ、(しるし止めて世にも伝へけめ、これらの人は、語りも伝ふべからず。

注釈

 唐土(もろこし

  昔の中国。

 許由(きょゆう

  中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者。

 孫晨(そんしん

  『古注蒙求』に「三輔決録(さんぽけつろくニ孫晨、字ハ元公(げんこう。家貧シク、(むしろを織リテ業ト為ス。詩書ニ明ラカナリ。京兆(けいてふノ功曹ト為ル。冬月、(ふすま無ク、藁一束アリ。暮ニ臥シ。朝ニ収ム」とある。

徒然草 第十七段

現代語訳

 山寺にこもって、ホトケ様をいたわっていると「ばかばかしい」と思った気持ちも消え失せて、脳みその汚れをゴシゴシと洗濯してもらっている気分がする。

原文

 山寺にかきこもりて、仏に(つかうまつるこそ、つれづれもなく、心の(にごりも(きよまる心地すれ。

注釈

 心の(にご

  この世での欲求や煩悩。

徒然草 第十六段

現代語訳

 宮中サロンの演奏会は優雅で心を揺さぶる。

 よく響いて聞こえてくる音は、普通の笛と小さな竹笛の音色で、いつまでもずっと聴いていたいのは、琵琶や琴の音だ。

原文

 神楽(かぐらこそ、なまめかしく、おもしろけれ。

おほかた、ものの(には、笛・篳篥(ひちりき。常に聞きたきは、琵琶(びは和琴(わごん

注釈

 笛

  神楽に使う大和笛。

 篳篥(ひちりき

  中国から伝えられた竹の笛。

 琵琶(びわ

  雅楽に使う琴。

 和琴(わごん

  伴奏に使う日本の弦楽器。

徒然草 第十五段

現代語訳

 どんな場所でも、しばらく旅行をしていると目から鱗が落ちて新しい扉が開く。

 旅先の周辺を「あっち、こっち」と見学して、田園や山里を歩けば、たくさんの未知との遭遇がある。それから、都心に送る絵はがきに「あれやこれを時間があるときにやっておくように」などと書き添えるのは格好がいい。

 旅先の澄んだ空気を吸うと心のアンテナの精度が上がる。身につけているアクセサリーなども、よい物はよく見え、芸達者な人や男前な人や素敵なお姉さんは普段よりも輝いて見える。

 お寺や、神社に内緒で引きこもっているのも、やはり渋い。

原文

 いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。

 そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舎(ゐなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて(ふみやる、「その事、かの事、便宜(びんぎに忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。

 さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。(てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。

 寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。

注釈

 便宜(びんぎ

  都合の良いとき。

徒然草 第十四段

現代語訳

 短歌はとても面白いものである。他人から羨望を集めることのない人や、マタギのやることなども歌の歌詞にしたらポップな感じになるし、あんなに恐ろしいイノシシのことでも「イノシシが枯れ草を集めて作ったベッド」なんて言うと可愛らしいものになってしまう。

 最近の短歌といえば、一部分は面白く着地できているものはあるけれど、古き良き時代のものと比べたらどうだろうか。言葉を超越した何かに満たされる歌はまずない。紀貫之が「糸によるものならなくに別れ路の心ぼそくも思ほゆるかな(糸のようにねじって細くするわけにもいかないので、一人の別れ道は細くなってしまう。そして一緒に心も細くなっていくことだ)」と歌った短歌は、古今和歌集の中では「クソだ」と言われているけれども、今の人が作れるレベルの短歌だとは思えない。この時代の短歌にはこういう格調や言葉の使い方のものが多い。どうして貫之の歌だけが「クソ」扱いされているのか理解不能である。この歌は『源氏物語』では「糸による物とはなしに」と、紫式部によって引用され、改造されている。新古今和歌集の「冬の来て山もあらはに木の葉降り残る松さへ峯にさびしき」と言う短歌も「クソ」呼ばわりされていて、まあそうかもしれない。けれども、歌合戦の時に「佳作である」と言うことになって「その後皇帝がありがたがり、勲章をもらったと」家長の日記に書いてあった。

 「短歌は昔から何も変わっていない」という説もあるけど、それは違う。今でも短歌によく使われている単語や観光名所などは、昔の人が短歌に使った場合の意味とは全く異なるのである。昔の短歌は優しさがあり、流れるようにテンポが良く、スタイルが整っていて、美しい。

 『梁塵秘抄』に載っている懐かしのメロディは、中身も具だくさんで内容がぎっしり詰まっている。昔々の人々は下水に流すような言葉を使ったとしても、言葉の意味が自由に響き合っていた。

原文

 和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしづ・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき(のししも、「ふす((とこ」と言へば、やさしくなりぬ。

 この(ころの歌は、(ひとふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき(おぼゆるはなし。貫之(つらゆきが、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑(うたくづとかや言ひ伝へたれど、今の世の人の(みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・(ことば、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言いたてられたるも、知り難し。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、衆議判(しゆぎはんの時、よろしきよし沙汰(さたありて、後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長(いへながが日記には書けり。

 歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ(ことば・歌枕も、昔の人の(めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。

 梁塵秘抄(りやうぢんひせう郢曲(えいきよくの言葉こそ、また、あはれなる事は多かンめれ。昔の人は、たゞ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。

注釈

 貫之(つらゆき

  紀貫之。平安時代初期の代表的歌人。

 源氏物語

  紫式部による平安朝の代表的古典作品。

 衆議判(しゆぎはん

  歌の優劣を争う際に、判者ではなく参加者によって決定すること。

 家長(いへなが

  源家長。鎌倉前期の歌人。新三十六歌仙の一人。ここでいう日記とは『源家長日記』のこと。

 歌枕

  歌の題材にふさわしい名所や地名。

 梁塵秘抄(りょうじんひしょう

  平安時代末期に編まれた歌謡集。編者は後白河法皇。

 郢曲(えいきよく

  流行歌のさびの部分。郢とは楚の都。